思い出カフェ 夏

 なくしてしまったモノに
 なんて声をかけたらいいのだろう
 なくなってしまったモノの
 その気持ちは分からない

 その面影は、嬉しいようで
 その一瞬後には、寂しさで襲う

 なくしてしまったモノに
 謝罪は届かないし
 なくしてしまったモノの
 願いは
 残されたモノの
 願望でしかない

 なくして分かること
 それは
 話す。触れる。笑う。

 ただ、この世に
 大切なモノが存在している

 それは、本当に
 かけがえのなく
 当たり前じゃなく
 大切なんだってこと

 残されたモノの
 問いかけは
 空しく
 空に響くだけ


 私はずっと昔に親友を亡くしてから、なかなか、本当の親友をつくれずにいる。
 高校に入学する直前に、事故で亡くなってしまった親友の、友美。
 なんでいなくなったのか。いなくなってしまったことの実感すらないまま。
 哀しみも、なんだか上手に扱えないまま。


 今日も暑い暑い一日だ。夏はなんでこんなにも暑いのだろう。
 入道雲が見えるいつもの駅を降りて、私は空を見上げた。あぁ今日はこんなにも暑いのに、夕方からは少し天気が悪くなるらしい。それだけど暑いー!ジリジリと焼ける蝉時雨の中、私はふと、いつもの帰り道から横道にそれた。こっちの方が、日陰が多そうだなと思ったから。
 それにしても、今日の暑さは格別だ。なんなら早めに雨が降ってくれれば、少しは涼しくなるのに…

 そんな事を考えていると、目の前にあるカフェが目についた。
 こんなところにあったかな?と思ったけれど、あまりの暑さに
 あぁこのお店で少し涼んでいこう。と迷わず私は、そのお店の中に逃げ込んだ。

「いらっしゃいませー。」
 そのお店は、こじんまりとしながら、とっても綺麗で、なんだか懐かしい匂いがするような、優しいお店だった。
「いらっしゃいませ。初めてきていただけました?」
 そう言って、笑いかける店員がいた。なんだかハーフみたいな顔立ちの、優しい面持ちの、イケメンマスターだった。
「はい、初めてきちゃいました。」
 そう笑う私に。
「今日はこんなに暑いから、誰も外にでないんですかねぇ。貸切ですよ!」
 とマスターは可笑しそうに笑っていた。あぁ、なんて素敵な笑顔をするんだろう、私はもうなんだかこの人を、気に入っていることに気付いた。
「さぁさぁこちらに。特等席ですよ。」
 そんな風に通された席は、なんだか立派な椅子がある、お店の片隅。なんだか、秘密の席みたいで、胸が高鳴る。
「今日は何を飲まれます?アイス?ホット?」
 優しく聞いてくるマスターに私は勢いよく
「アイスコーヒー!」とお願いした。

 それから私は他愛もない話をしながら、コーヒーを飲んだ。
 なんだか私はマスターと気が合うようで、初めてあったような気がしなく、昔ながらの馬鹿話みたいに沢山の話をした。
 私もマスターも、なんだか時間を忘れていっぱい笑っていた。

 外はまだまだ暑そうだ、店内からでも、入道雲が空に浮かんでいるのが分かる。
「マスターって優しいんだねぇ。」
 私は、そんな事をいきなりマスターに言っていた。
「えぇそうですか?そんな事はないと思いますよ?」
「アハハ、優しい人は、自分のこと優しくないっていうものなんだよ?私の親友もねーあずさの方が優しいよ!って言うんだよ?だからいっつも、友美の方が優しいじゃん!って怒ってたんだ。」
 そう言う私に
「へぇ、素敵なお友達がいるんですねぇ。」
 と少年みたいな目で私を見て
「今は一緒にはいられないんですか?」
 そう優しく問いかけた。
「えっなんでそう思うの?」
「だって、怒ってたんだって…過去形だったので…。」
「変なとこ鋭いんだね…。」
「ごめんなさい…」
 マスターはそう言ってしょげてしまった。


「うん、友美は高校に上がる前に、交通事故で…。」
 私は急になんだか寂しくなってしまって、うつむき加減にコーヒーをすすった。
 こんな風に聞かれると、友美が傍にいないんだって、なんだか再確認してしまう。それは、当たり前になのに。それだけの年月が経っているのに。それでも、心の寂しさは、どんなタイミングでも現れる。
「ごめんなさい。なんだか答えづらいこと聞いてしまって。」
 そう言ってマスターは頭を下げた。
「いいのいいの!別にマスターが悪いわけじゃないから!」
 必死に私は答える。なんだかさっきまで楽しい話していたのに、もったいない!そんな気持ちでいっぱいだった。もっと、違う話題を探さなきゃ!そう思っている時、マスターが、じゃあ、と断って
「変なこと聞きますけど、友美さんの写真って今持っていますか?」
 そう優しく訊ねてきた。

「もってるよー。いつだって持ってるんだよー」
私は自分の手帳から、友美と一緒に写っている写真を取り出す。
 それは、ちょうど今みたいな、暑い暑い夏の日。まだ中学2年生の夏休み。
 学校の補修の終わりに、先生にプールの掃除を手伝わされた時の写真。田中先生が
「手伝ってくれたお礼に、写真撮ってやるよー。」
 とプールに足を突っ込んで座っている、私たち二人を撮ってくれた写真だった。

 夏の雲、古い校舎、キラキラ光る水面
 そして、いっぱいの笑顔。
 それはキット誰が見たって、眩しく見えるんだろう、キラキラした写真。
「素敵な写真ですね。」
 マスターも眩しそうに写真を見てつぶやく。
「とっても二人が仲がいいのが、本当に分かります。」
 そして私に写真を返しながら
「今日は、沢山面白い話を聞かせてもらいましたから、私から恩返しさせてもらっていいですか?」
 急に笑顔でそんな事を言い出した。

「いやいや恩返しなんて!別に私だって楽しかったし!」
 何を急に言い出すんだ!
慌てて手を振る私に
「あははっ。そんな難しいことじゃないですよ。ただ、新作コーヒーがあるんで、それを飲んでいただきたいだけです。それで感想を教えていただけるとありがたいんですけど…」
 となんだか、意地悪な顔をして私を覗き込んだ。なんだか、こんな所は、親友の友美みたいだ。
「そういう事?じゃあまかせてー。私コーヒーの味はよく分かんないけど、美味しいまずいくらい言えるよ。」
 そんな風に笑った。

「はい。これが思い出のコーヒーです。」
 そう言ってマスターがコーヒーを出してくれた。それは、本当にどこでもありそうな、ただのホットコーヒーに見える。
「思い出のコーヒー?」
「そうです、思い出のコーヒー。」
 可笑しそうに笑うマスター
「このお店の名前知ってます?」
 と、また意地悪そうに私の顔を覗き込んだ。
「えっ、ごめんなさい…分かんない。」
 私は暑さに逃げてお店に入ってきたから、お店の名前を知らないでいた。ちょっと失礼だよね。私は心の中で苦笑いをする。
そんな私を見てマスターは可笑しそうに笑って
「このお店の名前は「思い出」です。」
「思い出?なんで思い出?」
「んーそれは、僕のおばあちゃんが名づけたから、分からないです。」
 そんな風にまた少年みたいに笑った。
「だから、お店の代名詞みたいなコーヒーってあるといいじゃないですか!」
 そう自信満々にマスターは胸を張る。
「じゃあ、自信作なんだね。私も気合入れながら飲まなくちゃね!」
 私は勢いよく、コップに口をつけようとした時マスターが慌てて。
「あの!一応ね、思い出のコーヒーなので、あの、思い出の写真を見ながら、ゆっくり飲んでいただきたいのですが。」
 なんて不思議なことを言った。
「そうなの?」
「ぜひ。」
「ふぅーん。」
 私はなんだか不思議なこと言うなぁ、なんて思いながら、再度友美の写真を手に取った。
 友美の笑顔。思い出。思い出ってなんだろう。この瞬間に戻りたい?この瞬間に戻ったら、私は友美になんて話かけるだろう?いっぱいあるようで、何かを話せるか分からないなぁ

 そんな事を思ってコーヒーを飲んでいると
「僕が、おまじないをしておきましたから。キット不思議なことがおきますよ。」
 マスターがそう言って、優しく微笑んだ。
「不思議なこと?」
 私は聞き返そうと思ったのに、その言葉は、声にならずに、私は眠りの世界に引き込まれる様に、意識を失っていった。




「よし撮れたぞー。
 おい吉浦―佐々木―もうすぐ閉めるからなー。」
 
 ミーンミンミンミー
 私が気づいた瞬間、田中先生がカメラを下ろす瞬間だった。
「先生可愛く撮れたー?」
 隣を振り向くと、そこにいたのは友美だった。中学2年生の友美だった。まだ頬も紅い、可愛らしい友美だった。

 プールサイドに腰掛け、足だけプールに突っ込んでキラキラ光る水面を見ていた。
 風が通りすぎて、夏の木々を揺らす。
 夏だった。
 苦しい程、青春をした、あの夏だった。


「えええぇーー!!」
 私はびっくりして大声を上げる。
 友美がいる!何で!!?
「なになにあずさ!いきなり大きな声ださんでよ!びっくりするだら!」
 友美は目を丸くして私を見ている。
 えぇっえぇ!どういう事なんだろう?

 友美が隣にいる…もう一生逢えないと思っていたのに…
 ど…どういうことだろう。さっきまで、カフェにいたはずなのに…マスターが言ってた不思議なことってこういうこと!?昔の夢が見れるってことなのかな!!?
 もしかして夢を見ているのかなと想ってみたのだけれど、それでも
 それでもずっと心に想っていた友美が
 今隣にいる。それだけでドギマギしてしまって心がキュッと音を鳴らした。

「夏休みももうすぐ終わりかー。」
 友美はチャプチャプと、プールの水をけ飛ばしている。 
 夏。入道雲。プール。蝉の声。
 野球部の練習の声。風。
 夏休みの暑さ。体にしみ込んだ汗。
 プールの消毒の匂い。

 私たちは、プールに足を突っ込んで夏の風を浴びていた。
「あずさはさぁ。どーすんの?」
「えっ何が?」
 なんだかドギマギしてしまう。これが夢だろうが幻だろうが、友美が傍にいることが信じられなくて、どうしたらいいのか分からない。
「何がって、さっきの話だよ。」
「さっきの話?」
 中学生の私は、友美と何を毎日話していたのだろう?
 中学生の友美は本当に可愛くて、友美が
すっと大きくなって、綺麗な大人の女の人になるところが、見てみたかったなぁと思う。

「良樹のことだってーあずさ、良樹のこと好きなんでしょ?この夏休み中に、もっと仲良くなりたいってさっき言ってたばっかりじゃん!」
「良樹!!?」
「良樹。」
「良樹?」
「うん、良樹。」
「あの良樹?」
「どの良樹がいるの?」
「好き?」
「なんでしょ?」
「う…  うん。」
「あずささっきか様子おかしいよ?なんかあった?」
「なんにもない!なんにもないよ!!」
 そう手を振る私に
「なによー気になるじゃんかー。いっつもそうやって肝心なことあずさ隠すじゃんね!気になるだら!言ってみりんよー」
 と友美は私に怒ってみせた。

 そうだ。そうだった。今の今まですっかり忘れてしまっていた。中学生の私は、同じクラスの良樹に恋をしてしまっていたのだった。忘れてた。
 本当に中学生の、いじらしい、遠くから見ているだけのような恋をしていたのだった。
 結局いつの間にかそんな事も忘れて、中学生活は恋愛せずに終わって行ったのだったんだ。

「なんだかなぁ」
 友美は私をいぶかしげに見てから。不意に水面に向かって
「今あずさは、隠しごと中だ!」
 なんてすねた顔をして言う。その顔が可笑しくって、私は笑ってしまった。
 私はなんだか、その姿が物凄く懐かしくて、そして物凄く愛おしくて、一瞬でこの瞬間を物凄く大切にしたい気持ちになった。
 これが夢だって幻だってなんだっていい。友美との時間を大切にしたい!
 神サマ!
 夢なら長めでお願いします!


「ごめんごめんってー。ちょっとからかっただけでしょーー」
「本当にーー!?」
 友美はほっぺたを膨らましながら、またピシャピシャと水面をけって見せた。
 そんな友美は可愛いなぁと、本当に私は思う。


「ねぇねぇ。」
「んー?」
風が頬をなでて、夏だよって言っていた。この夏はまた、夢みたいに終わってしまうんだよって言っていた。蝉時雨の中で友美は笑っていた。
「あずさはさー、今こんなに悩んでるんじゃんねー?。」
「んーそうだねー。」
 私はそっけなく返事を返す。だってなんだか恥ずかしくて、こんなちっぽけな悩みを抱えている中二の私が。こんなこんな、本当にちっぽけな悩みで大騒ぎな毎日。
 でも、分かってる
 分かってるんだよ
 精一杯だったんだ
 いっぱいいっぱいで
 自分の世界の全てが
 この気持ちなんだって想うぐらい
 この気持ちは
 私の全部なんだ
 って想うぐらい
 一生懸命だったんだよ

「あずさはさー。今こんなに悩んでるんじゃんねー?」
「んーそうだねー。」
 空は夏の空
 ミンミンミンミー
 夏の空は入道雲
「ねぇ。」
「ん?」
「こんな時間も
 思い出になるのかなぁ?」

 友美は笑った
 中二の笑顔だった。それは眩しいくらい未来を信じてる、今の私じゃできないくらいの笑顔。

「うん
 思い出に…
 なるよ。」

 私は、すっごく寂しい気持ちになっていた。そう友美と私は、こんな思い出を「懐かしいね。」なんて話すこともなく、お別れしてしまう。思い出を、思い出と思う前に、お別れしてしまう。
 でも、日々は過ぎ去って、やっぱり全部思い出になっていく。

 思い出になるよ
 なったよ
 友美
 思い出に
 なったよ
 眩しすぎて
 真っ直ぐ見れないぐらい
 思い出になったよ

 友美
 全部思い出になるんだよ
 二人で座った川べりも
 一緒に話した教室も
 廊下の雑踏も
 運動場の砂煙も
 黒板も
 運動場が見える窓も
 冷たい体育館も
 差し込む夕日も
 一緒に帰った
 あの帰り道だって

 全部思い出になるんだよ

 不思議だね

 全部ね

 大切な思い出になるんだ

 友美はプールから、足を出して、犬みたいに、足をプルプル震わす。その水しぶきが、プールの水面にキラキラ光って輝いた。
「あずさ!体育館寄ってこ!たぶん、まだ部活やってるかもしれんじゃん!」
 友美は本当に可愛い笑顔で私に言う。
「まだ良樹いるかもしれないしね。」
 そう、いつだって友美は、私のことを気にかけてくれていたんだ。自分のことより、私の笑顔が一番だ!みたいな顔して。
 私はふと、すごく寂しい気分になっていた。

 友美。このプールもね。もう私たちが大人になる時には、無くなっちゃうの。
 この学校も廃校になって、すぐに取り壊される。私たちが通った、通学路も新しい道路ができて、壊されるの。
 思い出の体育館も、思い出の帰り道も、全部。
 思い出だけの場所になるよ。

 こうやって考えると
 生きるって
 失うことだね

 色んなものを失ってく
 還りたくても、帰れない場所
 そんなのばっかりだ。


「おーい吉浦―佐々木―もう閉めるぞー。」

 そんな事を考えていると、先生の声が聞響く。私もプールから足を出して、プルプルと足を震わした。それを友美は見て
「犬か!!」
 と突っ込んでくる。
 いや、自分だってしてたじゃん
 そう言って私たちは笑いあった。

 足を拭いて私たちは教室に向かっていた。部活中の野球部の横を、友美と歩く。青い空に、夏の風。
これはー本当に夢なのだろうか。こんなにリアルな夢があるのかな?そんな事を思っていた。ここはあまりにも輝いて見える。

 中学生時代

 全部が、ドキドキとワクワクで出来ていた時間。誰かの優しさとか、噂話とか、今日の晩御飯とか。
 そんな手の届く全てのもので出来てる、誰かに守られている時間。
 そんな時間が、続くと思っている。
 純粋な時間。
 
 私たちは他愛もない会話をしながら、教室に入った。
「あっ学級日誌返ってきてるじゃん!」
 友美は、自分の学級日誌を広げて
「先生これはないっしょー。」
 とケタケタと笑っている。それは、夏休み前最後に出した時の、学級日誌だった。私は何て書いたのだろう?もう覚えてもいない。
「ねぇあずさー、ちょっと待てってくれる?私トイレ行きたい!あずさも行く?」
「んー私はいいや。待ってるから。」
 そういうと
「良樹の席に座っちゃダメだかんね。」
 そんな意地悪な顔をして、友美は笑いながら出て行く。
「座るかぁーー!!」
 私は友美の背中に叫んでいた。

 友美がいなくなった、誰もいなくなった教室は本当に静かで、ガランと急に寂しさが漂っていた。
なんで誰もいない教室は、こんなにも緊張感があるのだろう。
 キット、教室は皆がいるところだからかな。教室はいつもは笑顔ばかりだから、みんながいっぱい傍にいる場所だから。

 あぁキット、いつもニコニコ笑っている
 友美みたいな人が
 ひとりぼっちで、真剣な顔をしてたら
 それを見てしまったら
 キット、私は同じように
 苦しいような、寂しいような、愛しいような
 こんな緊張感を感じるんだと思う。
 
 友美は、そう思うと、教室みたいな人なのかもしれない。そう思った。
皆を守り、いつでも笑顔でいる。誰かの帰る場所。そんな優しさを持っていた。
 それでも、それでも、私は気づいていたのだろうか?
 キット、友美にも、こんな空っぽの教室みたいな、ガランとした寂しい時間を、ひとりで抱えていたのかもしれない。
 優しく強い人も、空っぽの時間があるんだって。気づけていたのだろうか?

 私は、自分の学級日誌に手をとる。なんだか、自分の過去を読み返すようで、ドキドキした。なんて書いてあるのだろう?なんか、とんでもない適当なことが書いてあるのだろうか…
私は、夏休み前、最後の日を開けた

 明日から夏休み

 明日から夏休み!なんだか嬉しいようで、寂しいようで、嬉しいけど
 なんだかソワソワして、どうしよう
 今、自分の部屋がちらかっている。いつもちらかっているけど、今はとくに。そうじしたいけど、めんどい。
 今、なやみごとがあります。どうしようかな。なにからはじめよう。夏休みで何かがはじまるように、がんばる。

 そう書かれていた。本当に稚拙な、わがままな文章。どんなことを書いたって、先生が受け取ってくれるっていう、安心感の中に書かれた、独り言みたいな日誌だった。
 キット良樹のことを言っているんだろう。キット良樹と仲良くなりたくてしょうがないけど、恥ずかしいから、こんなことを書いたんだな。私は一人で笑ってしまった。
 その下に先生が大きく赤ペンで、コメントを書いてくれている。


 始めた者だけが、始まる。
 がんばれ!


 そうとだけ、短く書いてあった。
 なんだか先生らしい言葉だなぁと、昔を思い出して私は笑ってしまった。
 私は学級日誌に小さく

 今も、悩み事があります
 何から始めようかと迷います
 でも、キット何かを始めれば
 何かが始まりますよね
 頑張る!

 小さく書き足した。

「あずさー!体育館寄ってくよー?」

「はいはい。私が嫌だって言ったって、どうせ友美は行くだらー?」

「そんなことはないら?」

「うそだねー行くまで、ずっと行こう行こうって言うじゃんけ。」

「よく分かってるじゃん!」

「そういうとこ友美は子どもみたいだね。」

「あすさが大人ぶってるだけ!もっと中二になりんよ!」

「なにそれー!
 でも、友美に引っ張りまわされるのも嫌いじゃないけどね。」

「だらー?」

「ちょっとだけねー。」

「ちょっとじゃないだらー!言ってみりんよー!!?」

 そう言って、友美は私に体をギュッと寄せて、おかしそうに笑った。
 誰もいない廊下。そう、この廊下をよく二人で歩いたんだった。
 友美はいつも、体をギュッと寄せるのが癖で、夏は「暑いよ!」なんて嫌がっていたんだけど
「傍にいるよってことじゃーーん!」
 なんてよく友美は騒いでいた。


 おかしいよね。
 その時はなんだか、わずらわしく感じるものでも、
 無くすと気づくの。
 幸せだったなぁって。嬉しかったんだなぁって。

 体育館につくと、男子バスケ部はまだ部活をやっているようだった。暑いなかに、ドリブルの音が響いている。
「まだやっててよかった!見に行くよ。」
 そう言って、友美は体育館に入っていく。いやいや、今、良樹を見たってどうも思わないだろう。さずがに、中学生の良樹を私は思い出せもしないでいた。なんで良かったのかも、今にしたら分からない。でも、なんだか中学時代の良樹も見てみたい。そんな気持ちで私も、友美の後ろをついて駆け出していた。

 古い体育館に向かっていく、木の廊下の前で靴を脱いで、足に冷たさを感じる。なんだか、外とは違う独特の暑さ。私と友美は、ばれないように、体育館の扉の傍まで駆け寄った。
 ダムダム!ボールの音が響く。その中に遠くに良樹が見えた。必死にボールを追いかけている姿が、体育館の中に輝いていた。

 薄い木漏れ日の中の、中学生の
 初恋の人
 必死に練習する姿。
 その時
 胸がドキッと音をたてた。ドキドキした。
 すんごくドキドキ音を鳴らした。
 思わず自分の胸に手を当てて、私は苦笑いをした。

 なんでだろう。なんだろう。
 こんな大人になった私が、中二の青白い体にドキドキするわけないのに。
 今は全然、良樹のことなんて忘れているのに…
 こんなに体は正直だ。
 胸は、正直にドキドキ音を鳴らす。

 あー恋って不思議だね。恋はやっぱり体でするものなんだね。
 恋は止められないんだ。恋ってこんなにも反応なんだね。
 だから恋は、誰かを傷つけてしまう。だから恋は、誰かが傷つかなきゃ、誰かの恋が実らない。

 四葉のクローバーを探して、三つ葉のクローバーを踏みつけてる。
 幸せなんて、そんな風に探すものじゃないのに。
 でも何も知らずに探してる。
 無邪気に恋を探している。

 心と心でする、愛を知るのは
 キットまだまだ先の話
 おとぎ話みたいな
 先の話

 でも、キットみんな恋に胸を焦がす。どうしようもなく、恋をする。
どうしても誰かを傷つけながら…誰かを傷つけてはいけないんだって、学んでいく。
 それが恋なのかもしれない
 傷つきながら、傷つけながら。恋をする。そうやって、みんな気づいていく。大切な人を傷つけちゃいけなんだって。
 大切な人が泣いてしまうのは
 なんでこんなに苦しいんだって
 分かるように
 大切な人を守れるようにって
 学ばなきゃいけない

 私はこれから中二の私が、いろんな恋で傷ついていくのを知っている。
 ドキドキして手を繋ぐだけでも、精一杯の恋も。どうしても傷つけあってしまう恋も。勢いだけで、周りを心配させる恋も。
 安心して笑い合える恋も。
 全て失ってしまったように想ってしまう失恋も。未来へ立ち向かう為の、苦しい失恋だって。
 これからいっぱいあるんだ。
 
 私はふいに、目をそらしてしまった。この体育館の、輝いている瞬間に。良樹が一生懸命、シュートしようと、ゴールに向かっている瞬間に。
 私は目をそらしてしまった。
 こんなにこの瞬間は輝いている。
 そう、時間はいつだってこんなにもキラキラ過ぎていく。
 みんな中学生だった。みんな子どもだった。
 みんな夢を見て、大人なっていこうと想っている。
 みんなこれから、いっぱい傷ついて生きていく
 色んな悩みを抱えながら、それでも笑いあいながら生きていく。
 なんだか、私は手を合わしたいような気持ちになった

 神サマ!
 みんな頑張って生きていきます
 だから
 みんなを正しく導いてください
 誰もがみな
 最後には笑えますように


 でも、ふと横を見て私は想ってしまった
 友美はもうすぐに死んでしまう
 なんで、こんなに
 ふいに理不尽なことは訪れるのだろう…

 もし神サマなんて人がいるのなら
 なんでこんなに理不尽なんだろう

 そんな事を想っていると、ふいに友美に最後に会った日の事を私は思い出していた。

 もうすぐ春が来るんだって、空が言ってる様な、少しの優しさを感じる冬の終わり。
 友美がこの世からいなくなる、たった2
日前の夜。星空を見上げながら、他愛もない話をしていた。星空が嘘みたいに光っていた夜だった。
 なんの話の途中だったのか、思い出せないけれど


「私ね、神サマって不器用なんだと思う。」
 そう言って友美は笑った。
「キット、すんごく不器用。」
 じゃなきゃさー
「不思議過ぎる事がいっぱい。」
 そんな風に笑った友美を思い出した。


 友美は、今から思い出しても、本当に大人びていて、同い年の私よりもっと先のことを考えていた。
 それは、もしかして、人間の本質だとか、人生の意味とか、自分の役割だとか…
 そんな、今の私でも考え付かない小さな光を見ていたのかもしれない。

「神サマもさーキット上手にできないのに。お願いされたり、恨まれたり、感謝されたり。大変だよねー。」
 そんな不思議な事を言った。
「えっ変なこと言ってる?」
友美は可笑しそうに笑ってから、んーーっと友美は空に背伸びをした。
「神サマだって、よく頑張ったねって、ギュって抱きしめてくれて、ヨシヨシしてくれる人が、傍にいればいいよね!」
 そう言って友美は急に夜空に向かって
「神サマー!よくやってるよーー!
辛いこともしなきゃいけないんだよねーー!
頑張ったねーー!」
 そう叫んだ。

 空に友美の声が吸い込まれていく。なんだか神サマが受け取ったみたいに。でも、私は何だかびっくりして
「何言っとるだん。」
 と可笑しそうに笑うしかなかった。
 なんだかびっくりして、他に何も言えなかったの。
 そんな私を見て友美は、だってぇと口を尖らして
「誰にも気持ち分かってもらえないって、辛いでしょ?神サマだって、良く頑張ったって言ってもらいたいんじゃん?」
 と私を見て笑った。


 私はそんな事を思い出していた。
 そこでやっと私は、何で友美が死んでしまったのか、少し分かった気がした…

 ねぇ、神サマ
 キット神サマも嬉しかったんだね
 だから友美を連れ去っちゃったんだね
 優しい人だったもんね。神サマだって一緒に居たくなっちゃうよね。
 素敵な人だったもんね。神サマだって好きになっちゃうもんね
 でもね…神サマ?ひとつだけ言わせて?

 私にとっても、大切な人だったんだよ?
 私のとっても、大切な人だったんだよ?

 私は隣の友美を見ながら、そう思っていた。
 私の視線に気付いたのか、友美は私を見て意地悪そうに笑って
「さっあずさ、帰ろっか!」
 と私に体当たりをしながら笑った。

 私と友美はいつもの帰り道を、二人で笑いながら帰っていた。
 中学時代、いつも二人で帰ったこの道。思い出ばかりで胸が今でも苦しくなるこの道。


 学校。校門。信号。木漏れ日。少しの坂。裏道。抜け道。大きな木。夕日。美味しそうな夕飯の匂い。いつもの野良猫。5時の音楽。バイバイの路地。一人で帰る道。今日のご飯は何かな?
 そんな時間。そんな時間にずっと、友美は傍に居てくれた。
 

 友美と二人で歩いていたら、急に雨が降り出して、私たちは木陰にかくれた。
 しとしとと、涙雨のように、今まで暑かった空気を、雨色に染めていく。蝉はまだ鳴きやまないで、夏を演出している。
 あーぁあーぁ。友美は、空を見上げている。そしてゴソゴソと鞄に手を入れた。


「私はねー、あずさと違って準備がいいのさっ!ちゃんと折りたたみ傘持ってるんだよっ。」
 と言って友美は鞄の中から、虹色の折りたたみ傘を取り出した。
「また派手な色だね。そんな色の傘恥ずかしくないわけー?」
 私はおどけてみせたけれど、私は知っている。これは私に最後に貸してくれた折りたたみ傘。私の宝物みたいな傘。
「いいのいいの。安かったしね。それに雨に虹色ってのも、反抗的でいいじゃん?」
 と友美は笑ってみせた。
「そうだね。すぐ雨なんて止ませてやるぞ!って感じ。」
 と私達はひとしきり笑い合った。

「さっ。一緒に帰ろー。相合傘だぁ!さっ早く入りんよ。」
 と言って、友美は本当に嬉しそうな笑顔で傘をめいいっぱい、高く掲げてアハハと笑っている。

「カップルみたいじゃん?」
「なんでよ。」
 そう、こんな瞬間が、一番楽しかった。こんな瞬間が、バカみたいな瞬間が私と友美の一番素敵な瞬間だった。
 それは今思うと、本当に儚くて、若くて漫画みたいな時間。
 きらきらした二度とない大切な時間だったんだね。この瞬間が恋しいよ。

「ねー。」
 と友美は言ってから
「あずさはさーいっつも一人で抱え込むじゃん?それって悲しいんだよねー。」
 急にそんな話をし始めた。
 この桜並木も春になったら、また満開の桜になるのだろう。でも友美はそれを後一度しか見られない。私たちが高校生になる時には友美は、もうこの世にいない。
 しとしと降る雨を大きな木の下、田舎道を相合傘で歩いてる。
「なんでも言っていいんだからね。ひとりで抱え込んじゃダメなんだよ?
あずさがね、本当の気持ちで誰かに話さなきゃ、本当は相手も、本当の気持ちで話せなくなっちゃうだからね?」
友美が私の方を見て
「私はそれが、すっごく心配。」
 そう優しく私に笑い掛けた。
 その時、友美の笑顔を見た瞬間、私は気づいてしまった。
 小さな折りたたみ傘をさしている友美の肩がぬれているのを
 私の方へ傾けた傘のせいで、友美の肩は濡れてしまっていた。
 

 それを見た瞬間、私は何故か急に泣き出してしまっていた。
 さっき急に降り出した雨のように、私の心は、友美の肩を見てしまってから、涙が溢れて止まらなくなった。
 すっごくすっごく、自分が情けなくなって。すっごくすっごく、友美の愛情を感じて。幼い私が苦しくって。

 友美にこんな夢の中でも、守られている
 そう
 私は守られてた
 ずっと、ずっと友美に守られていた
 友美が肩を濡らしながら
 隣で傘をさしてくれてたこと
 気づかずにいた

 あなたに甘え
 あなたに頼って
 あなたが肩を濡らしている事に気づかなかった。

 私を守り、気づかってくれているあなたに甘えていた。私の苦しみを傘で守ってくれながら、友美はいつだって肩を濡らしていたのかもしれない。


 私はなんだか、心で想っていた。


「誰かを『守る』ということは、こういうことなんだ。」って。


 人の強さなんて、決まっている。皆自分を守るのに精一杯なのに。
 苦しさの雨が降る中で、自分の傘を広げるので精一杯なのに。
 それでも優しい人は、苦しんでる人をそのままにできない。
 自分が濡れてしまうのを知っていて、一緒に傘に入れようとする。
 傍に寄り添って
 大切な人を雨から守り
 自分は肩を濡らしている

 それをそれをなんで
 私はなんだか当たり前みたいに想っていたのだろう
 優しさは、こんなにも尊い
 当たり前の優しさなんてものは、キットこの世にひとつもないんだ。

 泣きじゃくる私を見ながら、友美はおどけてこう言った
「なになにどうしたのー?そんなに良樹のことで辛かったー?」
 そう言って、ギュッとより私に体を寄せて、優しい声で
「今日は、泣いちゃおうか?」
 そう笑顔で意地悪な顔をした。

 夏。入道雲。プール。部活。補修。下駄箱。階段。廊下。窓。運動場。誰もいない教室。黒板。落書き。私の席。木漏れ日。君の席。
恋。制服。帰り道。夕立。友達。
 あの時の笑顔。


 その中にやっぱり、友美はずっといた
 ずっと私は、傍で守られていた


 友美は私に寄り添いながら、楽しそうに私に言う。

 いっぱい泣いていいよー
 涙はね
 水溜りになって溜まるけど
 泣き止んで
 笑顔って太陽がでれば
 その水溜りが乾いて
 虹が出るんだよ!
 涙は
 虹色の予感なんだー!

「いえーーーーい!」
 そう大きな声で言ってから
 虹色の傘をくるんと回した。


「私はね
 何度も、何回も聞くよ
 あずさの話
 何度でも、何回でも聞くよ
 だって大切な人だから。」

 そう言った
 私は本当に、この瞬間にこの大切な人を無くしてしまうのが、怖くなった
 どうしても、一緒に居たかった

 雨はシトシト降り続ける

「私、友美みたいな人になりたい…」

 私の精一杯の「大好き」

 友美はいつもみたいに、ギュッと体を寄せて

 うん

 私もね

 あずさみたいな人になりたいよ

 ありがとう

 そうやって
 みんな生きていくんだね

 出逢って
 大切な人ができて
 大切な人みたいに
 なりたいなぁって想いながら
 みんな一生懸命生きていくんだね

 ありがとう

 出逢ってくれて
 ありがとうね

 そう友美は笑って言った





「おかえりなさい。」
 私はマスターの声で目が覚めた。あれ?あれ?私は夢を見ていたの?
「思い出の世界は、どうでしたか?」
 マスターは優しい笑顔で私を見ている。
「えっ。さっきのは夢だよね?夢じゃないの?マスター私、この写真の時の夢みてたみたい。」
 そう慌てる私に、マスターは申し訳なさそうに
「ごめんなさい。しっかり説明もしなくて。キット、それは夢じゃないです。いや、夢みたいなものですけど。」
そう申し訳なさそうな顔してから
「実は秘密なんですが、あなたが飲んだ思い出のコーヒーは、思い出に還れるコーヒーなんです。」
 と小さくつぶやいた。
「えっ?思い出に還れるコーヒー?」
「そうです。このコーヒーを飲んだ方は、自分が一番戻りたいって想う写真の瞬間に戻っていくんです。」
 そう言ってから、マスターは優しく微笑んで
「あなたが来店してすぐにピンと来ました。キット、戻りたい時があるんだって。それでやっぱり写真を持っていたので、ちょっと意地悪してしまいました。ごめんなさい。」
 そう言ってマスターは申し訳なさそうに、少し頭を下げた。
 ちょっと信じられない。うん。全然信じられない。けど…確かにさっきまで、私は友美の横にいたんだ。そう思ったら
「そうだったんだ!マスターの意地悪―!そう知ってたら、もっと心の準備をして来たのに。アルバムとか持って来たのにー!」
 と私はおどけてみせていた。
「そうですね、本当ごめんなさい。でもキット、アルバムを持ってきたって、キットその写真の瞬間に還っていったと思いますよ。」
 本当に大切な瞬間って
 そんなにいっぱいあるわけじゃないですから
 そうマスターはつぶやいた。


「マスター私。やっぱりね。あの時に戻っても、大切な人に、守られてばっかりだったよ。」
 私はついそんな言葉をつぶやいていた。こんな気持ちでいたんだって、自分でも気づかない程の気持ちを。
 キット、分かっていたんだ。だけど、今でも頼ってしまっている自分に、なんだか恥ずかしくて、言えなかったんだ。
「素敵なことだと思います。」
 マスターは夏空を窓越しに見ながら、私に笑いかけた。
「どういう意味です?」
 そう聞く私に
「守る人も、守っていることで、自分も守られているんだと思います。それだけで暖かくなれる心がありますから。」
 そう言ってくれた。
「それに、あなたも知らず知らずに、守っていたんじゃないですか?」
 マスターは少年みたいな笑顔で、こう言ってくれた


 私のおばあちゃんが言っていました
 大切な人の前では
 子どもみたいな心でいなさいって

 おばあちゃんの目みたいに
 大人になって
 遠くならハッキリ見えて
 近くになると、見えなくなる
 そんな大人になってはダメよ
 大切な人の前で
 一生懸命笑って
 大切な瞬間に
 一生懸命愛しなさいって

 本当に大切な瞬間って
 そんなにいっぱいあるわけじゃないのよ

 そう言ってマスターは笑った

「マスター。思い出ってなんであるんだろうね?」
 私はふと聞いていた。
「こんなに色んな思い出があってさ。思い出すだけで、胸が痛くなる思い出も、今でも私を励ましてくれる思い出とか…いっぱいあるじゃん?思い出って、なんであるんだろうね?」
 私の質問は本当に抽象的で、答えなんてないように思えた、でもマスターは
 わかります。そう言ってから、窓の外の入道雲を見上げていた。将来を夢見るような、少年のような顔で。
「私もとっても考えたことがあるんです。なんで思い出ってあるんだろう。思い出ってなんだろうって。」
 マスターは優しい目で私を見ている。
「私はずっと、思い出に還れるコーヒーを出してきました。でも、それって本当は、自己満足なんじゃないかって。本当は、思い出になんか戻らない方がいいんじゃないかって。」
「だって。」そう断ってから、私に少し真剣な顔で
「辛い思い出だって、人には多いでしょう?」
 そう言った。
「でも、そんな事を悩んでいる時に、おばあちゃんがこの店をやっていた時からの常連さんに、教えてもらったことがあるんです。」
 そう凄く嬉しそうな顔をした。
「えっなんて?」
 思わず私は聞いてしまう。そんな私を見て、マスターはすっごく嬉しそうな顔をした。
 外はすっごく暑そうに蝉時雨が続いている。
「その常連さんも、過去にひどい経験をされたみたいです。
それで、おばあちゃんにいっぱい話を聞いてもらってたみたいなんです。
その時、おばあちゃんに、思い出すだけでこんなに苦しいなら、思い出なんてなければいいのに!って言ったそうなんです。」
 そう一息ついて、にっこり笑って
「そしたら、おばあちゃんは…

 思い出と言うのはね
 あなたの全部なのよ

 って言ったそうなんです。」
「全部?」
 私は思わず聞き返した。
「はい、

 思い出とは
 あなたなのよ

 って言ったそうです。

「どの思い出が無くなったって、あなたじゃなくなる。あなたが今いるのは、その思い出たちのおかげなのよって。」
 うーんと頭を悩ましている私を見て、おかしそうにマスターは微笑んでいた。
「その常連さんも、こんな辛い思い出ばっかりなら、私なんて、ろくでもない人間なんだ。私は私をやめたいよ。って思わずおばあちゃんの前で、泣いてしまったそうなんです。
その気持ち僕もよく分かります。」
 マスターはそう私に言った。
 うん私も、分かる気がする。
 自分で自分の過去を愛するのは、とってもとっても大変なことだから。
 マスターはゆっくり語りだした
「そしたら、おばあちゃんは手をとって、ゆっくりさすりながら、言ってくれたんだって、常連さんは嬉しそうに教えてくれたんです。」


 分かるよ
 とっても分かるよ
 辛かったんだもんね
 苦しかったんだよね
 今だって、そんな辛さが
 悔しかったり、寂しかったり
 どうしようもないんだもんね

 分かるよ
 思い出って
 苦しめたり、暖めたり
 自分の思い出なのに
 上手に扱えないことばかりだからね
 
 分かるよ
 分かるよ

 でも
 だからね、ひとつだけ覚えておいて
 これは大切なことだよ
 覚えておいて
 思い出は捨てられないの
 そしてね

 思い出ってのはね
 つくるためにあるの

 思い出はね
 つくっていくものなの

 あなたの苦しい思い出の分
 これから、優しい思い出がつくれるの
 今までの過去と、同じくらい
 未来はまだ続いていくの
 だから、思い出はね

 過去を受け入れ
 これからの思い出を
 つくりなさい

 ってことなのよ
 少しでも素敵な思い出をつくりなさい
 それが明日のあなたになるのよ

 人間は弱い生き物だから
 懐かしい思い出に足を引かれるわ

 でもね
 思い出は
 これから
 つくっていくものなの
 
 だから今はいっぱい泣きなさい
 明日はね
 新しい一日なんだから


 そう一気にマスターは言ってから、
「素敵な言葉ですよね。
 思い出とは
 つくるもの
 なんだか希望が持てます。」
 と笑って言った。

「だから、この言葉を教えてもらってから、私の思い出に還るコーヒーも、なんだか自分でも受け止めれるようになりました。キットこのコーヒーは、自分自身を再確認して、新しい一歩を踏み出すためにあるんじゃないかって。」
 だから頑張れるんです。そうマスターは笑った。

「ねぇマスター。またあんな親友に出逢えるかなぁ」
 ふいにそんなことを言う私にマスターは、
 優しく私を覗き込む。
 大好きな人がいたら。その人はずっと心にいて、やっぱり私を励ます。
 それでも、その人は傍にいない。
 そんなジレンマは、ずっと心を硬くするんだ。
 でも、やっぱり進まなきゃいけない。


「キット出逢えますよ。出逢いは偶然じゃないですから。」
 それに…マスターはそう言って
「出逢いは、自分で意味を付けれます。」
 と優しく言った。
 えっどうゆうこと?そんなマスターを不思議そうに見る私に、マスターは優しく語りだした。
「だって、優しい人に出逢うより
 出逢った人に、優しい人って思われたい
 素敵な人に出逢いたいって思うように
 出逢った人に
 素敵な人と出逢えたって思わせてあげたいと僕は思います。
 出逢いは、神サマからいただくものですけど
 出逢った意味は、自分の心で決めれますから。」
「誰だって、素敵な出逢いが欲しいはずです。自分がそうであるように。なら自分が精一杯、そんな相手であるように…
 出逢うことができた、出逢わせていただいた人に…
 幸せをあげれる人にならなくちゃいけないですよね。」
 そう言って
「かっこつけちゃいましたかね?」
 と、友美みたいな意地悪な笑顔を見せた。


「また…来てもいいですか?」
 私はなんだか恥ずかしそうに、マスターに訊ねてしまった。もう思い出に戻りたいなんて、想わないけれど、ただまたここに来たいと思ったから。

 そんな私を見て、マスターはすっごく嬉しそうな顔をして

「えぇ、ぜひまた来てください!
 その時は
 思い出の話じゃなくて

 これからの話を。」


 そう言って、嬉しそうに笑った。

 私はカフェを出た足で、そのまま友美のお墓に向かっていた。さっきまで一緒にいた友美に「ありがとう」と何かを伝えなきゃいけないと思ったから。
 夏の空は、少しづつ雲を増やして、さっきの帰り道のように、雨を降らそうとしていた。

 友美のお墓に着いた時には、しとしと雨が降っていた。
 私は、鞄の中から、折りたたみ傘を出す。
 友美が最後に貸してくれた、虹色の傘。
 私は精一杯空にかざした


 友美!
 私は今誓うね!
 私はあなたが大好き!
 ほんっとぉに大大大好き!
 だから、あなたの思い出と共に
 これからも生きていく!

 友美を忘れたら、私じゃないから!

 でもあなたに弱音ばっかり言わない!
 私は友美がしてくれたみたいに
 いっぱい皆に優しくする!
 誰かの思い出になる!

 私はこれから
 私の思い出をつくるんだ!

 あなたはもう
 私なんだから!
 私は、あなたと生きていく

 思い出とは
 私なんだ

 だから一緒に
 新しい思い出を
 つくりにいこう


 その時、しとしと降っていた雨がふっと止んで、晴れ間を空が見せた。
 青く、希望みたいな、小さな光。
 その晴れ間に、私は虹色の傘を当てる。

「虹色の予感だーー!」

 友美の言葉を叫んだ。
 ミンミンミー
 ミンミンミー
 また夏がはじまる。
 夏はいつだって、暑い。

 いつだって
 ここからだ
 今からはじまる

 そうだ苦しくなったら、このおまじないをしよう。
 私は思い立って虹色の傘を肩においた。

 息を目いっぱい吸い込む。胸がドキドキ音をならした。
 それでも大きい声で叫ぶんだ。

「はじめのいーーーーーーっぽ!」
 
 ピョンと小さく前にジャンプした
 風がふっと笑った気がした


 人生は失うこと
 そんな風に思ったけど
 それと同じくらい
 いや、それ以上に
 今日も世界は
 広がっていく


 ほら
 友美
 ほら
 見てる?


 新しい
 思い出が
 できたよ


 新しい
 思い出を
 つくったんだよ


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