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はたらくとは生きることそのもの

働くって現代では「収入が伴うもの」との共通認識が強いように思いますが、本来の意味では人が動くことすべて、結果は金銭とは限りません。漢字の成り立ちからしてもそう理解が出来ます。ボランティアも仕事です。そしてもうひとつの意味は既にフローレンスの駒崎さんが語っていました。

諸説ありますが、「働く」の語源は「傍(はた)を楽にする」だともいわれています。「はた」というのは他者のことです。他者の負担を軽くしてあげる、楽にしてあげる、というのがもともとの「働く」の意味だったんです。

人間とはかくあるべき

なんて偉そうなことを物語るつもりはありませんが、初心に還るのは大事なことなのでお付き合いください。
幾千万年前にサル・霊長類から人類亜科が誕生し、木から降り、肉食獣のおこぼれとして骨の中の脊髄を貪る生物になりました。また道具を使い、ストローのようなもので脊髄を吸い、やがては群れでマンモスを狩る協力を得、地球上で最強の生き物になりました。さらには食料を乾燥させて保存したり、獲物が少なくなれば植物を育てるようになりました。人間は生き残るための知恵を備え、一人を個とせず集を個として、その存在を人たらしめてきたことは間違いありません。
ですから、「はたらく」の根幹には、何よりもまず生きるために知恵を絞り、行動することが大前提です。そしてもうひとつ、人は一人では生きていけません。社会に関わり隣人の役に立ち、協力することが必要です。

77億(550億)通りの人々がそれぞれのはたらく

現存する人口も、有史以来の全人類もとてつもない数で、一人ひとりのヒトの考えはそれぞれ違っていて想像もつきません。一人がイメージできる他人の考えなんてせいぜい100程度でしょう。人は元来臆病なので、弱肉強食を弱者として生き残ってきました。進化の過程で得た未知のものに恐怖する脳は簡単には解脱できなので、自分の理解の範疇でレッテルを貼るのが好きです。自分の尺度で他人を判断します。
ですが人間は進化の過程で莫大な脳みそを与えられ、本能に抗う理性を手に入れました。レッテル貼りは実に野蛮な行為で、それぞれ自由に生きる権利が人類の一員として課せられているので、誰もが自由にはたらいていいし、借金してパチンコばかりやっていてもいい。なんなら何もしなくてもいい。他人の行動を誰も否定などできないのです。

働きアリの法則は間違っていた

コロニー(集団)の中に必ず2~3割いる働かない働きアリは、他のアリが疲れて動けなくなったときに代わりに仕事をし、集団の長期存続に不可欠だとの研究成果を、北海道大などの研究チームが16日、英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に発表した。

全てのアリが働くコロニーだと早く滅びる可能性が高まるそうです。いざとなればどのアリも(もしかしたらキリギリスも)ちゃんと働くんですね。

例えば群れで生きる犬の場合

ライオンもオオカミも、多くの肉食獣は群れで役割を担当し、狩りを行います。あるものは囮として嵌める点へ誘導したり、あるものは潜んで隙を狙い、致命傷を与えたり。
特に犬と人は長く共に過ごし、有史以前より獲物を捕獲したり、羊を追い込んだり、そりを引いたり、湯たんぽ替わり(互いに)にしてきました。

うちでも犬を2匹飼っているのですが、飼っているという言い方もおこがましいくらい、彼らの基準に助けられていることを日々実感しています。
特に黒い方ですが、怒る理由はほとんど「どこ行くんだよ」と吠えるんです。いつも一緒に居たい、少しでも同じ時間を過ごしたらそれはもう家族で、外出した際に遊んでくれた店員さんにも離れるときは必ず吠えます。そして短時間でも留守番をさせて、帰った時の時の迎え方といったらたまりません。
だから朝晩食事の準備をするのもトイレのたびに拭いてあげるのもおもちゃで遊ぶ拍子にちょっと噛まれたりするのも全く苦になりません。
ちなみに白いほうは誰かが出かける準備をすると「はにゃにゃにゃにゃにゃにゃー」とパニックになります。表現は違いますが、人も似たような傾向がありますよね?そういえば父は黒い方みたいに怒る人です。

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黒い方がヨークシャーテリアのチェロ、白い方はマルプーのピアノ

集団として群れる生物の根本

もう少し歴史をさかのぼって、生物が有性生殖を創めたのはなぜか。それはシンプルに滅びないためです。単性生殖(分裂)ではその性能に大きな変化を与える可能性は低く、例えば0℃で死滅する生物がどれだけの数に分裂しても0℃以下になれば絶滅してしまいますし、ひとつの個体が長く生きていれば傷が増え劣化していきます。
なので別々の個体同士が異なる個性を掛け合わせて、新しい生命を生み出すことにしました。2重らせん、遺伝子の誕生です。
やがてはオスのカマキリのように役割を終えた個体は吸収されたり、鮭の母のように還った子の代わりに食べられるように次の個体へと譲り、我々が使っていると思っているひとつの生命も、紡ぎ紡ぐための一時的な器に過ぎず、よりよく生きるためのひとつの可能性として今を生きるために存在しています。
「右に倣え」から「個性を大事に」日本も戦後破壊された文化を改めて見直す時期が来ています。
そして人間は特に集の力で生き抜いてきた生命ですので、人類史では常に奪い合ってきましたが(資本主義の原理もそうですが)、数は増えても隣人を愛し、同じ種族同士協力して発展した方がさらに幸福な未来が在ると思いませんか?

社会に関わらないと独りでは死んでしまう

ホンマでっかTVで植木先生が話されていましたが、旧ローマ帝国のフリードリヒ2世が行った実験で、赤ちゃんの頃から大人がコミュニケーションを取らないと何語を話すようになるのか、結果2歳前後ですべての子供が死亡してしまうという悲惨なエピソードがあります。
科学的なエビデンスは「話しかけない、目も合わせない」といったルールに基づいた結果ですが、おこがましくも見出しには推論を立てさせていただきました。
ヒト以外の論文は見つかりませんでしたが、人間は特に社会性を、関りをもつことをその生命に課せられているように思います。

「働く」の語源は「傍(はた)を楽にする」

食べ物を狩ったり育てたりと、人の手でやらなければならない本当に必要なもの、それから芸術やおいしいもの、それを語る豊かな時間を得るために協力し合うため、誰かが誰かのためにはたらきます。あるいは、人間のエゴかもしれませんが、同じ地球上の生命体として人間以外とも共生しています。そこにお金を出して協力する人がいます。

お金が発生しなくても構いません。多くの名作絵画を残した画家も、名曲を生み出した作曲家も、生前良い生活を送ったという人は少ないのです。
発明やひらめきは考えたから出てくるものではありません。経験の組み合わせから生み出されるものです。音楽ですらそうです。特に近代の音楽家は戦争・亡命で安住できなかった思いを糧に創作したという人が少なくありません。ですからお金で買える経験よりもむしろ、お金で買えない経験の方が価値を生み出しているのかもしれません。
また歴史に名を残さなかった偉人や芸術家も多数いるでしょう。私の世に趣味で音楽をやっていても、有名な先生に習ったりします。そういった人たちも誰かと影響しあっていて、もしかしたらゴッホやピカソに多大な影響を与えたかもしれません。
或いは自らこういう芸人さんがいました。「私たちのみっともない姿を見て、こいつらよりましだと思ってもらって世間の方々に元気を与えてんだよ」と、一見自分を卑下されているようですが、自らの役割を客観的に分析し、面白おかしく見られるよう振る舞うまさにこれこそ芸人の鏡だと思います。

誰かの役に立つこと、というとおこがましい気がします。
利己と利他はおなじという考え方があります。人とかかわり役に立ちたいと思うことは前述の通り、生命として育まれた当たり前であって、誰かにやらされるのではなく、自分が思う行動をすること自体がすべて「はたらく」なのではないでしょうか。

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