私が子供の頃、商店街から外れたところの路地に質屋があった。小さい看板に「質」と書いてある。入り口に目隠しのようなブロック塀があって、その裏に回って建物の戸に辿り着く構造のようだった。小さい私には「質」の意味はわからなかった。しかし、親にも友達にもその意味を聞いてはいけないような気がして、わからないままやり過ごしていた。近くを通るたびにちょっと変な気持ちになったもんだ。
小学校2年生くらいだったと思う。ある時の学校帰り、30代中頃の男が質屋からでてきたのを目撃した。モチモチの木の版画に出てくるような雰囲気をもっていた。何かを知るチャンスだと思って衝動的に後をつけた。その男は質屋のある裏路地から商店街に向かい、商店街外れにある喫茶店に入っていった。子どもの私はそれ以上どうすることもできずに商店街を端から端までウロウロした。いま考えると喫茶店の前も何往復もしていたのでバレていたと思う。つけて観察しているとは思わないだろうが、変な子どもがいるくらいには認識されていただろう。何往復目かに男の席に女がきて、二人ともタバコを吸っていたのを見た。
結局のところ、何かの情報を手に入れたわけではないいが、あの時に、自分の知らない世界線があり、世界には他者がいることに気がついたような気がする。
しばらくして、中学生の時、化学の教科書に質量という文字が出てきた。とっさに質屋と男と喫茶店を思い出した。中学生の私には「質」という漢字を調べることができた。質は「価値として釣り合っている」という意味を持つ斧2本の象形文字である斦(ぎん)と、「貨幣」を意味する貝によって構成されていること、さらに真実の「まこと」の意味もあると辞典に書かれていた。質屋が何をするところかもその時に調べて理解した。
調べてから冒険が一つ終わってしまったようで残念な気持ちになった。それ以来、質屋の前を通ってもドキドキしなくなってしまった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?