九月十七日・十八日@ウィーン

九月十七日

学期が始まるのはもう少し後だが、今日から二週間に一回の輪読会が始まる。私も四年生になってとうとうリーダー(一応会の連絡をしたりまとめたりする)役が回ってきてしまったので、輪読会の準備をする。いつもは適当に論文を読んでいたり読んでいなかったりしたが、流石に統括する人が全然読んでいなかったらまずいと思うので、ちゃんと読んでおく。

今日の論文は実験論文ではなくて、数学者のラプラスが実は行動経済学とかで発見されていたことを既に150年以上前に言及していたというような歴史的な話。その頃には実験心理学も発達していなかったので、それはラプラスの観察から来る洞察程度でしかないのだが、しかしただの観察だけから色んな理論の卵となるアイデアが書かれていてすごいなと思う。

今はインターネットがあるおかげで過去にどう言う研究がなされていたのか知ることは用意で(少なくとも直近のものは)、その知見に基づいたことをベースに論を組み立てることが基本でありもちろんそれは大切なのだが、逆に言うと情報にアクセスし放題なせいであれやこれや自由に夢想する余裕というか遊びの部分が少なくなっているようにも思う(色々思いつくことはあると思うけど、「で、エビデンスは?」と聞かれて見せれないものは結局形として現れにくいと言う気がする)。

輪読会はコロナのせいでズーム。と言うかコロナのせいじゃなくてもしかしたら今年は大学の移行期間でみんな場所がバラバラ(ブダペストかウィーン)だからコロナじゃなくてもズームだったかもしれないが。私はウィーンにいるが参加者の九割はブダペストから。とはいえ同じ部屋にいるのではなく、それぞれのオフィスだったり自宅から接続しているようだ。

初めての輪読会でオーガナイザーとしてそれなりに不安だったが、別に特になんて言うこともなく終わる(めちゃくちゃ盛り上がったかと言われるとよくわからないが、輪読会は嫌いな人が多いのでそもそもそんなに盛り上がることもないのが悲しい事実)。

ふと自分が初めて参加した輪読会を思い出した。それは三年前の秋で、確か秋一番最初の輪読会の発表者だった。博士に来る前に一年イギリスにいたけど英語もまともに喋れなくて(今から考えたらそうでもなかったかもしれないけど、少なくとも自信はなかった)、論文を丁寧に丁寧に読み(それでもわからず)、発表の原稿を作り練習をしていた。

今から考えるとこの輪読会程度でそこまでする必要もなかったのだが(みんな論文を読んできていることが前提で、スライドの準備もいらないカジュアルな会である)、その頃は輪読会「程度」のことができなくて、今となれば別に英語に対する不安もないし(※ネイティブのような英語を話しているわけではない)、大体聞かれたことに関しては返答できるし、それなりに成長しているんだなと思う。とはいえ今年でヨーロッパ生活は五年目だからそれなりに長い年月がかかってるわけだが。

九月十八日

八月に一度ブダペストからウィーンにきて申請しておいた無犯罪証明書が届いたと言うので大使館に取りに行く。二ヶ月ぐらいかかるかもしれないと言われたが、なんと一ヶ月で届いた。驚きである。あとは申請するだけだが、移民局の予約状況を見るとなんと一ヶ月先まで空いていない。無犯罪署証明書がいつ取れるかわからず事前予約ができなかったのでしょうがないが、残された滞在の時間のことなども少し不安になる(とはいえどこまで厳密に管理されているのか不明、多分されていない。正直私もすでに何日ハンガリー以外に滞在したのかわからない)。

大学院に入って共同研究に恵まれている環境(関心は近いけど異分野の研究者がいる)にいながら実際に誰とも共同研究することなく今まで来たが、とある論文の特集号のコメンタリーへの応募を、他のラボのポスドクとやることになり、その案をまとめてメールで話したりGoogle Docs上で編集したりする。

その二人は哲学・人類学のラボの人で、一人は私と同じ博士課程にいて卒業して今はアメリカでポスドクをしている。もう一人は同じ学部のポスドク。特集が音楽の起源と言うことで音楽を使っている私に声をかけてくれたのだが、話自体は文化の進化論(cultural evolutionはなんと邦訳されているのかそういえば知らない)の話なので、二人が専門で私なんかがと言う気持ちになるが、やはり分野を跨いだ議論は楽しい。私のやってることなんてつまらないなと思うことが多いが、背景が文化の起源とかどうやって何千年も脈々と受け継がれてきたのかという話は、それは昔夢見た宇宙の研究のようにロマンがあるものだなと思った。

学部生の時からずっと手法は心理学でやっていることは大して変わっていないのだが、自由なヨーロッパの空気、学際的な環境、そして適度に全員とコミュニケーションできるほどの小さな組織にいることで、自分のやってること&これからやることを少し大きなスケールで見ることができて良かったと思う。今の大学院は世界的に無名だけど、ここに来れて本当に良かったと思う。

コロナだから進んで何処かに出かけることもないが、金曜日はいつもピクニックの日である。ピクニックといっても外の公園でラボの人と話すだけなのだが、この時ぐらいはマスクを外して(距離はとるが)リラックスしたい。もうコロナの生活に疲れたが、オーストリアはまさに第二波の真っ最中である。