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勘違いの裏側

日記

彼女が鬱と知って
いや、
これが鬱か?(本当のところはもうわからない)
と思った時から
少しずつ記録用に日記をつけていた

毎日ではなく
何かしらあった時期の前後まとまった期間
記録が残っている

日記は
無理はしなくてもいいけど
記録を残しておくのは
とても良いことなのでお勧めしておく

何があって
そうなったのか

記録としても有用だし
書いてるうちに自分を客観的に見れるので
少し落ち着くことができる

事実僕は何度も
そうして救われていたようだ。


彼女と向き合う

先日の記事で僕は
「うつ病という病気ではなく
目の前の彼女と向き合うべきだった」
そう書いたのだが

当初から
それを見失っていたわけではなかった。
日記の中でも
病気ではなく目の前の彼女を、と
何度も言及されていた。

これは
彼女の言動が
本人の本意によるものなのか
それとも
病気によるものなのか
分からなくなってきた事によるものだった。

これが一番苦しい問題だと思う。
そうして、
この問題すら問題にしなくなり、
病気のせいにしてしまったのが、
病気のせいにせざるを得なくなってしまったのが、
僕の問題だと思う。

自分の祖母が
この世を去る前に
家族に暴言を吐き始めたことがあった。
その言葉の一つ一つ
全てが病気による嘘だとは思わない、
心に全くないことが出てるとは思わないけど、
病気が原因で現実が歪んで見える
ことはあるのだと思う。

生活の何かを我慢したり
彼女のために何かをする
そんなことは然程苦にはならない

しかし
その一方で

彼女の言動に傷つくことが
増えていく

僕の場合は
プロポーズ直後1ヶ月突然の音信不通から
始まり、
以後、僕の立場の不安定さが解消されることは
これまでほとんどなかった。
合わせて、
彼女の状況が悪化すればするほど
自分が悪いのではという自己嫌悪も積み重なる。
彼女にとって自分で良いのかという不安は
自分が一番抱えている。

そんな状況下で
僕と一緒にいたくないのではないか、
本当は別れたいのではないか、
そう思わざるを得ないようなことが、
自分を否定されるようなことが、
何度も何度も重なる。

傷は残り
その傷が増えると
防衛本能が働きはじめる。

そんなことの結果がこの現実だと思う。

同棲後の生活

何とか2人で同棲まで漕ぎつけた

しかし、それが正解だったのか
いや、
不正解の原因だったのか
未だに分からない。

日記を振り返ると
彼女は同棲が始まってから
1ヶ月もしないうちに
ほぼ寝込んだ生活が始まっていた。

そこからどんどん悪化していった。
会話も次第にできなくなっていった。
かけるべき有効な言葉がわからなくなっていった。

あえてこの言葉を使うが
「まともな」生活を送った日など
数えるほどもなかった。
12月から8月まで
入院したり、実家に帰ったり、
お互いの祖父母が急逝したり、
半分以上、まともな同棲すらしていない。
たったの数ヶ月のことだった。

彼女が終わりにしようと言った時、
彼女はそれらの原因を僕に求めた。
僕への不安に原因があると言った。

何ができたのだろうか?
何が悪かったのか?
これは病気とは何も関係がないのだろうか?
病気と関係がないとしたら
そんな気持ちが先日の記事。

うつ病ってなんだろう…

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