私たちの行き先はどこ

某月某日
新たな生活にお疲れ気味の私に代わり、夫が息子の園の送り迎えをしてくれるとのこと。
体調が悪いわけではないのだが、肩や背中のか重く、何より心が重たくなっていたので、
夫の提案をありがたく受け取らせてもらい、どうにか体と心をほぐすことをしよう。

出かけた先は、某湖。
人混みへ行くよりも解放されたい気分で、馴染みある近くの湖に出かけた。
いつも癒されるはずのこの場所のはずなのに、今日の私はどうもナーバスであった。
「人と自然の調和」
それが気になって、自然の中を歩いているのに、この場所でも人に縛られているような気がして、心がざわざわしたのだ。

湖の周辺を歩いた。
何も考えず気ままに散歩して、人工物から離れ、自然と一体になりたかったのだけど、歩くと出会うのが、
「私有地につき立ち入り禁止」
それに出会うとどうやって向こう側へ行こうか、どうやって私の歩きたい道を歩きたいように歩けるのか、そんなことが頭をよぎり、わずかな苛立ちがあり、頭を空っぽに出来なかった。

この自然にも湖にも、誰かが決めた私有地という範囲が存在する。
誰かが決めたこの区画がたった1人の誰かのものであることが不思議だ。
いつ誰が線を引いたのか。
墾田永年私財法が思い浮かんだが、ここにもそんなことがあったのか?
この土地は私のもの。
ここからこっちは私の国。
なぜそんなことが人に決められるんだろう。

自然の中にも人が決めたルールが存在する。
そこから逃れることが難しい息苦しい時代になってしまった。
もっと人と自然とが調和したものになったらいいのに。

癒されにきたはずだったけど、湖の内側へ伸びる桟橋の先に腰掛けて、こんな考え事をしてしまった。
スッキリと心が晴れたというよりも、
少し重たいものが胸の中にあるままだった。
でも、なんとなくその重みは消え去らないものだと感じた。
自分よりも大切な存在である我が子が生きて行くことになる未来のことだから、
この重みをなかったこととして
ただ忘れ去ることは出来ない。
私などに何ができるわけでもないのだが、
それだも考え続けて、見つめ続けるのだ。

風に揺れる湖面の波打つ音は、優しく私の心をなだめるようであった。