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第28回栗好みの会 柳家さん喬独演会@深川江戸資料館小劇場

栗村智「ご挨拶」

※裏方に過ぎない席亭が図々しくもまだ誰も座っていないまっさらな座布団に座り込み(ひろゆきよ、これが座り込みだ!)、7分間も喋りやがる。オツゥきどって着物を着て、何が可笑しいのかニヤつきながら愚にもつかないうわ言を言う。この勘違いして舞い上がった席亭は「分をわきまえる」事を知るべきである。

左ん坊「道具屋」

※髪切った?お雛様の首が抜けるまで。

さん喬「時そば」

※師匠である五代目柳家小さんとのエピソードをマクラに振る。

蕎麦の発祥は意外にも大阪だという。それまで蕎麦がきだったものが、名店「砂場」で蕎麦切りになったそうだ(諸説あります)。その大阪では今やうどんのほうが主流であり、蕎麦は江戸の方で盛んになった。

「親ばかちゃんりん蕎麦屋の風鈴」

弁舌巧みな男が蕎麦屋から一文掠めとり、それを真似しした男が損をするお馴染みの一席。はじめからしまいまで、お馴染みのフレーズに連続に笑いっぱなし。「気障なこと言ってごめん」という科白自体が気障であり、つい笑ってしまう。さん喬師の蕎麦を食べるシグサは豪快でありながらも上品で見ていて気持ちいい。

さん喬「中村仲蔵」

※東京の落語界には前座・二つ目・真打という身分制度がある。芝居の世界(歌舞伎界)にもかつてはそれがあった。

稲荷下(稲荷町・人足などとも言う)・中通り・相中・上分・名題下・名題。

血筋が物を言う世界にあって、家柄のない者が稲荷下から這い上がるのは至難であった。

市川團十郎に見込まれて稲荷下から名題に這い上がった中村仲蔵。ある時、「仮名手本忠臣蔵」を通して上演する事になるが、仲蔵に与えられた役は「五段目」の斤定九郎ただ一役。当時の「五段目」は「弁当幕」と言われ、人気のない幕であった。しかも斤定九郎は名題下が演るような役。仲蔵は家に帰り、女房を相手に嘆く。だが、女房の説得によりお稲荷さんに日参し、役の工夫を祈る。そんなある日、盆をひっくり返したような雨に振られ、雨宿りに蕎麦屋に入る。そこへ旗本が飛び込んでくる。仲蔵は彼の姿に天啓を受けるのであった。

けなげだがしっかりとしていて旦那にもしっかり意見するおかみさん像は「芝浜」のおかみさんにも見られる。このような女性像がさん喬師にとって、ユングの言うところの「アニマ」なのだろうか?

「五段目」の芝居の場面では鳴り物が入る。さん喬師の所作が美しい。相当歌舞伎を観ているのだろう。

サゲでは再び女房が登場する。

ー仲入りー

さん喬「鴻池の犬」

※上方の噺を江戸落語に仕立てた。

とある商家の門前にクロ・ブチ・シロの三匹の犬が捨てられる。定吉の願いにより、飼われる事になる。定吉が特に可愛がっていたクロが上方の鴻池にもらわれていく。他の二匹に愛着のなくなった定吉はエサをやらなくなっていく。腹をすかせたシロのためにブチはエサを探すが大八車に轢かれて死ぬ。孤独になったシロは家を出て、伊勢参りを目指すハチとともに大阪は船場を目指す。箱根から富士山、海で遊んで、桑名を経て名古屋へ。ここでハチと別れ、シロは船場に行く商人についていく。船場についたシロはふとしたきっかけからクロと再会する。

犬の二人連れ(二匹連れ?)の珍道中が楽しい。「トットコトットコ」のリフレインがユーモラスに響く。鳴り物が入り、賑やかに。

一方、江戸っ子のクロはリーダーとなり、上方の犬達に慕われるのがおかしい。

人間以外の役を演じるさん喬師の表現力・想像力は喬太郎師にも受け継がれている。

思いがけないマヌケなサゲが可愛らしい。

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