165、網代太郎氏(元毎日新聞記者・元NPO法人化学物質過敏症支援センター事務局長)による発信について

まずは、彼のプロフィールを確認しよう。


毎日新聞社記者だった1995年に母親が化学物質過敏症と診断されたことをきっかけに、化学物質過敏症支援団体の立ち上げに参画。自宅から約1kmの場所での新東京タワー(東京スカイツリー)建設計画をきっかけに、電磁波問題に取り組む。現在、行政書士、法律事務所勤務。電磁波問題市民研究会事務局(会報編集担当)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
スマートメーターの何が問題か』より


網代太郎氏は元毎日新聞社の記者であり、化学物質過敏症センターという組織の活動に寄与した人物と聞いている。上記にも「化学物質過敏症支援団体の立ち上げに参画」とある。

https://www.facebook.com/profile.php?id=100004466615337

 また、興味深いことに、網代氏は常に黒薮氏の批判を行っており、押し紙問題に目を塞いでいる元新聞業界の方としては【押し紙問題を追及する黒薮氏の存在】は潜在的に気に食わないのでは安易に察しがつく。

 網代氏は最近、映画【窓】への批評と、舩越典子医師による宮田幹夫氏告発についての批判を行っている。下記に①~③として掲載したので読んでみて欲しい。 

 また、船越医師の告発ついて、黒薮氏がきちんと取材をしたのかを疑っている発信を行い、舩越氏が黒薮氏に「宮田氏の手紙」を渡したことを「横流し」と述べている。が、公益性を鑑みて組織・界隈の内部に重要な問題があることをジャーナリストに伝え報道してもらうのは「腐敗を正し膿を出すに至らせる」ジャーナリズムの果たす最も重要な役割である。元記者の発言とは信じ難い。

 私の経験上、黒薮氏は常に裏付けのあることしか書かない。しかも確信のある裏付けだ。私は日頃、黒薮氏に情報提供を行うが裏付けの弱いものが報道されることはない。それは裏付けのない事実を報道すれば、黒薮氏自身が名誉棄損で提訴されるリスクがあるからだ。

 リスクを負っているのは宮田幹夫医師も同様だろう。それは「診断書」という重要な書面を扱うからには逃れられない。弱者に対しては「可哀そうだから、客観的根拠のない診断書を書いてよい」とはならない。舩越典子氏が告発した内容が「事実ではない」というのであれば、宮田氏本人がそう主張し公言すればよいのである。

引用①

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2451925258299671&id=100004466615337

引用②

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2453759118116285&id=100004466615337

引用③

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2464206520404878&id=100004466615337

網代氏の黒薮氏への批判は今に始まったものではない。約2年前にも網代太郎氏について私は下記の記事を書いている。

↓ ↓ ↓

【藤井敦子による網代太郎氏への批判~2021年3月10日】

まずは下記を読んで欲しい。

http://www.kokusyo.jp/mass_media/16076/

私は物ごとが一斉に一方向に動くのが嫌いである。それは子供の頃から、そして現在に至るまで、例えば自分の住む地域活動でも同じである。地域活動では実際に、住民を大切なことから目をそらさせるために一方的な雰囲気づくりが意図的に行われる場合も多々ある。一斉に目が向くことで本当に大事なことや、本来やらねばならない事が取り残されるのだ。そこに工事など億単位のお金が動く時もある。一斉の雰囲気づくりに対しては、それが何の方向を向いていたとしても最大の用心をする。考えが一色に染まる事への警戒もある。異なる意見を言えない、もしくは言わせないようにする同調圧力は地域でも大いにある。自分と違う意見があるから何なのだ?言うだけで何かが決まったわけでもなく過半数を取ったわけでもない。にもかかわらず、違う意見を「言う」だけで嫌がる人が多くいる。内心違う事を思っているのに表向き合わす方がよっぽど危険だ。そういう意味で、黒薮氏がスタンピード現象(先頭の一頭が方向を変えると一斉に同方向に動く野生動物等の動き)を語る時、私も同様の感じ方を持っているし、世の中が森降ろしで埋め尽くされる時、私はそこには加わらないし、むしろそんな時こそ「異論を許さない」との圧力、強制力、流れに強い抵抗を覚える。

下記に紹介する元毎日新聞記者の網代太郎氏は、スタンピード現象に同調しない黒薮氏を厳しく批判している。網代氏は彼にとり、黒薮氏は因縁の関係と言うが、黒薮氏にとれば目の前のハエを払う程度に過ぎないだろう。むしろ網代氏にとって気になって仕方のない存在と言える。というのも、以前、網代氏のTwitterを見た時、かなりな頻度で黒薮氏批判を投稿し、逆にそもそも網代氏が何を追いかけているジャーナリストなのかがわからなかった。自分の行うこと(ジャーナリストであれば自分が取材追及する内容等)より他人批判の頻度が多ければ自ずと信頼性は欠ける。人は自分が取り組むべきものを持っている場合、他のことはあまり気にならないものだからだ。いずれにせよ、網代氏は黒薮氏が気に食わないことだけは明白だ。単純に見れば、元毎日新聞社の記者であるから、自社も責任があり隠蔽している押し紙問題を扱われたくないのだろう、ぐらいにしか思えない。

 あとは「新聞社に勤められない人間はジャーナリストを名乗るな」とでも言いたげなプライドがあり、黒薮氏を必ず「自称ジャーナリスト」と呼ぶ。ジャーナリストとは権力中枢の腐敗に切り込み裏付けをとり市民に知らせる人のことだ。海外などフリーランスが当たり前で、フリーで出来るジャーナリストの方がむしろ力を持っている。自称などと笑う方が、その人の狭い世界観を晒しているにすぎず、肩書はその人の拠り所に違いない。黒薮氏は肩書がジャーナリストであろうがフリーライターであろうが、日本の新聞業界の押し紙・虚偽部数の実態を暴くことで権力の歯車としてのメディアにメスを入れる人物であることに変わりはない。網代氏の声は、権力に拳を挙げるフリをしながら、その実、メスを入れられることを拒んでいる人間の断末魔にしか聞こえない。

下記が網代氏の投稿で、その下に私の書き込みと、網代氏からの返信を載せておく。読んで好きに感じて欲しい。

(網代太郎氏の投稿)https://www.facebook.com/profile.php?id=100004466615337

私と因縁があり、かつて(ご存知、ご記憶の方はほとんどいらっしゃらないでしょうが)FB上でも若干の応酬があった、黒薮哲哉氏という「ジャーナリスト」を名乗る者がいる。

彼が、“東京五輪パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長へ、謝罪や会長辞任を求めるのは誤り(「過剰反応」)である”、という主旨の記事を公表した。

この記事の批判対象は森氏ではなく、森氏を批判する市民、野党、メディアである。

http://www.kokusyo.jp/genron/16067/

森会長へ、謝罪や会長辞任を求めるのは誤りである理由を、彼は「話し言葉というものは自由闊達なものである」から、「失言は、原則として制裁の対象にはならないはず」「寛大に見る必要がある」と書いている。

こんな乱暴なリクツってアリなの?と思うのは、私だけではあるまい。

公の場などで発せられる話し言葉に、相応の責任が伴うことは、常識の範疇ではないだろうか。

私たちは、生活や仕事などの場面で、家族、友人、上司、同僚、部下、取引先等々と、日常的に「話」をしている。

そうした場面での失言で、苦い経験をした方々も(私も含めて)いるだろう。

一度口にした言葉は取り消せないのだから、そこで失敗をしないよう、私たちは場面に応じた程度に気を遣いながら話しているはず。

さらに、話し言葉は、場合によって、人を深く傷付けうるものである。言葉は時として、暴力にもなる。

だから、無条件に(黒薮氏は、記事中で特段の条件を付していない)「話し言葉」に「寛大」な姿勢を示すべきという氏の主張は、おそらくほとんどの人々が仰天するのではないだろうか。

政治家や、東京五輪パラリンピック大会組織委員会など、より重大な立場にある者の発言には、当然ながら、より重い責任が伴う。森氏の発言は、女性を中心に世界中の多くの人々を傷つけ、怒らせた。

市民、野党、メディアが森会長を批判し、謝罪や辞任を求めるのは、まったく当然。黒薮氏に「過剰反応」などと指摘される筋合いはないだろう。

黒薮氏が、政治家の発言よりも、その発言を批判する側のほうを非難する姿勢は、今回が初めてではない。杉田水脈衆院議員が性暴力被害者への支援をめぐり「女性はいくらでもウソをつける」と発言したときも杉田氏を批判した側を黒薮氏は批判した。

また、杉田氏がLGBTの方々は「生産性がない」と書いたときも結果的に『新潮45』が休刊となったことをもって黒薮氏は市民側を非難している。

黒薮氏の記事には、言葉を受け止める側への言及がほとんどないことが常である。言葉を投げかけられた当事者についての想像力が著しく欠如しているのだろう。

そのような人物が「ジャーナリスト」を名乗り、言葉を使って商売をしていることは、恐ろしいことではないだろうか。

黒薮氏は「社会通念に合致しない発言を『取り締まる』のが、あたりまえになってくると、公人はあらかじめ準備したスピーチ原稿なしに公の場で発言できなくなる。現在の国会における官僚や大臣の答弁がそれに近い」と書くが、国会審議のすべてが原稿の読み上げによって進行しているはずもなく、基本的に「話し言葉」でのやりとりである。

話し言葉は「自由闊達」だから免責されて良いとなれば、国会審議はまったく成り立たない。ウソつき放題だ(あ、ということは黒薮氏は、アベ前首相による度重なるウソ答弁も、ついつい言ってしまった話し言葉だから謝罪を要求すべきではない、という意見なのかな)。

黒薮氏は、また、上で引用した通り「取り締まる」という言葉を使う。

「取り締まり」は、権力者が市民に対して行うもので、市民が権力側である森氏へに対して行う批判などとは、方向が真逆である。

批判と、取り締まりという真逆のものを無意識に混同しているのであれば、著しい不見識であり、意図的に混同しているのであれば論外である。

もとより、市民、メディアには森氏を辞任させる権限もない(から森氏は会長を続けられている)のだから「取り締まり」は単なる比喩だとしても不適切である。

市民やメディアによる批判が、取り締まりや「言論統制」につながるという氏の主張も、どのような論理でそうなのか意味不明だが、百歩ゆずって今回の件をきっかけに言論統制につながる動きが出てきたら(出ないと思うが、仮に出てきたら)、“それに対して一丸となって反対すること”が市民、メディアがすべきことであり、“権力者への批判をあらかじめ控えること”ではないはずだ。

(藤井)>黒薮氏の記事には、(中略)言葉を投げかけられた当事者についての想像力が著しく欠如しているのだろう。そのような人物が「ジャーナリスト」を名乗り、言葉を使って商売をしていることは、恐ろしいことではないだろうか。⇒(藤井敦子)黒薮氏は新聞社が構築する押し紙構造により、経済的に圧迫・疲弊させられた販売店主に対しては想像力を持っています。巨悪が市民を潰しています(私のケースも同様です。私は一市民にしか過ぎませんが、日本禁煙学会や警察の仕組む巨悪により潰されそうになっているところを筆の力で救ってもらいました)。ネタを飛び歩かず、巨悪の腐敗に時間をかけて詰めよっていくことが結果、痛めつけられた販売店や私のような一市民の尊厳回復に寄与します。ジャーナズムの神髄です。ちなみに押し紙についてはどう考えますか。なぜ新聞社は自らの腐敗の構造には目を塞ぐのでしょうか。

(網代太郎氏)

話し言葉は免責すべきというトンデモ発言をしている人が、他方では押し紙問題を追及しているなどについてご指摘ですが、とりあえず「ああそうですか」とお答えします。

殺人を犯した人が、他方では動物好きの優しい一面を持っていたと聞いても「ああそうですか」としか、答えようがないのと同様に。

https://www.facebook.com/100001516591569/posts/3924836987576816/

このような冤罪は誰に身にも起こります。信頼すべき医師が診断書を悪用し捏造を生み出し、弁護士が提訴する。今後この様な事の起こさぬよう私達は闘います。本人訴訟ではなく弁護士と共に闘っていくため、カンパをお願いします(note経由で専用口座に振込み)。ご理解の程よろしくお願い致します。