はたらくということ(25)
この時期、新卒採用活動が本格化します。
素敵な方をお迎えしたいという採用側の思いと、就職活動中の学生さんへの素敵な会社(もちろん私たちも含む)とのご縁を紡いでほしいという応援の気持ちが交錯します。
学びの場
学生の方とのお話の場は私自身にとってもとても大切な学びと気づきの機会になっています。ほとんどの学生の方のは類似産業での就業経験をお持ちでないので実務的な話題は限られますが、その一方で、事業、組織、キャリア、そして生き方に対する素朴ゆえに本源的な質問を多く頂きます。質問に応える中で言葉にしきれていなかった想いや考えに気づくことも多くあります。また、昨年との違いや変化にハッとすることもしばしばです。
「塚原さんにとって会社や仕事って何なのでしょうか?」
私にとっては仕事は、「人生づくり」の重要な一幕です。仕事を通じて、いろんな人とのご縁をつなぎ、人のお役に立てるように自分を磨くことができました。また、仕事は重要な経済的な基盤として、自分と家族の生活をつなぎ、娘の選択肢を広げることができました。仕事があることで自分の人生の可能性は大きく広がったし、まだまだ広がり続けているし、自分の人生に期待できることはとても幸せなことだと考えています。もしこの仕事をしていなかったら、もしあの時踏ん張れんかったら、私の人生は、ひどくつまらなく、退屈でみじめななものだったように思います。私とご縁のある皆さん、そしてこれからご縁をつなく皆さんにも、仕事を通じて人生を豊かなものにして可能性の広がる感覚を味わってほしい、と願っています。
はたらくということ
仕事が何かということについて、今は私なりの言葉で表現できているし、納得もしていますが、最初からそうだったわけではありません。
私は地方の農家の長男として生まれ、家業である農業を継承することを期待されて育ちました。小さい頃は両親や親せきの方と田んぼや畑に行って、みんなが仕事している間は遊びまくっていました。裕福ではなくてお小遣いも少なかったのですが温かい時間を過ごしていました。中学生くらいになると世の中にはいろいろな仕事があること、仕事には違いがあることがわかります。経済面、労働条件もわかるし、みんながどんな仕事に就きたいのか/尽きたなくないのか話題になって、農業は稼ぎにくい仕事ってみんなが言ってました。世の中はバブル景気に沸いていた時代ですが、地方の農家は取り残されていました。
高校になりアルバイトを始めると、それまでのお小遣いをはるかに超えたお金を手にするようになり感動しました。遊びに出かける、楽器を買う、バイクを買う、車のパーツを買う、、、いろいろなことに手を出せるようになりました。
大学生になると両親や親せきの人からは、公務員の兼業農家になるように勧められて、私もなんとなしにそんなもんかな、と思っていましたが、3年生の1月、いざ就職活動を始めようとしたとき、自分の人生の大半を決めるようなタイミングにも関わらず世の中をあまりに知らないことにショックを受けて、活動を中断して海外に留学しました。留学っていうとそれっぽいですが、実態は海外逃亡です。
最初は家族の仕送りで生活していましたが家庭の事情で止まることになりました。それでも帰国せず、留学を続けたくて仕方なかった私はアルバイトの仕事を探すことにしましたが、いくら応募しても採用されません。失業率が割と高めの国で、言葉イマイチ、ビザなし、コネなしという状況でしたが、3か月も仕事を探し続けても仕事が見つからないなんて信じられませんでした。日本でなら、高校生、大学生であっても仕事なんていくらでもあったし、時給や待遇、仕事内容を”選ぶサイド”にいたことに気づきました。
結局、同じ外国人の友人が喫茶店のトイレ掃除の仕事を紹介してくれて働き始めました。月曜から土曜毎日午後3時から4時まで1時間のトイレ掃除、という仕事です。稼ぐには効率も悪く、みんなに敬遠される仕事で、私の友人ももっとよい仕事が見つかったので自分がその仕事を辞めるために私を紹介したという面もありました。それでも仕事につけたこと、生活に十分ではないけどぎりぎり家賃が払えることが嬉しくて嬉しくて、すべて5分前行動で、心を込めてトイレ掃除に取り組み、お店のスタッフの方とも下手な言葉で会話も途切れがちだけどいつも笑顔で接していました。そうして2か月くらいたった頃、お店のスタッフの一人から突然「レストランのホールの仕事は興味ある?」と聞かれました。生活のために仕事なら何でもしたい、っていうと、知っている日本食レストランでスタッフ募集しているけど応募したら、ってアドバイスしてくれたんです。結果、そのレストランでの仕事は本格的なものになって、住居も少しいいところに引っ越し、中古の自動車も購入し、帰国するころには少しの蓄えもできました。学生なりに、心を込めて仕事をすると誰かが見てくれていて誰かに必要とされて生活も潤うことを学びました。
根を張ること
心を込めて仕事をするのは、より仕事を残す、豊かな人生を作るベースと確信していますが、心を込めて仕事をするだけで、より仕事を残せる、人生が豊かにになるわけではないと思います。自分のことを振り返っても、心を込めて仕事をすることを心掛けながらも、結果がついてこないこともあるし、周囲から理解されないこともあります。心がけが揺らいだ時期もあるし葛藤に悩んだ時期もあります。
迷いが晴れたのは、小さい頃の農家の生活を思い出すことができたこと、それが日本の伝統であることに知ったことにあります。
農家は、田んぼや畑、いろいろな作業に心を込めて取り組みます。田植えは田植え機が中心ですが、機械で植えたあと、田んぼを全部歩き回って、うまく植わってないところを見つけて、そこには手で苗を植えます。田んぼの端も機械では植えられないので手で植えます。私の両親はごく自然に「せっかくの田んぼなのに、使っていないスペースがあるのはもったいない」と思っています。一事が万事、こういう風に丁寧に取り組むことが当たり前です。こういう生活を幼少期に過ごしたことが、何十年もたって、外国で得た気づきを結びつきました。農業とはまったく違う仕事の中で家族の思い出とつながったことで強い納得感が生まれて、安心できるようになりました。
もう1つ、伝統は神話の中に見つけました。旧約聖書では人(アダムとイブ)が知恵の実を食べたときにその罰として、神は男には労働の苦しみ、女には産みの苦しみなどを与えます。日本の神話では、神(天照皇大神)は高天原にある自分の田んぼで稲を育てていて、孫を地上の下す際には自分の田んぼの稲を渡して地上でもこの稲を育てなさいと言います。労働が神様の行為、神様から人に与えられた祝福された行為だと思えば農家の労働観にも納得です。
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