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「疲れた」っていい

もういい、
さよなら

そんな言葉を最後にLINEが返ってこなくなり
電話にも出なくなったら
どう思いますか?

オーバードーズをした過去がある
相手だったらどう思いますか?


命と向き合っているような

うつ病を抱える方と向き合う他の人は
どんな風に感じているでしょうか…

僕の場合は
彼女に何かあると
また命に関わる何かが起きてしまうのでは
そういう気持ちになってしまいます

そんな時
あらゆる行動が正当化されます

非常識な時間に
彼女のお母さんに連絡を取り
どうか連絡してあげていただけないでしょうかと
懇願する

だって死んだら
後悔しかできないから。


結果は

たいていは何もなくて
むしろ
そんな行動を取ったことを非難される

命と向き合っていたなら
もっとまともな思考はできなかったのか…
そんな自責感すら湧いてくる

胸が苦しい
苦しい
苦しい。

「疲れた」

最終電車で彼女の元へ向かう
帰りは電車がないからタクシーだ

もう寝る

だから、意味はないかもしれない
そんな車内で1人考える
この苦しみの正体は

「疲れた」

と言えないことなんじゃないか?

「疲れた」

という言葉が
全てを終わらせてしまうような
絶対に言ってはいけない言葉のような

もし今その言葉を口にしたら
それはもはや言葉ではないかもしれない

言葉の代わりに
感情が音になって
堰から溢れ出て
飲み込まれてしまうかもしれない


そんな感覚になって
ずっと
押さえつけてきたのではないか?


でも、

人間なんだから「疲れた」っていいんじゃない?

「疲れた」ら休んで
「疲れた」って言って
また立ち上がればいい

ただそれだけなんじゃないか?


山に登って
疲れたからと言って
途中で辞める人はいない
辞めたって山から一歩も出られない
少し休んでまた歩き出す


帰ったら、
言ってみようかな。

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