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1月27日(金)一龍齋貞寿独演会〜錦の舞衣〜@お江戸上野広小路亭

 筆者は柳家喬太郎師の「落語研究会」のDVDで本作を視聴した。プログラムを読むと、やはり喬太郎師に「この話やってみない?」と勧められたようだ。
 芸歴20周年を迎えた貞寿先生。今秋には喬太郎師と本作の俥読みをする公演も控えているようだ。

貞寿「錦の舞衣」(上)
※三遊亭圓朝原作。
 踊りの名手・坂東須賀は絵師・狩野毬信の描いた「静御前」を見て、「左手がまずい」と指摘する。静御前は踊りの名手。こんな手付きをするはずがない。これを聞いた毬信は上方へ絵の修業に出る。6年後に江戸に戻った毬信は再び「静御前」を須賀に見せる。須賀はこれを認め、二人は晴れて夫婦(めおと)になる。   ここら辺、悠長な気もするが、当時の男女はこんなものだったのかもしれないし、上手同士、離れていても認め合い魅かれあうものがあったのかもしれない。
 夫婦になったと言っても現代で言う「別居婚」であった。そんな折も折、大塩平八郎の乱の残党・宮脇和馬を匿った廉で毬信は捕まってしまう。
 ここまでが(上)である。貞寿先生、確かな語りで、お客をグングン引き込む。
ー仲入りー
貞寿「錦の舞衣」(下)
※毬信は日々、激しい取り調べを受ける。水をぶっかけられたり、重い重い石を持たされたり。取り調べを行っているのは与力・金谷東太郎。金谷は12年来、須賀に横恋慕していた。

 操を捨てて操を守る

 金谷の部下は須賀に常盤御前の故事を引き、毬信を救うため、金谷に身を任せるよう迫る。逡巡と覚悟。女性である貞寿先生にとっては微妙な心理描写だったと思う。見事やり切った。
 須賀は金谷家に伝わる脇差しー正真正銘の正宗、武士の真心を預かり、金谷と枕を交わす。
 だが、夫が生きて帰ってくる事はなかった。
 そして、預かった脇差はニセモノだった。これを知った時の怒り、諦め、狂気ーそれらの全てを含んだ哄笑であった。この時、須賀はある事を決断する。
  女ひとりの討ち入りだと思う。ひとりぼっちの義士は「女子の本懐」を遂げ、夫の眠る南泉寺へ向かう。
 貞寿先生渾身の2時間であった。ひとりの語り部として、本懐を遂げた。杵屋松紀三さんの三味線も素晴らしかった。
 終演後、お見送りに出られた貞寿先生にお声がけした。
私「とっても良かったです」
貞寿「ありがとうございます」
私「猫ちゃんによろしく〜😺」
貞寿「はい。遅くなっちゃってスミマセンでした~」

 ヴィクトリアン・サルドゥーの戯曲「ラ·トスカ」。後にジャコモ・プッチーニが「トスカ」として、オペラ化したが、圓朝師はそれよりも早く「錦の舞衣」として 翻案している。

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