私の初めの記憶は、温かい家庭とはほど遠いパチンコ屋の寮の狭い部屋の中だった。そこで一人ぼっちで一日を過ごすそういった少し悲しい記憶だ。 そんな私を不憫に思ったのだろう。景品交換所のおじさんが私の面倒を見てくれるようになった。はじめは新聞紙や竹を使ってのおもちゃ作り、景品のあまりのビーズのネックレス作りのせっとで遊んだりした。5歳ぐらいになるとおじさんと一緒に店の掃除をしたり、磁石を使って店の中のこぼれ球を集めたりするようになった。子ども心に人の役に立っているということが誇ら
[夏休み] 今日で息子の夏休み終わる。 毎日バタバタして少し自分の時間ができるなと思う反面このコロナ渦で学校に行かせないといけない現状。 二学期と言う生活に不安が募る。 どうか、子供達の学校生活が守られますように。
【亀虫出没】 息子が4歳の頃のこと(今は6歳) 旦那の実家で夜寝る前に亀虫が出没し(旦那の実家は山の近く)私がプチパニックになっていると息子が「亀虫からママを僕が護ったる!!」と言ってくれた。そして息子は旦那にそっとハエタタキとティッシュを渡したのだった(笑)
近くの公園につくと私は相談所の緊急連絡番号に電話をしていた。だれでもいい話を聞いて欲しかった。当番の人に繋がって現状を手短に伝えると相談員さんが急いで私のところに来てくれてこの間まで泊まっていたビジネスホテルとは別の旅館に案内してくれた。とりあえずそこで一泊して翌日、迎えに来てくれると言う。詳しい話は明日聞くが、母親からの電話には出ずに待っていて欲しいと。念のため翌日、送迎に来る際に連絡を入れるが一人で勝手に相談所には来ないよう念を押された。そう聞くと部屋につくまでに大変な
私たち親子は行く当てもなく、ただただ電車に乗った。幼少期から転々と移り住んだ中でも一番長く住んだ場所から住むところと働く場所を探して。でもそれは決して楽なものではなかった。住所を持たず、大した職歴もなく女二人が世間に出るには世の中そんなにやさしいものではなかった。今思えば、母親と別々の道を歩むという選択肢が私にはあったのかもしれない。しかし、私には母親と一緒に生活するという選択肢しかなかった。なかったというよりそれ以外の生き方を私は知らなかったし、自分で働いたお金を自分のた