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司法試験受験時代の憲法ノートから④

【目次】
第1 憲法上の権利・人権 
 1.総論
 2.各論(憲法上の権利の保障根拠)
第2 防御権制限
 1.序論
 2.「制限」の規定
 3.審査基準の設定
 4.目的・手段審査
第3 作為請求権
第4 平等権

第2-3 審査基準の設定

(1)審査基準とは何か(序論)

 防御権の制限が「必要かつ合理的」なものであれば、「公共の福祉」の観点から防御権の制限が正当化される。
 問題は、裁判所は、いかなる場合に「必要かつ合理的」な防御権の制限と評価すべきかであるが、これは具体的事案ごとに異なる。よって、審査基準は具体的事案ごとに設定することになる。
 審査基準は、①権利の重要性、②権利制約の態様・程度、③裁判所と国会・行政の機能分担(立法裁量・行政裁量の有無・広狭)によって決定される。

(2)権利の重要性(「Xの自由」の重要性の論証の仕方)

 「Xの自由」の具体的な特徴を挙げながら、「Xの自由」を保護範囲に含む人権条項の趣旨が「Xの自由」にも妥当するかを検討する。
 例えば、営利広告の自由は、憲法21条1項の保護範囲に含まれるが、自己統治の価値が稀薄である点で、同項の趣旨の一部が妥当しない結果、営利広告の自由は、典型的な表現の自由よりも価値が落ちる。  

(3)制限の態様・程度

①付随的規制(一般的・中立的規制)
 信教の自由に対する付随的規制とは、世俗的な規制が宗教・非宗教を問わず一律に及び、その結果ある宗教の信者に対し特に重い負担を課す場合をいう。この場合には適用違憲が問題となるが、仮に適用違憲と判断する場合には、信仰を理由とする優遇に当たるので、政教分離原則に反しないかという問題を検討することになる。
 他方、表現の自由に対する付随的規制とは、表現行為を抑圧することを目的とした規制ではなく、一定の行為類型を規制した結果、その限度で表現行為にも規制が及んだに過ぎない場合をいう。この場合も適用違憲が問題となる。
 ↓
 審査基準は緩和されるか。付随的規制の場合、目的志向性がなく、「許されざる動機」に基づかない(特定の信仰や表現を悪質と認定しているわけではない)点では、審査基準を緩和してもよいとも思える。
 しかし、表現を抑圧することを目的としていないとしても、表現が阻害されることに変わりはない。このことを重視すれば、審査基準を安易に緩和すべきでなく、中間審査が適切であるということになる。
 なお、一定の行為類型を規制するものとしながら、実際には特定の表現内容を狙い撃ちにしている可能性もある。このような場合は、表現規制か付随的規制かの認定が争点となるだろう。

②表現内容中立規制と表現内容規制
 表現内容中立規制とは、表現をその伝達するメッセージの内容若しくは伝達効果に直接関係なく、表現行為の時・所・方法を規制するに過ぎない規制をいう。表現内容中立規制に当たる場合、表現内容規制のようなきわめて厳格な審査ではなく、中間審査となる。
 ↓
 内容中立規制に該当するかは、内容規制・内容中立規制の二分論の理由づけに照らし、柔軟に考えるべきである。
 内容規制が特に厳格な基準で審査される理由は、①内容規制は思想の自由市場を歪めること、②「誤った思想」の抑止という許されない動機に基づくこと、③「伝達効果」(メッセージの内容それ自体が受け手に起こす反応)にを理由とする規制であること。
 そこで、①規制されたのとは別のチャネルを通じて同じ内容が自由市場に参入でき、②美観維持のような正当な動機に基づき、③表現行為と害悪発生の因果関係が直接である(受け手の自律的判断が介在しない)場合に限り、内容中立規制といえるものと解する。

③事前規制と事後規制
 事前規制(憲法上の権利行使を許可制にかからしめるなど事前に規制すること)は、事後規制(憲法上の権利行使後に規制すること)より規制の程度が強いと評価される。
 その理由は、事前規制は予測に基づいた抽象的な判断にならざるをえず、規制範囲が広範になりやすいとともに、適用者の恣意的判断が介入する余地がある一方、事後規制は害悪発生との因果関係に基づいた判断が可能であり、これらの懸念が小さいためである。
 ↓
 なお、同じ許可制(事前規制の一種)でも、自らの努力で克服できる「主観的条件」による規制より、自らの力では克服不能の「客観的条件」による規制の方が、規制の程度が強いものとされる。
※薬事法違憲判決で問題となった距離制限は「客観的条件」による規制。

④刑罰権の発動
 刑罰は、極めて厳しい態様での行為の規制であり、謙抑的に用いられなくてはならない。事後規制であっても、刑罰によって制限する場合には、審査密度を深める方向に働く。

(4)経済的自由権の規制立法についての立法裁量

①総論
 規制措置が是認されるか否かを一律に論ずることができず、具体的な規制措置について、規制の目的、必要性、内容、これによつて制限される職業の自由の性質、内容及び制限の程度を検討し、これらを比較考量したうえで慎重に決定されなければならない。
 このような検討・比較考量をするのは、第一次的には立法府の権限と責務であり、裁判所としては、規制の目的が公共の福祉に合致するものと認められる以上、そのための規制措置の具体的内容(及びその必要性と合理性)については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまる限り、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものと考えられる。
 しかし、この「合理的裁量」の範囲については、事柄の性質上おのずから広狭がありうるのであつて、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない。
※「方法」については、上記(3)参照。

②規制の目的・対象について
 規制の目的が消極か積極かに応じて立法裁量の広狭が異なるとする目的二分論もあるが、すべての経済的規制を2つの規制類型に分類・還元しようとする目的二分論は不適切であり、当該規制立法が、どの程度まで立法事実に踏み込んだ司法判断がなされるべき分野に属するのかが重要である、という指摘がなされている。

※立法事実にどこまで踏み込むべきかに関する判例

①小売市場事件判決(最判昭和47.11.22)
 社会経済の分野において、法的規制措置を講ずる必要があるかどうか、その必要があるとしても、どのような対象について、どのような手段・態様の規制措置が適切妥当であるかは、主として立法政策の問題として、立法府の裁量的判断にまつほかはない。というのは、法的規制措置の必要の有無や法的規制措置の対象・手段・態様などを判断するにあたつては、その対象となる社会経済の実態についての正確な基礎資料が必要であり、具体的な法的規制措置が現実の社会経済にどのような影響を及ぼすか、その利害得失を洞察するとともに、広く社会経済政策全体との調和を考慮する等、相互に関連する諸条件についての適正な評価と判断が必要であつて、このような評価と判断の機能は、まさに立法府の使命とするところであり、立法府こそがその機能を果たす適格を具えた国家機関であるというべきであるからである。
 したがつて、右に述べたような個人の経済活動に対する法的規制措置については、立法府の政策的技術的な裁量に委ねるほかはなく、裁判所は、立法府の右裁量的判断を尊重するのを建前とし、ただ、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限つて、これを違憲として、その効力を否定することができるものと解するのが相当である。

②薬事法違憲判決(最判昭和50.4.30)
 社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によつては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するものというべきである。

③酒類販売免許制事件判決(最判平成4.12.15)
 憲法は、租税の納税義務者、課税標準、賦課徴収の方法等については、すべて法律又は法律の定める条件によることを必要とすることのみを定め、その具体的内容は、法律の定めるところにゆだねている(三〇条、八四条)。租税は、今日では、国家の財政需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整等の諸機能をも有しており、国民の租税負担を定めるについて、財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく、課税要件等を定めるについて、極めて専門技術的な判断を必要とすることも明らかである。したがって、租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである。
 以上のことからすると、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のための職業の許可制による規制については、その必要性と合理性についての立法府の判断が、右の政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理なものでない限り、これを憲法二二条一項の規定に違反するものということはできない。

(4)審査基準の設定(例)

①厳格な審査
 目的がやむにやまれるほどに重要なものであり、手段が目的達成のために必要不可欠か

②中間審査
 目的が重要であり、より制限的でない他の選びうる手段がないか/目的が重要であり、目的と手段の間に実質的関連性があるか

③緩やかな審査
 目的が正当であり、目的と手段の間に合理的な関連性があるか

第2-4、目的・手段審査

(1)目的審査のポイント

①目的の検出
 司法試験では、目的審査がおろそかにされ、手段審査偏重の傾向があると指摘されることもあるが、手段審査は、目的との関連・比例性を審査するものであるから、目的を適切に認定しなければ、実質的な審査はできない。
 法令が目的規定を置く場合でも、それは抽象的であることが通例であり、抽象的であるがゆえに異論をはさむ余地はほとんどないし、その目的を達成するために採られた具体的な手段の妥当性を判断する上で全く手掛かりにならないことが多い。このような場合には、法令の目的規定を踏まえつつ、具体的な事実関係において憲法上の権利を実際に制限している個別規定の目的を探究すべきである(すなわち、個別規定が規制によって保護しようとしている利益を特定すべきである)。

②「正当な目的」
 「正当な目的」か否かを審査する場合には、正当でない利益のための立法であることが明らかな場合(例えば、反憲法的な目的)にのみ目的審査で違憲とする、謙抑的な審査である。
 しかし、この審査で違憲となるケースもある。例えば、尊属殺違憲訴訟の田中二郎裁判官意見は、尊属殺人罪規定の目的は憲法の理念と抵触するものであると論じた。 

③「重要な目的」「やむにやまれぬ目的」
 「重要な目的」「やむにやまれぬ目的」は、利益の重要度という価値評価を伴う。つまり、憲法上の権利を制約しうる内容・質の利益かが問題となる。
 特に、厳格審査における「やむにやまれぬ目的」が問題となる場合、目的審査をクリアーできる目的は、相当絞られる。在外国民選挙権訴訟(最判平成17.9.14)は、「やむを得ないと認められる事由」が存する場合を、その制限をすることなしに「選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合」に限定した。また、泉佐野市民会館事件(最判平成7.3.7)は、集会の自由の重要性に鑑み、公共施設の利用を拒否できるのは、「他の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる場合に限られる」とした。
 中間審査における「重要な目的」は、「やむにやまれぬ目的」とまではいえないが相応の重要性を持つ目的をいう。例えば、経済活動に伴う弊害の除去・緩和、公衆衛生の維持、自然・文化的環境の保全などの利益が、憲法上の権利を制約するに足る利益であるかを、具体的な事実関係に照らしながら説得的に論証することが必要となる。

④目的と「動機」の区別
 立法経緯をみると、立法者の悪質な動機を認定できる場合がある。
 しかし、立法目的の審査とは、立法者の動機の審査ではなく、法令の規定を客観的に評価した上で解釈すべきである。そして、正当・重要な目的を構成でき、手段がその達成に役立つならば、合憲と評価されることになる。

(2)目的と手段の関連性(合理性・目的適合性)の論証のポイント

①手段が目的適合的である理由の検討
 手段が目的を達成する上で実効的である理由を検討する。この理由の確からしさが関連性の審査である。合理的関連性は、その理由が一応確からしければ認められるが、実質的関連性は、立法事実に裏付けられていることを丁寧に論証して認定しなければならない。

②中間目的の処理
 特に、中間目的が設定されている場合は要注意である。
 現実の国家活動は、抽象的目的を設定し、それを実現するための手段を投入し、その手段を中間目的と位置付け、その実現のための手段をさらに投入するというように、目的・手段の連鎖が続く場合がある。このような場合、連鎖の中間を省略して、「手段」が究極的な「目的」達成のために必要かつ合理的かを問うだけでは不十分である。
 手段→中間目的の達成→最終目的の達成という場合は、①手段が中間目的を達成するうえで実効的か、②中間目的の達成が最終目的を達成するうえで実効的かの2点をしっかり論証する必要がある。

③事前規制における目的審査―法益侵害の危険の程度
 事前規制は、権利が行使された場合に法益を侵害するおそれがあるという予測に基づく抽象的な判断にならざるを得ない。それゆえ、事前規制に係る関連性審査については、法益侵害の危険の程度(重大性・緊急性)が重要な争点となる。
 審査の厳格度は、どの程度の危険があれば制限が正当化されるか、という問題である。厳格な審査が行われる精神的自由権の制限については、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されていなければ、関連性なしと解するべきである。

④過小包摂
 法益を侵害する別のルートがあり、真に目的を達成するためには規制手段のみでは不十分である、という場合には、関連性を欠くものと解される。

⑤規制が別種の弊害をもたらし、結果的に目的に不適合になっていないか。
 例えば、徳政令を考える。徳政令の目的は困窮した武士の経済生活の向上であった。その手段として借金の帳消しを行うことは、困窮した武士の債務超過を解消することで経済生活を向上させるとも思える。しかし、徳政令の結果、金融業者が武士に融資しない事態を招き、キャッシュフローを得られなくなってさらに経済生活が困窮するとすれば、結果的に目的に不適合であるといえる。このような場合には、関連性を欠くというべきであろう。 

※合理性の論証に関する裁判例

薬事法違憲判決(最判昭和50.4.30)
①過当競争→経営不安定
 薬局の開設等について地域的制限が存在しない場合、薬局等が偏在し、これに伴い一部地域において業者間に過当競争が生じる可能性があることは、さきに述べたとおりであり、このような過当競争の結果として一部業者の経営が不安定となるおそれがあることも、容易に想定されるところである。
 ↓
②経営不安定→不良医薬品の供給
 被上告人は、このような経営上の不安定は、ひいては当該薬局等における設備、器具等の欠陥、医薬品の貯蔵その他の管理上の不備をもたらし、良質な医薬品の供給をさまたげる危険を生じさせると論じている。
 確かに、観念上はそのような可能性を否定することができない。しかし、果たして実際上どの程度にこのような危険があるかは、必ずしも明らかにされてはいないのである。
 ↓
 被上告人の指摘する医薬品の乱売に際して不良医薬品の販売の事実が発生するおそれがあつたとの点も、それがどの程度のものであつたか明らかでないが、そこで挙げられている大都市の一部地域における医薬品の乱売のごときは、主としていわゆる現金問屋又はスーパーマーケツトによる低価格販売を契機として生じたものと認められることや、一般に医薬品の乱売については、むしろその製造段階における一部の過剰生産とこれに伴う激烈な販売合戦、流通過程における営業政策上の行態等が有力な要因として競合していることが十分に想定されることを考えると、不良医薬品の販売の現象を直ちに一部薬局等の経営不安定、特にその結果としての医薬品の貯蔵その他の管理上の不備等に直結させることは、決して合理的な判断とはいえない。殊に、常時行政上の監督と法規違反に対する制裁を背後に控えている一般の薬局等の経営者、特に薬剤師が経済上の理由のみからあえて法規違反の挙に出るようなことは、きわめて異例に属すると考えられる。
 ↓
 このようにみてくると、競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない。

(3)手段の必要性

①過剰規制
 規制手段と比較して、その行為と同程度に目的を達成することができる、より制限的でない他の選びうる手段(LRA)がある場合には、手段の必要性を欠く(例えば、刑罰罰で規制手段を担保しているが民事上の制裁で十分である場合など)。
 なお、LRAの論証については、代替手段を挙げるだけでは不十分であり、代替手段によっても同程度に目的を達成できるか否かを検討することが不可欠であることに注意。

②過度に広汎な規制
 規制の範囲が広範過ぎて、より狭い範囲を規制するだけでも目的を達成できるという場合も、手段の必要性を欠く。

③手続規制
 規制権が謙抑的に発動される手続的担保があるかも、手段の必要性の考慮要素となる。

(つづく)

【免責事項】
・平成24年司法試験の受験対策のために作成したものであり、当時は正確な理解に努めましたが、一受験生が作成した論証集にすぎず、誤りが含まれている可能性があることにはご留意ください。
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