自分語り

起伏の激しい人生だったようです。

人様に指摘されても気がつかず、結婚後の妻に可哀想と泣かれても腑に落ちず。

ある時ちょっとした怒りに我を忘れ、頭を壁にぶつけながらやっとのことで、あぁ私の人生はかくも起伏が激しかったのかと脳が理解したようなのです。当たり前の家族に、当たり前に育てられたと私は思っていました。


古風な考え方の元、厳しくしつけをする祖父。

お金こそが人生だと言わんばかりの(というか何回か口に出して言っているけれど)人生観を進む祖母。

大人になりきれない父親。

世間知らずの母親。


それぞれの家族の一員に、それなりの思い出が存在し、私が年齢を重ねる毎に憎しみや愛情の対象とその形は変化していきました。厳しい祖父がひたすら怖かった時期。中途半端な生き方をしているように見えた父親を許せなかった時期。お金だけに価値観を見いだす祖母に絶望を感じた時期。


思い返してみれば、母親への憎しみというのは存在しなかったのかもしれません。

喧嘩したこともあるし、言い争ったことも数え切れないけれど、それでも憎んで仕方がないという時期はなかったようです。ただのマザコンなのかもしれませんが。ただ、母親も若かった。世間知らずだった。経験が圧倒的に足りなかった。だから子供の頃の私は、生き延びるために工夫をしなければならなかったのです。人様の表現を借りれば、「モンスターの巣窟」のようであった家庭環境に順応し、私の未来を紡ぐための工夫を、無意識の中で作り上げる必要がありました。当時私は、工夫という単語すら知らないような年齢であったにもかかわらず。


私が父親になり、父親でありながら母親としての役割を担い且つ父親としての役割を妻に担わせる日々を迎え、やっとのことで脳の一部を現実色に染めることができました。現実に向き合う必要があったからです。葛藤の中から導き出した案。このご時世、父親でも母親でも、役割といった古風な考え方は持たず夫婦でひとつのチームとして子育てをしていくのが良案のようです。

ただ、チームで子育てをする場合、僕が頼るのは妻であって、僕が今まで頼り続けてきた、僕の中で工夫して作り上げた「彼」ではないのです。


起伏の激しい人生だったようです。

やっとで理解できました。もう少しこの考えを熟成させれば、「起伏の激しい人生でした」と振り返ることができるように思います。人様から言われて気がついたような表現ではなく、私自身の過去として振り返ることも可能であり、また必要でしょう。

そして、「起伏の激しい人生」はすでに過去にしなければならないのです。無形有形の多くの力を借りて、私と妻との家族で而立の歳を迎え、その一年目に家族が増えました。もう私の人生は、起伏の激しい人生でなくていいのです。


だからこそ、「彼」に別れを告げなければなりません。

ずっと私を守ってくれ、ずっと私に人生の指針を与えてくれていた「彼」に。

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