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近江商人の哲学 山本昌仁著

近江八幡にある「たねや」について、社長自ら記述した本になります。

先日、ラコリーナ近江八幡へ行きました。
目的はクラブハリエのバームクーヘンを食べるためではなく、素敵な建築家、藤森照信さんの建築を拝見、実感するためです。

ラコリーナ近江八幡に行くまでは、「たねや」という会社のこと、クラブハリエが、たねやから派生してできた会社であったことも知りませんでした。

こちらの本の前半の印象としては、少し自慰的な文章が多く感じられ、読んでいて面倒な気持ちになってきたということです。

我が一族凄い、近江八幡凄い、近江商人凄い、といった感じで自分や周囲を礼賛しまくっている内容に、読み手の事を考えているというよりは、自分の事を自慢したいだけ、に感じられました。

しかし、中盤に出てきた、近江八幡の代表的な歴史的景観である『八幡堀』についての記述を読み感動しました。
電車が通り、車社会になるにつれ、それ以前までは重要な物資輸送の1つであった船の通る八幡堀は見捨てられ、ゴミやヘドロが溜まり、悪臭立ち込め、蠅や蚊がうじゃうじゃわき、住民を困らせていた。
なので、議会で埋め立てを決議しが、それに反発したのが地元の青年会議所であり、ただ反発するだけではなく、自ら行動したということ。
自分達で八幡堀を綺麗に清掃し、住民も始めは馬鹿にしたりゴミを投げつけたりしていたが次第に協力するようになり、最終的に議会は決議を取り消し、八幡堀の保全に務め、1991年には国の伝統的建造物郡保存地区に選定されました。

現在、日本の地方では、林や田畑が埋め立てや更地にされ、巨大な物流倉庫や工場が次々に建てられています。
田舎の美しかった風景が、その様に変わり果てていくと、地元を愛する気持ちもなくなり、若い世代から順にさっていくでしょう。
地方の過疎化を嘆いている自治体は多いですが、工場誘致などにより地元の魅力を劇的に下げていれば、人が去っていくことは明白です。
昔ながらの景観がなくなっていくのが辛く、悲しいことだと考えない、考えられない事にいい加減に気づくべきです。

現在の中年世代やそれより上の世代には、どうもその様な地元の景観を大切にする精神というものが欠如しているようです。
利便性や経済的な利益ばかり優先するあまり、その地域の将来性を潰している事を認識してほしいです。

たねやの社長である、山本昌仁さんは、その事を非常によく理解し、考え、行動しているということを、この本から見受けられました。

彼のような素晴らしい理念を持った経営者が一人でも多く、日本、とりわけ地方に生まれてほしく思います。

日本人の精神性は、明治維新、敗戦、バブルを経て、崩壊、堕落、落ちるところまで落ちました。
日本の美しいといわれいた自然や田園風景は破壊され、今となっては何が美しいんだ?と聞かれても閉口してしまう景色ばかりが目立ちます。

これからの世代は自分達の利益だけを求めるのではなく、地域や子孫の事を考え、行動していくべきだと思います。

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