251、A妻の本人尋問が決まる~第1回進行協議の報告(再掲)


2024年(令和6年)2月14日(水)、横浜地裁にて第1回進行協議が行われた。これは忌避が理由で止まっていた裁判を開始するにあたり、A夫の尋問をどうするかについて協議するための会合である。傍聴は認められておらず、古川(こがわ)弁護士と二人で参加した。

この日に先立ち、A家代理人・山田弁護士からは下記の書面が提出されていた。


そして驚くべきことにA妻の本人尋問が決まった。忌避の高裁判決に述べられていたように、平田裁判官が翻意(意見を翻す)したのである。忌避をやってよかったと喜びに溢れた。

この翌日、見計らったかのように古川弁護士に最高裁から忌避申立ての棄却の書面が届いた。忌避は過去片手に収まる数しか認められていない。が、単にけんもほろろに棄却するのではなく、英断をもって棄却した高裁判決に敬意を表する。

当日メモ(支援者・関係者への報告)

2月14日(水)16時から進行協議と呼ばれる傍聴不可の会合が横浜地裁で行われた。私は古川弁護士と二人で参加した。作田代理人・片山律弁護士はオンライン参加。A家代理人・山田義雄弁護士は現場に現れた。

冒頭、山田弁護士は「本日付けのA妻の診断書」を配った。内容は、平成30年に発症したPTSDが継続しているという、近隣の心療内科・三原龍介医師(三原クリニック)が書いたものだった。前回も三原医師が診断を下した。

A家には心療内科受診歴はなく(福祉保健課調べ済)、事件が起こってから、副流煙のせいでPTSDを発症したと診断されたのだ(娘は重度のうつ病)。

山田弁護士が「本日偶然、A妻がPTSDの薬をもらいに行くと言ったので、診断書をとってきてもらった」と言った。山田弁護士は、A妻は受動喫煙症と化学物質過敏症の後遺症(PTSD)により苦しんでいると言った。私は「まだ、受動喫煙症とか言ってるんですか?」と皮肉った。

古川弁護士はすぐさま、「A妻は前訴の本人尋問を受けた際も、PTSDを発症した平成30年のあとでしたので、今回も尋問に出るのは大丈夫だと思いますよ。前回の本人尋問でもA夫は(尋問調書)12ページ分話していますが、A妻は19ページ分も話している。A妻のほうが話すことに積極的ですよ」と平田裁判官に告げた。

山田弁護士はA妻は(A夫同様)苦しんでいるから、死にそうだから絶対に無理だと言い続けた。 「私だってしんどいですよ!」と私が言った。山田弁護士は(いやいや、あなたは元気でしょ)といわんばかり視線を私に向けた。

平田裁判官は、片山弁護士に「何かないですか?」と聞いた(注:この反訴は訴権の濫用を争点にA家3名と作田医師を相手どって行われているものである)。すると、片山弁護士はこの裁判と関係のない、現在東京地裁で行われている「作田への名誉毀損訴訟」についてタラタラと述べ始めた。そして、最後に作田氏が「藤井氏が自分に対してスラップ訴訟を起こしている」と言っている、と言った。 古川弁護士も平田裁判官も、片山弁護士の話をひと通り聞いたあと、「それはこの裁判と関係ない」と言った。「参考程度に聞いときます」と平田裁判官が片山弁護士に告げた。

それから、私が手を挙げて発言許可を求めた。「手短かに」と平田裁判官が許可をした。 私は平田裁判官に下記の旨を伝えた。

「前の裁判自体が本人主観の診断書により提起されたもので、その裁判の上に今の裁判がのっかっている。作田医師や宮田医師は『物質に原因がある』と言うが、①前訴が提起される以前から化学物質過敏症の権威・坂部貢医師らが精神疾患が関与していると学会でも発表され国に報告されている。②禁煙学会岡本光樹氏も、受動喫煙症には統合失調症が含まれると述べている。③昨年12月にも厚労省に、化学物質過敏症の病因の一つに精神疾患があるとの報告が上げられている。これらについて新たな証拠と陳述書を出したいがよいか?裁判官は昨年3月に『もう結審する』と言っていたので、結審は先延ばしにしてもらいたい。」

これについては平田裁判官から許可が出た。よって次回までに提出することを古川弁護士と決めた。

平田裁判官は「申し訳ないが、A妻の尋問を行うか否か、考えさせてくれ、5〜10分時間をください」、と深刻に困り果てた様子で私たちに告げた。

私たちは部屋を出た。 古川弁護士と二人で待合室で呼ばれるのを待っていたが20分が過ぎてもうんともすんとも言って来ない。これは相当悩んでるに違いない、と古川弁護士と話した。30分近く待たされ、やっと平田裁判官が待合室に呼びに来た。 そして部屋に戻ると開口一番「A妻の尋問を行う」と述べた。私は心の中でガッツポーズした。 それを聞いて山田弁護士が「陳述書を出させるので、尋問だけはやめてほしい」と懇願した。「さっきからA妻とも電話で話しているが、尋問は無理だ。彼らは本当に苦しんでいる、死にそうなんだ」と感情的に訴え続けた。 私はあえて平田裁判官に見えるように、首を横に降り続けた。そして「7年前から死ぬ死ぬってずっと言ってますよ?しんどいと言えば尋問に来なくていい、なんて通りませんよ!」と言った。 すると、山田弁護士は机をドンと叩いて「本当に苦しんでいる!!死にそうなんだ!!私もそばで見ていて本当に辛いんだ!!」と言った。私は「一体いつまで同じことやってんですか!?あなたが引き受けたから、こんなことなってんじゃないですか」と山田弁護士に怒った。 古川弁護士と平田裁判官が仲裁に入り、古川弁護士が山田弁護士に(机を叩き大きな声を出したことに対し)「山田先生、声を荒げるのはおやめになったほうがいいんじゃないでしょうか」とたしなめた。 平田裁判官は話を変えるように、古川弁護士にA妻に対する尋問時間はどれぐらい必要かを聞いた。 古川弁護士は「前回A夫に対して要求したのと同様に40分間欲しい。ただし山田弁護士がA妻の陳述書を出すと仰っているので、それならその分内容が絞れるので、A妻に対する質問が短く出来る。」と答えた。 山田弁護士は診断書も出すと述べた(今回のが心療内科のものなので、次は身体のを出してくると考えられる)。 次回3月11日に再度進行協議を行うことで決まった。「3月4日までにA妻の陳述書を準備してください」と裁判官は山田弁護士に言った。診断書も出すのであれば尋問に耐え得るの否か見てみる、と言った。 私が、「診断書見たってわかりませんよ!!」と平田裁判官に警告した。私はまた元の木阿弥になるのではと危惧した。が、古川弁護士が、「大丈夫、尋問は行う予定だから」と言ったので一応納得し、そして閉会。 平田裁判官について印象的だったのは、これまでの高圧的な態度が変わったこと。忌避が効いたと思われる。が、A妻の尋問実施を告げたあとは、山田弁護士を上目遣いで見ていた。私たちにとればボンクラな山田弁護士も、平田裁判官にとれば怖い存在だった証だ。山田弁護士は、前訴では一審で新谷裁判官に叱られ、高裁で苦笑が両脇の裁判官から漏れていたほどの存在だったのに、、、。 平田裁判官はA妻の尋問を決めるのに、あれほど時間がかかったのだから、今後もまた優柔不断になる可能性がある。A妻の尋問はなんとしてでも行わねばならない。なぜなら彼女が本丸・要・核の人物だからだ。彼女の異常性が表に出れば事件は解明される。 あと、古川弁護士が「平田裁判官も知っているはずだが、尋問で当日バックレるケースもある。」それに対し私が、「多分A妻は尋問となっても当日出てこないと思う。でも、尋問に出なければ心証は悪くなる。出たら出たで、失言だらけで私にとって得になる。いずれにせよ悪い話じゃないですよね?」と聞いた。すると古川弁護士は「そうだ」と答えた。 昨日は1年に1度あるかないかの嬉しい日だった。1年間、待って良かった。

このような冤罪は誰に身にも起こります。信頼すべき医師が診断書を悪用し捏造を生み出し、弁護士が提訴する。今後この様な事の起こさぬよう私達は闘います。本人訴訟ではなく弁護士と共に闘っていくため、カンパをお願いします(note経由で専用口座に振込み)。ご理解の程よろしくお願い致します。