1月19日(金)月例 三三独演(イイノホール)
朝枝 普段の袴
いい声だね。兄弟子の一之輔師がよく掛けているが、彼に習ったのだろうか。クスグリが若干違うようだが。
三三 居残り佐平次
元旦の能登の地震のために手拭いを販売することを告げる。その流れから、小田原の小学校時代の避難訓練の思い出を話す。1995年の阪神淡路大震災の時、三三師は前座修行をしていたそうな。私は、この年に社会に出た。三三師も私も1974年生まれの寅年。28年の時の重さにため息をつくばかり。そういえば鏡を見れば、三三師と同じようなところに白髪が見える。
上は来ず 中は昼来て昼帰り 下は昼来て朝帰り そのまた下は居続けをし そのまた下は居残りをする
2日前に鈴本演芸場で喬太郎師の『居残り佐平次』を聴いているので、どうしても比べてしまう。もちろん三三師は歌わない(笑)。
佐平次が勝っつぁんを口で持ち上げる場面。佐平次のヨイショに喬太郎師の勝は照れたような笑みになり、満更でもない表情で酒をすすめる。一方、三三師の勝は割とクールに酒をすすめる。役者もこなす喬太郎師は演劇的な表現を落語に持ち込んでいるのだろう。三三師はあくまで落語的表現で軽く演じているようだ。
佐平次と主人の対面の場面。
喬太郎師。主人は「ホントはいてもらいたいんだ。実は(佐平次のおかげで)儲かっているんだ」と本音を吐露する。
三三師。主人ははっきりと、いてもらっては迷惑だ、と告げる。
いてもらいたいのに追い出さなければならないパラドックスを喬太郎師は笑いに変えたが、三三師は、いたってクール。
クレージーキャッツが透けて見えるコメディ仕立ての『居残り佐平次』をこしらえ上げた喬太郎師と落語としての『居残り佐平次』を貫いた三三師。どちらがいい悪いではない。きっと目指す頂は同じ。登り方が違うのだ。
サゲは旦那の仏のような性格を利用したものとなっている。
ー仲入りー
三三 黄金餅
小説家・湊かなえ氏は「イヤミスの女王」と呼ばれている。イヤミスとは「読後、嫌な気持ちになるミステリー」の事である。これになぞらえていえば、落語の『黄金餅』『らくだ』は「イヤラク」と言えよう。三三師の『黄金餅』は「イヤラク」になっていたか?
願人坊主の西念が一分銀・二分銀をあんころ餅にくるんで飲み込むのを金山寺味噌屋の金兵衛がのぞく場面。金に気が残る西念とそれを見ている金兵衛の欲望が交錯する。「あんこ舐めなきゃいいのに」で笑った。
下谷山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺までの道中付。三三師はそれが言い立てであると感じさせない自然さで皆を木蓮寺まで誘った。拍手が巻き起こる。
「金魚〜金魚〜」のデタラメお経の後、金兵衛はたったひとりで西念の遺体が入った菜漬の樽を背負って、夜を走る。
天ぷらそばがどんな味か食ってみてえじゃねえか
芝居ってものがどんなものか観てみてえじゃねえか
それは金がありゃできるんだ
金さえあればあとは何でもついてくる。手段は選ばない。人の死さえ利用するやつらは現代にもいる。
焼き場にて。金兵衛は隠亡に「腹は生焼けで」と注文をつける。立川談志師はここで「ミディアムレアで」と言っていたっけ。
金兵衛が遺体の腹のあたりから金を取り出す場面。三三師は、いささかコミカルに演じ過ぎたのであるまいか?「『黄金餅』という新年に相応しいおめでたい一席でございます」という締めでは、滑稽感が漂い、笑いが起きた。この演出により、この噺が持つ陰惨さや壮絶さが減じられてしまった。私はもっとイヤな気持ちになりたかった。割り切れないモヤモヤを抱え込みたかった。そして、人間の業の深さに圧倒されたかった。談志師の『黄金餅』にはそれがあった。三三師の『黄金餅』にはそれがあまり感じられなかった。「イヤラク」としての趣は薄かったようだ。