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ビリーの魔法


いつしか人の味覚は、感情だと思うようになった。

小さい頃に怒られ泣きながら食べた飯は、それが例え大好きなカレーでも不味かった。

大切な人との別れの日に食べた飯の味は、無味だった。

好きな人と楽しく話し食べる飯は、カップラーメンでも最高の味がした。

人の味覚には、感情という味が上乗せされるのかもしれない。

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アメリカ中西部の北に位置するミネソタ州最大の都市・ミネアポリスから車で20分ほど西へ行くと、ウェイサタ(Wayzata)という街がある。
中心部のビジネス街から少し離れた、静かで小さなレイクタウンである。

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ミネアポリス周辺は地図を拡大して見るとわかるのだけど、大小含めた湖がとても多い州で、その数は1万を超える。
乾いた空気が印象的なテキサス州やネバダ州等と比較すると、水が豊富で緑の多い、美しい都市だ。

以前、仕事でミネアポリスに滞在する機会が多かったのだけど、週末のある日、取引先の仲間達が一度連れて行きたい店があるという事で、仕事帰りに皆でウェイサタへと向かった。

”Wayzata”なんてちょっと変わった名前だなぁと思ったが、起源はネイティブインディアン(スー族)のダコタ語に由来するという話だった。

ウェイサタの街も、もれなく大きな湖に隣接していて、湖面に照らされた淡い夕陽が印象的だった。

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季節はゆっくりと秋に入っていて、週末の夕方に夏と秋が混ざった風が身体を通っていくだけで、不思議と気持ちが軽くなった。
街は既に多くの人で賑わっていて、公道にまで車が溢れていた。

ウェイサタへ向かう途中、車中で今日はどんな料理の店に行くのかと尋ねると、皆が一斉に悩み始めた。

「えっと…何料理なんだろう」
「日本?アジアかな?いやイタリアン?」
「ジャンルを訊かれると悩むね。強いて言うなら「その店」の料理だ」
「色んなモノが混じっているよね」

そう口々に説明する仲間を見て、僕はちょっとだけイヤな予感がした。

これだけは仕方のない事なのだけど、アジア人である僕の為を思ってくれての事だと想像するが、海外に行くと寿司屋”風”のお店や和食”風”のお店を案内される事がある。
エリアによっても違いはあるのだけど、ここアメリカに至ってはロサンゼルスやサンフランシスコなどの大都市以外で行く”和食系”というのは、概ね怪しい店が多かった。

よく見ると全く日本語にもなっていないメニューがあったり、何でもいいから揚げればテンプラだと言い張る店があったり、そもそもアジア料理なのかすらもわからない不思議な料理が出される店、というのを度々経験していた。

数軒の飲食店が建ち並ぶレストランの駐車場へようやく停めると、目の前には大きな黄色の看板で『Baja Haus』と書かれた店へ案内された。

最近起きた出来事の笑い話をしながら店のドアを開けた瞬間、その話題が一瞬でかき消されるほどのテンションで、店のオーナーであるビリー(Billy)が、両手を挙げてほぼ”咆哮”した。

「Baja Hausへようこそ!!! オーナーのビリーです。今夜は楽しんでいって!Happy Friday!!」

少し小太りのビリーが満面の笑みで言った。
僕は開いた口が塞がらないまま少しあっけにとられていると、同僚の女性がケラケラと笑いながら言った。

「彼はいつもああなのよ。」

ビリーはモンゴル出身で、見た感じは50歳前後だろうか。
ちょっと小太りでとてもひょうきんな彼は、憎めない笑顔の持ち主だった。

店内を見渡すとほぼ満席状態で、僕はなぜかそれだけで少し安心した。

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店内の印象は、とにかく明るかった。
Bajaと名付けられた通り、カルフォルニアをイメージしたと思われる装飾は、週末のレストランにとても似合っていたし、ビリーに早速その事を言うと、

「天井の自転車は予算の都合で全て子供用なんだけどね」

と冗談を言いい、皆が大笑いした。

ビリーはどのテーブルに行っても客とハイタッチをしたり、写真を一緒に撮ったりしていて、きっとこの街の人気者なのだろうと思った。

メニューに目を向けると、そこには確かにジャンル分け出来ないメニューが並ぶ。
中にはイカの醤油煮まであって早速それを頼むと、しっかりショウガも効いていて、まるで日本で食べる味そのものだった。

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僕は敢えて、この店は何料理がメインになるのかと尋ねると、彼は笑顔で言った。

「食べた人が喜ぶ料理さ」

と、それだけ答えた。

仲間の1人が店の常連だったので、少しだけ彼の事を話してくれた。

ビリーは色んな国へ行って修行をしたんだ。
ドイツ、香港、トーキョー、メキシコにアメリカ、イタリアもあったんじゃないかな。
彼はそのいい所だけピックアップして、全部ビリー風にしちまうんだ。

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確かに次々とサーブされる料理は、どこの料理とは言えないモノが多かったが、食材の組み合わせや味の濃淡は繊細に、丁寧に工夫されていて、まさに”ビリー風”という言葉が似合った。

料理に使用される豆1つをとっても、しっかり煮付けたチリコンカンから、うずら豆、ひよこ豆、金時豆、ブラックビーン、レンズ豆…すべて調理法が違った。

一通り頼み、1つ1つの料理に感心していると、ビリーがやってきてアツシは日本人かと訊いてきたので頷くと、暫く待っててと言い、店を出て行った。

10分もしないウチに戻ってきて、ビリーの手にあったのは見紛う事の無い、寿司があった。
僕はそれを見て、驚く前に思わず笑ってしまった。

「トーキョーはね、とても厳しかった。けれど、楽しかったんだ。」

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そうお茶目に笑うビリーを見て、彼が持っている料理の”基礎”の恐ろしさに気づいた。
そして彼はその事を一度とて、人前でひけらかす事は無かった。

それからすっかり気に入ってしまった僕は、何度か彼の店を訪ねた。

ある時は小さな女の子のバースデーだったのだけど、どうにも機嫌が悪く、店に入った時から泣いていた。
ビリーは全てのテーブルをほったらかして彼女に寄り添い、どこから持ってきたのか、店の奥にあったおもちゃを大量にテーブルに並べた。

彼女が笑うまでビリーは話しかけると、店内は大勢の人達が拍手をして盛り上がった。

彼のホスピタリティは、そこにいるだけでみんなを元気にした。

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彼の手にかかると、使われる食材が踊っている様に見えた。

ビリーの料理はどのジャンルにも属さないし、属さなくていい。
ただ、機嫌が良いと料理が美味しくなる事を、彼は誰よりも知っていた。

「僕の店に来てくれた人は、全員が料理で幸せになって欲しい。それだけ」

そう口癖のように言うビリーの店は今日も、人々の笑顔で溢れているに違いない。

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Baja Haus
LOCATION : 830 Lake Street East Wayzata, MN 55391

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