ギャスパーノエ『VORTEX ヴォルテックス』感想 本当の主役は、部屋

新宿のシネマカリテというミニシアターで本作を見たのだが…函が暗転してからの、いきなりの本編上映で、なんと予告が一才ない。おー珍しい。あの映画盗撮魔と盗撮絶対許さないマンの、すっかり見飽きたけど危機迫る攻防戦もない。ちなみに、本編前の予告編を楽しむマンの私は、この演出には度肝を抜かされたが、このヴォルテックスに関してはその選択は正解だと感じる。他の映画館もそうなのかな。

何の心の準備もなく、我々観客が放り出された冒頭では、こんなことが起こる。自室のアパルトマンのテラスで、仲睦まじく酒を飲み交わす年老いた夫婦の姿が映し出される。花なども咲き乱れ、幸福感に満ちたシーンから一転して、その夫婦の生活の中に、違和感が浮かび上がってくる。

ギャスパーノエという作家を論ずる上で、よく目にする、というかついて離れないワードがある。「グロ」とか「SEX」とかだ。まぁ実際、彼が作った映画ときたら、18禁指定のハードなグロやエロ描写のある映画なので、確かにそうした面があるのは間違ってはいないのだが…あまりに視野が狭い。実際にヴォルテックスの評論を読むと「グロとエロ描写を封印した」などと書かれているのをよく目にする。

ノエ監督はグロもエロも、必要におうじて使っているにすぎない印象を受ける。ノエ監督のインタビューなど読むとカルネもカノンもティーン向けに作ったと話している……本当か?

では、そうした描写のないヴォルテックスは、ノエらしい魅力に欠いた映画なのだろうか。さにあらず、本作はノエ映画から切っても切り離せない、街や部屋といった美術や背景へのこだわりや、それらを使った大変美しいショットを堪能できる。特に、主な舞台となる二人のアパルトマンの部屋、これが大変良い。劇中のセリフで示されているように、映画や本を愛する者が、長い年月をかけて作り上げた部屋だと分かる。ノエはそれを暖かななタッチで描いている。

フランスのダークサイドを描いたカルネ、カノン、そしてアレックス。そして、東京を舞台に移したエンターザヴォイドしかり。意外すぎるカメラ位置とか、奇抜なカメラワークを駆使しノエ監督は、現実よりも奇妙で、何よりも美しい空間の創出に成功している。それこそ、劇中で言及されるように、どこか現実に似て非なる夢のようである。

また、本作ではスプリットショットと呼ばれる、まさに文字通り画面を分割するという変化球を投げてくる。例えば同じ場面を、敢えて2つのカメラを使い微妙に異なる視座で見せるといった工夫は、ある部屋の一画の、異なった2つの表情を同時に映すという試みにつながっている。まるで、合成される前の3D映像を横に並べたような奇妙なシーンもある。前作ルクスエテルナ永遠の光から使い出した手法で、この作品では使用意図がいまいちピンとこなかったが、ヴォルテックスではしっかりと機能している印象を受ける。

そうした意味で、夫婦のこの部屋は、本作の重要な登場人物としてカウントしてあげたいのである。

本作には人間に対する暴力シーンこそないのだけれども、ノエの残酷さは作中でしっかり発揮されている。そう、部屋に。クライマックスには、結構な仕打ちを用意する。ノエっぽくいえば、感受性を破壊するというやつだ。

ここは結構クるのだ。私はけっこうショックを受けた。ダリオアルジェント演じる夫のように、あるいはついつい本を買ってきたは溜め込んでしまいニコニコしてるそこのあなた。しかしこの演出は劇中最も好き。そして劇中一番残酷。ノエはグロを描かなくても残酷さを描けることを証明してしまった。やめてよ。

ノエ映画の登場人物というのは、時に、そうした街や家や部屋の添え物のような存在にも思える時がある。娘に欲情する肉屋、アレックスのモニカベルッチ、クライマックス(これはノエの前前作のタイトル)の常軌を逸した舞踏シーンを披露したあのダンサーたちなど、ノエ映画に登場する人間は誰もが存在感に満ち満ちている反面、彼らを取り巻く土地や家は、そうした登場人物たちすら飲み込むほど異様な姿を見せることがある。これこそが、私にとってのギャスパーノエ作品の魅力に他ならない。

お話らしいものはなく、認知症の症状が進むにつれておかしな行動をとる妻と、自治体や福士に相談するでもなく、周囲に助けを求めるでもなく、黙々と仕事をこなし自身もまた重い病に犯されている映画評論家?の夫の生活が断片的に描かれる。いつまでも続くと思われたその生活も、やがて来るべき終わりを迎えることになる。

ノエの映画は色々とぶっ飛んでいるように反面、見ていると意外とわかりやすい教訓や警告も浮かび上がってくる。本作のばあいは、目の前に差し迫った問題を先送りにしてはいけない、異変を感じたらすぐ相談したり、福祉に繋げないといけない。自分の中で問題を溜め込んではいけない…といったことを守らなかったばかりに坂を転げ落ちるように転落する様子は、全く人ごとではない。

ついでに言うと、タイトルのヴォルテックス(渦)の言葉が回収されるのは、2ポイントだ。一つは、ラストの浮遊感のあるカメラワーク。もう一つは、妻が薬を捨てるシーン。よく見ると、確かにヴォルテックスだった。

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