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暇そうな大人でありたい

いっぱん的に仕事で暇そうにしていると、怒られたり、余分な仕事が割り振られたりするので、大人は、無意識のうちに忙しいアピールをしちゃいがちです。

このご時世、実際問題忙しい人もたくさんいるので、アピールでなく忙しい人もたくさんいると思います。

そんな背景もありつつ、大人になると、特に仕事をしている時は「暇そう」にしているのはちょっとした罪悪感があったりします。

先日のラグビースクールで、そんな考え方を改めようと思うきっかけがあったので備忘録的にまとめていきます。

私は今年から小学2年生チームのサブヘッドコーチになり、何回か試験的に練習の進行を任せてもらっていました。

ただ、時間管理や子供たちの誘導に追われて、気が付けば練習が終わっているという有り様。

そこでふと気づいたことがあります。役職なしのコーチとして過去3シーズンに関わってきた頃と比較すると子供たちとの個別の接点がほぼなかったのです。

ちなみにこれまでは、個別の接点を持とうという意識はなくても、子供たちから寄ってきて、ラグビーだけに関わらず、いろんな話をしてくれました。

この違いは何だろうか?

行き着いた仮説が、心のゆとりの違い。
大人も子供も忙しそうな人には遠慮するもの。誰でも話を聞いてもらいたいから話しかけるのであって、ちゃんと聞いてくれなさそうな雰囲気がある人にはあえて話そうとは思いません。

例え本当に忙しかったとしても、心に余裕を持つことって大事だなぁと思いました。ちなみに進行役を任されていないと、よく話しかけられるので、私の場合は、明らかに余裕がないように見えるのかもしれません。

気をつけないとなぁ。


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