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あの人に嫌われているというのは思い込みかもしれない、そんなことを学んだ話

自分=嫌われている という 等式

以前の僕は、自分が相手から嫌われている前提で人と関わるタイプだった。

(あ、今Aさんに何となく距離を感じる。僕から遠ざかりたいんだろうな。)

(B君、苦笑いした。僕へのリアクションに困っているんだろうな。)

少しでもマイナスを感じさせる要素に、これでもかというくらい過敏に反応してしまっていた。

嫌われ者であるというフィルターから見た世界は、やっぱり嫌われ者なのだという認識を強化する材料に溢れていた。

そんな自分のフィルターに気づき、変わるきっかけの一つをくれたのは、塾講師時代に出会った生徒の一人、Y君だった。


クールなY君に熱く語るも…

その頃の僕は、頭のネジが外れているのではないかというくらい塾講師として燃えていた。
教科の指導にも力は尽くした。
けれど、それ以上生徒たち一人ひとりに秘められた可能性をいかに引き出し、いかに目覚めさせるかということに情熱を注いだ。

多くの子どもたちは「自分なんてこんなもんだろう」と、自らの可能性を限定してしまっていた。

そんな子どもたち一人一人の資質を見出し、伝え、どう生かしていけばいいかを一生懸命考えて注ぐことに全力だった。


Y君は当時、高校3年の大学受験生だった。
とても努力家で、所属する部活の試合に敗れた日も泣きながら塾に来て、自習に取り組む姿が印象的だった。

部活が忙しくそれまで勉強はあまりしてこなかったY君だが、努力家である上に要領はいい。

僕から見たら可能性の塊だった。

僕自身の持てる全てをもって応援したいと心から思った。

「これまでやってこなかったことなんてどうでもいい。これからどれだけ頑張るかだ!」
「気づいていないと思うけど、Y君は勉強のセンス相当いいからね」

そんなことを毎日のように、熱く語った。

「1マイル4分の壁」という話を印刷して配り、僕たち人間がいかに思い込みで自分の可能性を制限しているかを話したこともあった。 ※


Y君は、真剣に目を合わせて話を聞いてくれていた。
けれどクールなところのあるY君は、いくら僕が彼の可能性にスポットを当てても反応が薄かった。


リアクションの薄さに、空回りを感じる毎日だった。


ぬかに釘を打ち続ける


(どうしよう。嫌がっている様子もないけど、決して嬉しそうでもない。)

(こんなに反応がないということは、うざがられているんじゃないか……?)

(やめた方がいいのか。しかし同じような話を彼にする大人がいつ現れるかもわからないから、嫌われてでも伝えるべきことは伝えた方がいいのではないか。)

(どうやって接すればいいんだろう……)

ところがその子のお母さんとたまたま話した機会にお母さんが教えてくれた

「先生、いつもありがとうございます。この子、今までに見たことがないくらい勉強を頑張っていて、私はびっくりしているんです。『過去は関係ない!これからいかに頑張るかなんだ!』って、先生の話を熱く語るんですよ」

(塾じゃ、無反応なのに。嬉しいけど、読めん……!)


それ以降もY君とは相変わらず手ごたえのないコミュニケーションが続き、僕のメンタルはじわじわと削り取られていく。
僕の心が未熟であるがゆえに、心が折れかけたのは一度や二度ではない。

(やっぱり、何も伝わってないのでは…?)

何となく距離を取られている感じが常にあったので、この子は僕のことが怖いんだろうなあと判断していた。

しかし恐れられていたところで、やることは変わらない。

-僕が怖がられても関係ない。彼の人生にとってプラスになっているのであれば、これからも彼の可能性に語りかけ続けるだけだ!

-すべての伝えたいことが伝わらなくても、10年後20年後に響く何かを伝えよう。

一緒にいる限られた時間中で、相手に何を残せるか。
それしか考えていなかった。

※授業や自習の時間を、集中力を考慮した上で最大限確保している前提の話である。僕はスパルタ講師だった。

色眼鏡に気づく


時は過ぎ受験が終わると、Y君は僕に卒業の挨拶に来てくれた。

「これから先も、先生とは仲良くしたいです」

彼の言葉を聞き、僕は驚きを隠せなかった。

(え、この子そんなこと言ってくれる子なの…?)

その後対話をして初めて、1年一緒にいてもわからなかった彼の気持ちが分かった。


聞くところによると、彼は確かに、僕を恐れていたそうだ。笑

しかし同時に、感謝もしているし慕ってもいると話してくれた。


どう接していいか分からなかったから薄いリアクションだったが、プラスに思っていてくれたらしい。

シャイボーイなだけだったなんて。笑

この一件で、僕は自分の自分の思い込みがいかに偏っていたのかを痛感した。

僕の中で、恐れられること=嫌われることという思い込みがあった。
だからY君にも嫌われていると思っていたし、それでいいと思っていた。

けれどY君が気持ちを伝えてくれたお陰で、「恐れているけど好き」ということもあるのだと学べた。


-もしかしたら僕はY君と、もったいない時間の過ごし方をしてしまったのかもしれないな。


Y君は当然、僕と仲良くなるために塾に通っていたわけではない。
僕もY君と仲良くなるために塾講師をしていたわけではない。

それでも、もっと豊かな関係を築いたうえで頑張っていけたのではないかと反省した。

それを機に、「自分=嫌われている」という偏見は可能な限り手放すことに決めた。



僕が彼に尽くしたかのように書いているが、彼が僕に殻を破るきっかけをくれたというのが実際のところである。
Y君は僕に感謝をしてくれていたが、僕からしたらY君こそが僕の恩人だ。


Y君とはその後も、時々再会しては酒を飲んで語り合う間柄になった。
今は自分自身の軸を見出すことができていて、充実した社会人生活を送っているらしい。

「敦さんに話したいことが沢山あるんです!」

今ではY君は、僕の大切な親友だ。


最後までご覧いただきありがとうございました。

※ 1マイル4分の壁についてはWEBメディア『onyourmark』の記事がとても分かりやすいので、興味を持ってくださった方はご参照ください。https://mag.onyourmark.jp/2019/03/pioneeredathleteperformance1/115178


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