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\\学生最後の"のんびり丹波"の夏、終了//

※長文で、個人的な備忘録でしかありません。

特に予定も決めず、丹波に帰ってきて、口開けてぼーっとしてたら、10日経ってました!!
なんてのんびりしたんや!って感じ。でも、心に余裕ができたんちゃうか?!って感覚で学生最後ののんびり丹波の夏が終了しました。

「丹波はのんびりするのに最高の環境」です。

大好きな丹波の大人の方々にブワーーーッと会いに行こうとも思ってたけど、両親とここまでのんびり過ごすことができる日々ももう人生でそないなさそうやし、ただ実家でのんびりしたくなったので、ほぼのんびりしてました。(またすぐ帰ってくるので、その時は大好きなみなさんに会いに行かせてください💓笑)

ただのんびりしたり、気が向いたら卒論したり、本読んだり、散歩したり、起きたら14時だったり、甲子園に行ったり、祭に行ったり、同じ村のおもろい方とお茶したり、買い物行ったり、勝手に夏休みの自由研究で家系図書いてみたり、父親のセルフ打ちっ放しでゴルフしたり、父と男の?!約束を交わしたり、母からのカミングアウトを聞いたり、どこ行っても知り合いと出会ったり、ゆっくりしたけどなんだか刺激的でした。

のんびりしながら気づきがあったので振り返り◎

◾️勝手に夏休みの自由研究「大地家の家系図」

父の証言により、大地家の家系図を書きました。
ここでの気づきは、
・「文字」で記録することの大切さ。
→昔家が燃えたらしくて、家系図が消えたらしい。それゆえ、文字ではなく、記憶でしか辿れない。定かではない。
・私が生まれたのは奇跡。(当たり前)
・大地家は戦争に行った人全員生きて帰ってきたという、昔から強運な一家。(ちなみに私の祖父は戦地でマラリアにかかったのに生きて帰ってきた強者)
・分かってるのは六代前(おそらく幕末)まで。少なくとも六代前から丹波。わたしんちは六代前から本家。
・大地家は極端に酒が強い人と弱い人に分かれる。(私も覚醒してお酒強くなりたい。)
・大地家は基本的に10km圏内の人同士で血が混ざり合ってる。
・大地家は、若い頃は大阪で働いてた人が多い。
・大地家は、商売人が多い。
→どこかで繋がってるであろう、同じ村の"大地さん"の商売やってる率もめっちゃ高いことに気づいた。
・いつから、大地家は丹波にいるのかは不明。一説によると熊本から来た説(確かに顔は濃い方)、金沢から来た説(これがほんまやと私の感覚は正しすぎる)、岡山から来た説(前に大地と書いておおじさんと会いましたね。)

◾️私は、みんなが何か1つに汗水流す姿がめっちゃ好き。

甲子園にしろ、能登の祭にしろ、ボールとか神輿とか、みんなが分かりやすく、1つのものに向かってるものが好き。
初めて丹波篠山市のデカンショ祭に行きましたが、盆踊り系では祭りの血は騒ぎませんでした。笑
目に見えて"みんなが1つに向かって汗水流してる姿フェチなんだなあ、私。笑

◾️両親は私のことを、お見通し。
私は一人っ子やし、長い間子供ができなかったお家に産まれたので、まあそれはそれは可愛がられて育ってそう!とよく言われます。自分で言うのはあれですが、まあまあそれなりに叱られながらも、可愛がられてます。笑ただ、割といい距離感があります。そこまで過保護じゃないなあって感じです。連絡を取り合うのはだいたい週一回くらい。両親が私を東京に出したことについて、周りの人にはびっくりした!とよく言われますが、親はケロッとしてます。寂しいだろうけど、高齢の親的には、早く自立してほしいということで、元々外に出そうとしてたそうです。すごい。日常生活であったことを逐一報告しあうような仲良しこよしの親子関係ではなく、たまにしか報告しあいません。それに、私の考えてることなんて2割くらいしか伝えてないです。なのに、その2割で、両親は私のことをお見通しです。すごいです。敵いません。

◾️昔遊んでいた川は、遊べない環境に。
私が小学生中学生の頃は、ほんとうに川で遊んでいました。川で泳いで、沢蟹をやたらと捕まえて、石で囲いを作り、沢蟹を謎に捕まえストックしたり、たまに今考えると外来種であろう亀を捕まえたり、ちょっと深いところで泳いだり、今考えると超危険な飛び込みをしたり、川から上がる時は壁を巧みによじ登ったり、ほんとうに私は野生児でした。しかしながら、今の川は水がなかったり(山が荒れてるんだろうな。)、草ぼうぼうのままです。もっと遊びやすい感じやったのに、草ぼうぼうは、蛇がおるかも知れへんし、だいぶ遊びにくい。遊ぼうと思ってたのに残念。

◾️我が村の団結力。

私が高校を卒業してからの5年間、あっという間に私が小学生の時に幼稚園だった子は、我が母校の後輩になり、私が中学の頃、夏休みに、「あっちゃんあそぼー!」といってきたあの可愛い子達は、私に敬語を使うようになるほどお姉さんになっていた。
同じ村で暮らしているだけなのだけれども、なんだかんだとみんな特に何もない夏祭りで集まり、なんでもない話をしたり、いじりあったり、昔から変わらない風景がそこにあった。村で生まれ育った男の人たちは特に、団結力があり、上下関係がはっきりしていて、なんだかんだとみんな仲良し。若い人も自治会におる。近隣の村では〇〇会を解散したらしいけど、私の村はまだまだ〇〇会が残ってる。たぶん近隣の村よりもまだ、子供はいる方。昔よりは賑わいは減ったけれど、まだまだうちの村は元気やなあと思った。
とはいうものの、紛れもなく人口減少・高齢化の進む村であり、いろんな弊害も垣間見える。それに地縁組織に対する考え方や価値観も変わってきている。

ただうちの村の可能性は、めっちゃある。
・自ら稼ぐことに臆することない人たちが結構いるんじゃないかなと。
割と自営業やってる人が多い。しかも家族経営に収まらない大きい会社やってるとこも数社ある。たった200人ちょいの村だけど、おもろい人ばっか。稼げる村になる可能性あるなあと。
・丹波の端っこだということ。
端っこゆえの団結力があるのではないかと。それと自然資源が多い。特に山。9割森林資源である。川もあり田畑もある。本気で山間部ゆえ、田畑の面積は少ないけれど。
・ほぼみんな顔見知り。
200人の村、大体4つくらいの名字しかないので、下の名前で呼び合うのが当たり前ですが、名前は分からなくとも顔はみんな知ってる。何かあった時、その繋がりは強いものになるやろ。
・村が大好きな人が多い。
なんだかんだと、一度外に出た人たちも村に戻ってきている。みんな家を継いでる。なんか、みんな村が好きらしい。仲良し。
・今は空き家が少ない。
昨今の空き家問題は大きく取り上げられてますが、空き家がほとんどない。むしろ、新しい家が建っている。今後は空き家が出てくるだろうけど、ぜんっぜんない。
・独特な訛り
結構言葉とか訛りって大事だと思っていて。私の村は他の集落からちょっと離れてることもあるのか、ちょっと他の村とは訛りが違う。けど、それは村のアイデンティティである。

私の生まれ育った村を守るために"変える"べきものは、まだ私には分からないけれど、今のところは大丈夫そう。ただ、まだよそからくる人の免疫はそこまでなさそう。

◾️2023年、和田っ子としてのアイデンティティが薄くなる。

丹波市は6つの町が合併してできた市でありますが、その6つのうち唯一町内で中学校が2校あるのはわが町。そもそもの面積が広いというものはあるけれど。私の生まれ育った和田中学校に進学するのは、和田小学校だけ。つまり、小学校と中学校のメンバーが変わらない。基本9年間変わらないメンバーで小中学校生活を送る。それ故に、市内の中でも独特の雰囲気を放っているらしい和田っ子たち。そんな市内で最も古い中学校でもある和田中は2023年に閉校予定。
和田っ子としてのアイデンティティは格段に落ちるやろな。
その時どうするか、その時までに何ができるか。うーん。
ちなみに、閉校して他中学校と合併する際、新校舎を建てる。なんやら、丹波市内には、新しくて綺麗な病院ができたり、これから市役所も新しく建設されたりする。その代わりに廃墟もめちゃめちゃ出てくる。どーすんのやろか。ひゃー。どでかいコンクリートの建物が廃墟になってしまうことは、よろしないぞ。廃墟のままにするなら、森にするのがいい気がするな。

◾️自分の目で見ていないものは、想像できない。

私はありがたいことに、大学生活の間だけでも、たくさんのご縁をいただき、丹波や能登だけではなく、たくさんの地域と関わらせていただき、たくさんの人との出会うことができた。高校生の頃も変わった部活に入ってたからたくさんのご縁があったなあ。
だから、たくさんの場所でたくさんのものを自分の目で見て肌で感じることができた。でも、それを言葉で人に伝えるのは難しいなあって。同じようにその場に居合わせても感じ取り方はそれぞれある。でも同じ世界を見てる人と話すのは楽。同じ世界を見てない人に私の世界を話すのはむずい。押し付けたくもない。言葉だけで伝えても想像してもらえずらい。視覚を使って、伝えること大事。ただ、伝わらなくても、伝えることは諦めたくないなと。

◾️のんびりしていても、人は成長する。
めちゃんこのんびりして、あぁ、なんも生産してないなあって感じだけど、生産量が成長の証ではないはず。のんびりして、ふっと振り返ったり、周りを見渡したりすることで見えることもある。むしろ、のんびりと丁寧に暮らしてる方が、心にゆとり・余裕がある。何もしてなくても、人はそこに存在するだけで、素晴らしい。焦って何かを生み出さなくてもよい。

◾️あつこ、前よりも臆病になった説。
割といろんなことにチャレンジしてきましたが、ちょっと臆病になったのか、自分の中で何かにチャレンジするハードルが高くなった。当たって砕けろ精神は、良くも悪くもしっかり考えてから行動したい派に。いい意味でたくさん失敗してきたからこそ、なんか慎重になってしまった。気がする。ま、そろそろソワソワしてくるだろうけれど。

◾️しかしながら、攻めの姿勢の方がおもろい。これは、甲子園を見ての気づきですが、今回の甲子園で勝ち上がったチームは、守りが強いチームというより、攻めが強いチームだったかなと。点差が開いていれども、とにかく次の点を狙うことのできるチームが勝った。攻める野球は、面白い。やっぱりここぞという時に守るんじゃなく、攻める。その姿勢見習いたい。

なっが!!!!!笑笑でも、思考は整理できた!!!以上。

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