出口の向こう側にわくわくする(30)

2020年1月のコロナウイルス感染拡大以来、軽重の波はあったものの2年にわたって継続してきた活動制限が緩和されてきています。

行動制限

感染者数が増減している中で、まだまだ予断を許さない状況ではありますが、3月の新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置解除以降、急速に行動の制約がなくなっているように感じます。電車は混みあってきているし、対面での打合せもできるようになりました。飲食店も営業しているし、スポーツ施設の入場制限もなくなりつつあります。ちょっと前まで、人と会えない、5人以上では集まれない、外食に行けない、離れて住む家族にすら「来ないで」と言われる、、、という状況で、それに慣れつつあったところで、少しの戸惑いもありますが、同時に、密接にならない距離感、密封にならない換気、手洗いや体温検査も日常になって、少し前に喧伝されたwithコロナの風景なんだろうな、と感慨にふけってしまいます。

取り戻す


こんな中、一番喜ばしいと感じたことは大学の対面授業が再開されたことです。
私の娘は2020年4月に大学に入学したのですが、この2年間、学校に行った日数は数えるほどで、娘も私もほぼ自宅にいて、ほぼ初めてこんなに長い時間を近くで過ごすことになりました。娘の大学生活は、入学式もなく、説明会や講義はほぼリモート、実習ですらリモートと半々、同期とのかかわりも数日あった通学日に「初めまして」程度、サークルの存在は知っているけど関わったこともなく、バイトは申し込んだけど閉店中のため数日間の勤務のみ、もちろん学祭などのイベントはありません。今年3年生になって、学校に行くようになって、まず学内のどこにどんな施設があるのかわからない、というところから「1年生みたいだねー」と友人たちと会話して、学校終わったら仲の良い人たちとカラオケに行ったりしているようです。
そんな話を聞いてとても嬉しく感じています。自我を持った高校生が志を見出し、自分の意志で選んだ大学の中で、近しい夢を持つ友人たちと接し、刺激を受けつつ、与えつつ、志をさらに育む、あたりまえのプロセスが確かにあると実感できます。そして、中高生よりも精神的に成熟し、支えあうことのありがたさを素直に表明できる友人たちの多様な人間関係の中で、自分の居場所を確認して、安心を交換するプロセスもあったことを再確認します。私の学生生活時代にはそれが当たり前で、そんな環境にいることのありがたさを意識することはありませんでした。今の20代は、コロナで人間関係が制約された2年間の不自由の経験を通じ、最初から人との関わりをありがたいと感じ、人とのかかわりを大切にする心を持って成熟した精神を育んでいるように思います。
こうして人生の初期?に人とのかかわりを大切に思える経験をした精神性豊かな若者たちは、私たちの世代が届いていない、精神性豊かな社会、もっと幸せのある世界を建設していくだろう、と思うと楽しみで仕方ありません。

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