「鳴門」と「吉野」とM君の追悼

 この東京育ちの稀代の画家に切り取られた「鳴門」の渦潮は、塗り重ねられた結果としての渦の透明さと、翠がかった海の深淵と、この画家が最後まで描くかどうかを迷った島影という、3つの具象で見るものを包み込む。この渦潮は荒ぶらず、泡立たず、静かに、然しながら、大きな力で、悠然と巻いている。見るものは、いつしか、温かな眼差しで回る生命体を見つめている土牛と一体になる。  
 7月に帰らぬ人になった東京育ちのM君は中千本桜のまさにそこで、鎖骨と肋骨4本を折る大怪我をしながらもなお、友人をもてなし、酒と花を愛で続けた。その「吉野」である。巨匠が88歳で描いた吉野桜は、「醍醐」の荘厳さとは無縁の、気高く寂しく、素朴だが異形である。杉山がわずかにこの世との縁を遺すばかりである。果してM君、君はここにいるのだろう。いつしか、遺されしもの、見送るものの眼差しで鄙の冥土を見つめていることに気づくだろう。
 セザンヌ的な「那智」も、モンドリアン的な「茶室」も、「無難なことをやっていては明日という日は訪れて来ない」というこの巨匠の琴線につい触れたやうになる。我々の青春時代のアイコン「泰山木」すら、素朴な太さで描かれ、特別な造物ではない。ただただ、「牛が石ころの多い荒れ地を根気よく耕し、やがては美田にかえるように、たゆまず精進」したこの巨匠を、私は、やはり愛してやまない。

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