8.大学バスケで私が得たもの🏀💫

またまた少し間が空いてしまいました。。。
こんにちは。私です🙋‍♀️
今回は、大学バスケを振り返ります。

私が入学した日本女子体育大学は部員が130人の超大所帯チームでした。A1・A2・B・Rと4ブロックあり、それぞれのブロックにHCがついています。切磋琢磨なんてもんじゃない、もはや恐ろしい環境下ではありましたが、色々な人がいる中で、それぞれの考え、知識があり、学ぶ上では面白い環境でした。

何よりも、体育大学ということもあり、他の競技にもプロさながらな子が友人に多く、日々刺激の絶えない生活でした。他の競技のユニバ候補がいたり、自分と同じくらいの身長の子(他競技)がいたり、全国トップクラスの同期がいるだけで刺激となり、毎日とても楽しく過ごせた4年間でした。
怪我の多い大学生活になりましたが、そんな状況でも部活内外関わりなく、支え合える環境は、同じように志を持って生きてきた友人が多くいたからであって、そういう面では体育大学に進学できたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。

episode1「怪我を抱えながらの入学」

https://note.com/atsumikomuro/n/nf8a193efd4f4
↑こちらの記事、高校バスケの振り返りを読んでくださった方はわかるかもしれませんが、、、
高3の12月大学でまたバスケを頑張りたいという一心で、手術をした私。
結局、その時右膝に何が起こっていたかというと、「半月板」の損傷と「ガングリオン」が関節内に挟まり込んでいたことによる痛みの発生。
術後、若干やさぐれていた私に対して、現在もお世話になっているDr.と、某プロチームのDr.をしているお二方に、膝の中を見て分かったよ、頑張ってたんだね。との優しすぎる言葉をもらい、立ち直ろうと気持ちを入れ替えたことを思い出しました。

大学入学時には、まだバスケットができる状態ではありませんでした。軽く動くことができるくらい。ほぼ1年、痛みと付き合っていたこともあり、リハビリにすごく時間がかかりました。また、その時はPTもATもバスケットを専門としていた方ではなかったこともあり、意思の疎通もうまくいかず、想定以上の時間がかかってしまいました。

当然、こうなることは覚悟の上だったので、関東トーナメントは応援席。新人戦の最終週でようやくベンチ入りを果たしたものの、出場はなく、当初の予定通りリーグに向けて準備をしていました。ちょうど同じ時期に、1つ上のサラさんもACLのオペ後のリハビリ中だったこともあり、とても励ましてもらいました。サラさんは一足先に新人戦で復帰。確か、その新人は8位で終わったんだったかな。
その後、順調に回復し、リーグ前にはスタートを勝ち取りまたバスケットに力を注げる日々の開幕!となるはずでした。。。

episode2「ピンチ到来」

リーグも目前の8月。試験も終わり、本格的に大会期へと入ってきました。チームは校内合宿を迎え2日目の午後。アクシデントが起こりました。

スクリメージの最中でした。味方の少し逸れたパスをキャッチしようとしたところ、ディフェンスと接触。今思えば転んでしまえば良かったところを、踏ん張ってしまったのが悪かった。。。膝の外側から相手が( ;  ; )ゲーム中だったから気にせず続行しましたが、その日の夜から何か変な感覚に、、、。翌日のアップ中、膝周りに痛みを感じていたところ、監督にバレて。(膝弱いの知ってくれていたから割と慎重に扱われていました笑)ちょうど、夏休みでどこに行っても診てもらえず、近くの接骨院で様子を見ていたような。。。

休みも明け、痛みはなかなか抜けずひとまずリハビリへ。そこから診察送りの刑に。MCLのⅠ度損傷だったかな。まあ、この程度ならということで続行。だってリーグ戦は目前だったのよ。

リーグ直前の愛知遠征。悲劇はここで起きたぜよ。
前日に診察。Ⅰ度損傷の後、練習試合が続く中、痛みが増し増しになりついに半Dr.stopが。やるにしても時間の制限を、と。リーグに良い状態で入りたいなら、やらないのが1番だが。とな。まあ、やったよな。そして、やってしまったよな。相手の足が運悪く私のスクリーンにひっかかった。内側にストンと落ちた感覚。そのまま痛みで、動けずコート上で立ち尽くしてたな。で、プレス失敗して失点→HCに怒られるっていう。(笑)
直後から痛みで歩けず、寝れず。次の日の朝イチで帰京して直で病院へ。案の定、悪化。Ⅱ度損傷。装具固定。松葉杖。ははは。絶望でしたわ。。。笑
もちろんリーグは出れず終い。今シーズン終了。。。

episode3「出会い」

そんなこんなで1年次のシーズンが終わり、俗にいうオフシーズン(私のチームは練習があるけど)を迎えていたのですが、私にとって運命的な出会いをすることになりました。
当時のAC の後輩に当たるトレーナーさんがスタッフとしてチームに加わることになりました。が、一目見て嫌な予感がしたよね。(良い意味で)その人は、JAPANのジャージを羽織っていた。そして挨拶に行くと、やっぱりな。。。の展開。それは、「マイドクターと知り合い」(笑)(笑)当時アジア選手権の直後で、私の主治医もそこに携わっていた。で、挨拶に行ったらそのトレーナーさんが代表に携わっていて、アジア選手権にも帯同していたと分かった。私の性格だから、即ドクターに連絡。うん、繋がったよ!!!『あーーー、良かった!』私にとって最高の環境が出来上がったと思ったな。

そんな中、お膝の状態はどうだったかと言いますと、MCLのⅡ度損傷後リハビリは完全に仕上がっていない中で、急いで復帰したんだよね。案の定、痛みが抜けず、腫れも抜けず、で、N村さんが来た初日にコンタクトを取りましたわ。膝が悪くてですねえ、的な。ドクターとの繋がりは隠して。いつかドカンとびっくりさせてみよーくらいの感じでね。笑

様子見つつ、リハビリしつつ、うーん、なかなか改善されず、MRI撮っても良くないし、ってことで結局2年目のシーズンが始まってすぐにクリーニングでオペになりました。もちろん春のトーナメントは出れないよ。新人も。それでも治すなら今だと言わんばかりの周りの後押しもあり決心しました。3・4年で爆発すれば良い、と。

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