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町のどこかで、やさしさは今日も巡る

恩送りについて描いたジャンプのマンガ。
最近読み返して感動したので、活字に変えて投稿してみようと思う。

僕と同年代の人でジャンプを読んでいた人なら、何のマンガかわかるかもしれない。(正解は、エピソードの後に)

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ある少年が下校して帰宅する中で、雨が降り出した。
近くのバス停で雨宿りするもなかなか雨は止まず、次第に勢いを増していく。

「ボク、傘ないの?」

少年に声をかけたのは、サラリーマンの男性だった。

「う、うん…」

戸惑いながら答えると、男性は少年に大きな傘を差し出した。


「なら、おじさんのを使うといい…」
「え、でも…そしたらおじさんがぬれちゃうよ」
「大丈夫だよ。おじさんの家はすぐそこだから…」
「ありがとう、おじさん!!!」

家に着くと少年は、おじさんのことをお母さんに話した。
お母さんは優しい眼差しで少年に言った。

「そのおじさんの親切を絶対に忘れちゃダメよ。」

「どうして忘れちゃいけないの?」

少年はお母さんに聞いた。
納得がいかないのではなく、純粋にどうしてなのかを知りたかったのである。

「受けた恩は…返さなきゃいけないの」
「でもボク、そのおじさんの名前も聞いてないし……返せないよ…」

「そのおじさんに返せないなら、他の人に返しなさい。そのおじさんのやさしさを、今度はあなたが他の人に伝えていくの。そのやさしさがいつか、誰かの涙をぬぐってくれるように…」

それから数十年後、少年は愛する人と結婚し、元気な男の子を授かった。

彼は自分の子どもに、たっぷりの愛情をかけた。
愛する息子が健全に優しい子になるように、やさしさを行動で示し続けた。


かつての少年のお母さんは、腰の曲がったおばあちゃんになっていた。
お母さんは数年ぶりに、息子の家に遊びに行った。

最寄り駅で家族の迎えを待っていると、土砂降りの雨が降ってきた。
雨を眺めながらお母さんは、息子にしたやさしさの話を思い出していた。


前方から、誰かが全力疾走で向かってきた。
赤ん坊の頃から全く変わらぬ顔をした、孫の姿がそこにあった。

「ばーちゃん!!いんやぁ~~~遅れてゴメンさぁ~~~!!」

孫は全身ずぶぬれだ。

「ありゃりゃ!!!傘持ってこなかったんか?」

「あー、来る途中びしょぬれで雨宿りしてる子がいたから、すかさず傘をあげちゃったわけよーーっ。ごめんさーばあちゃん^^」

「ええよ。そうそう、待っている間にお茶を買ったから一緒に飲もう」

「あーもう今日はいろいろ大変だったから、ちょうどノドかわいてた瞬間さぁーー」

「いろいろ大変だったんか?」

「そうそうちょっと聞いてさーばあちゃん。送れた理由」

孫は迎えに来る途中、迷子の子どもの親を探し、道端で倒れた妊婦さんを病院まで連れて行き、雨宿りしていた子に傘をあげてようやく駅に着いたという。

かつての少年がおじさんからもらった優しさは大きく大きく膨らみ、彼の血を継ぐ幼い命が町にばらまいたのだった。


かつての少年のお母さんは、孫の話を笑顔で聞いていた。

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これは『世紀末リーダー伝たけし』というギャグ漫画のエピソード。

小学生のノリに合う感じのギャグ漫画なんですけど、作者の島袋光利さんは感動する話を巧みに表現してくれる人で、僕はこのマンガがかなり好きだった。

僕が恩送りの概念を知り始めたのは2012年。
恩人との出会いがきっかけだった。

その人が教えてくれた映画に、恩送りを描いた「ペイ・フォワード 可能の王国」がある。
この映画が公開されたのは2001年。
上述のたけしの話がジャンプに掲載されたのは1998年。

少しずつ恩送りが制度や文化として可視化されてきているのを感じるけれど、僕が子どもの頃からメッセージを発してくれている人がいたという事実に驚かされている。


いや、この前からきっとメッセージを発していた人はいたはずだ。

きっと恩送りは、誰かによってメッセージが発信される前から、有史以前から、人と人の間で自然に行われ続けてきた営みなのだろう。


町のどこかで、やさしさは今日も巡る。

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