消費者に届かない広告の無意味さ

広告は日々あらゆるところから流れてくる。スマホでニュースを見ていても、電車に乗っていても、テレビをふと見ていても、書店に入っても、大学の学食でご飯を食べていても、広告は嫌というほどやってくる。

広告を見ることには慣れてきたので別に不快になることはない。

広告の作り手たちは、広告作成に莫大な時間とお金をかけているので、広告をじっくりと見る癖がついている。私もその一人だ。

一方で消費者は広告をしっかり見ることはない。目に入って、頭の片隅にほわっと残る程度だ。どのチャネルで、どういったタイミングで、何回(〇〇ヶ月の間に何回といった感じで)作った広告を見せるかで消費者の行動は変わってくる。

じっくり広告を見てくれる人、つまり広告関係者界隈で盛り上がる広告ほど残念なものはない。一般消費者がSNSで盛り上がるものは良いが広告関係者だけがSNSで盛り上がる広告は広告というよりもはや芸術作品を展示してる個展にきているにすぎない。

クライアントの要望(売上責任をおっている人。ただのカウンターパートではない)を満たすもの、もっというとクライアントにとっての顧客を喜ばせるものでないと意味がない。エンドユーザーである消費者に届かない広告で喜ぶ人たちを見ていると、何のための仕事なんだろうとふと思った。

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