働くもの食うべからず。

大人になれなかった父親と、世間知らずな母親の元に育ったのにも関わらず、なぜか古風な考え方が身体中にこびりついてしまっていて。古風な自分を頭では滑稽だと思いながら、でも実際の思想行動は、とても古風なものばかりで。

「働くもの食うべからず。」

誰に対しての戒律でもなく、ただ自分に対する約束事のようなもの。どこで身につけたのかもわからないし、誰が教えてくれたのかもわからないけれど、「食う(贅沢する)」為には、それなりの対価を支払わないと駄目だという固定概念がどうも外れない。


ある意味、真実なんだろうと思う。努力をせずに欲しい物を手に入れることは難しいし、結果的に働かなければ食えなくなるのは至極当然のこと。ただ、環境や状況を無視して、ただひたすら自分だけに「働くもの食うべからず」を強制し続けるのには、何か理由があるようにしか思えない。

不思議なのは、自分以外には全く「働くもの食うべからず」と思っていないこと。他人様には各々の理由があり、世の中には働きたくても働けない人や、働いていても贅沢には縁遠い所で頑張っていらっしゃる方がいるという心が、何不自然なく湧き上がってくる。では、”自分はそういう「働きたくても働けない人」に該当するのではないか?”という問いに対して、例えば一時期米国滞在ビザの関係で働きたくても働けない時期があって実際に該当するのだけど、その時は、水道から出てくる水を飲むことさえ苦痛だった程。


問題解決者として

とても不思議な、ある意味では過酷な幼少期を通ると、いつの間にか第一子は「問題解決型」の役割を担う。多分僕も、その例に漏れず、自分が破綻したら全てが終わるという怖さを常に担っていたような気がする。壊れちゃいけない。だからこその自分なりの戒め。「働かざる者食うべからず」。

この歪んだ(自分への)固定概念を如何に外していくべきか。

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