上記、松崎道幸医師は日本禁煙学会の役員である。

日本禁煙学会役員

 甲65号証の松崎氏の文書の中で最も問題だと思うのは下記である。

受動喫煙に関する非喫煙者の主観的申告と客観的指標との間に極めて良好な相関が存在することが明らかとなったのである。つまり「受動喫煙者の主観的申告に基づき推定された受動喫煙ばく露程度」が「受動喫煙の客観的指標」の満足できる代用指標 として、「現実に発生している受動喫煙関連健康障害 (受動喫煙症)」の原因であることを強く示唆するクリティカルな情報であることが判明 しているのである。

ここで松崎氏は「過去の研究からは明らかなのでもう、受動喫煙を浴びた人が臭うと言えば、そこに煙はあります」と断言している。現場の状況を鑑みず、過去の研究から犯人にされたらたまったものではない。日本禁煙学会にはこのようにタバコを犯人にしたい医師らがこぞって所属しており、横浜副流煙裁判での敗訴を経てもなお、何ら反省せず活動を続けている。下記も、日本禁煙学会北海道支部長・松崎道幸氏に関する報道である(2023年・令和5年11月)


 下記に控訴答弁書「第3、日本禁煙学会の診断基準の曖昧さ」「第4、控訴人らの訴訟を前提とした診断書作成」を示す。松崎道幸医師の意見書に対しての反論は、(2)(下記ゴシック)である。

第3、日本禁煙学会の診断基準の曖昧さ
 

 ここでは日本禁煙学会の診断基準の曖昧さについて、主張を展開する。控訴理由書の「2 受動喫煙症とは何か」の後半で控訴人が展開している主張に対する反論である。原審が提示した争点で言えば、「②原告は化学物質過敏症に罹患しているか。」である。結論を先に言えば、日本禁煙学会の診断基準はあいまいで、控訴人らが化学物質過敏症に罹患しているかどうかは判断のしようがない。

(1)控訴人らは、日本禁煙学会の判断基準で(控訴人・千葉由紀子の場合は宮田医師の診断書を含む)3人の控訴人を診断したから、3人は受動喫煙症、あるいは化学物質過敏症だと考え得ると主張する。これに対して原判決は、日本禁煙学会の認定基準を次のように批判して控訴人らの主張を退けている。

「その基準(注:日本禁煙学会による受動喫煙症の認定基準)が受動喫煙自体についての客観的証拠がなくとも、患者の申告だけで受動喫煙症と診断してかまわないとしているのは、早期治療に着手するためとか、法的手段をとるための布石とするといった一種の政策目的によるものと認められる(認定事実(4)ア)。そうすると、原告らについて、日本禁煙学会が提唱する診断基準に従って「受動喫煙症」と診断されてはいるが、その診断が、受動喫煙自体を原告らの主訴のみに依拠して判断し、客観的裏付けを欠いている以上(認定事実〈3〉ア、ウ)、現に原告らに受動喫煙があったか否か、あるいは、仮に受動喫煙があったとしても、原告らの体調不良との間に相当因果関係が認められるか否かは、その診断の存在のみによって、認定することはできないといわざるを得ない」。(原審判決、12ページ)

(2) 控訴理由書で控訴人は、問診に基づいた日本禁煙学会の診断基準は信用に値すると主張している。その根拠として提出しているのが松崎道幸医師の意見書(甲65)である。(控訴理由書では、9ページから12ページ)。しかし、松崎医師の意見書には、裏付けとなる海外の論文の翻訳が提出されていない。民事訴訟規則138条は、「外国語で作成された文書を提出して書証の申出をするときは、取調べを求める部分についてその文書の訳文を添付しなければならない(以下は略)」と規定しているので、証拠としては不十分である。被控訴人は、論文の内容を正確に確認することができない。
 しかし、論文の日本語による要約を読んだ範囲内で評価しても次の疑問点がある。
 まず第一に、実験に参加した被験者の数が著しく少人数である点だ。4編の論文のうち、「小児における室内気のニコチン濃度と保護者の喫煙状況の申告内容の比較」は別として、他の3編はそれぞれ、50名、286名、50名程度の被験者しか参加していない。
 第二に、実験の条件設定と実際の診察では状況がまったく異なることである。実験は、客観性があるデータを収集することが目的であるから、実験の主催者もそれを前提に協力者である被験者を選ぶ。一方、診察の場合で行われる問診では、医師に患者を選ぶ権利はない。当然、患者の受診目的も把握できない。また、患者が必ずしも真実を語るわけではない。
 仮に問診だけで病状を判断することが許されるのであれば、自らの病状を誇張して話せば、それが客観的な病状として記録され、認定されてしまうことになる。たとえば患者が受動喫煙の被害を訴因とした裁判提起を目的として、より高いレベルの受動喫煙症を認定した診断書を入手することを意図している場合、自らの症状を誇張して語るのが普通だ。それを客観性のある病状として診断書に記録した場合、事実ではないことを訴因として提訴が行われ、法廷で審理が進むことになる。訴権の濫用の引き金にすらなる危険性がある。

(3)まして本件裁判の場合は、作田学医師と倉田文秋医師が受動喫煙裁判を推進する日本禁煙学会の医師であるわけだから、問診による診断書作成により、疾患の客観的な状態が記録されることはまず期待できない。日本禁煙学会の問診重視の診断基準では、第3者による客観的な病理観察記録の作成は不可能である。たとえば作田学医師による控訴人・千葉恵司代の診断書(甲2号証)などは、正確な事実の記録ですらない。

「1年前から団地の1階にミュージシャンが家にいてデンマーク産のコルトとインドネシアのガラムなど甘く強い香りのタバコを四六時中吸うようになり、徐々にタバコの煙に敏感になっていった。煙を感じるたびに喉に低温やけどのようなひりひりする感じが出始めた。このためマスクを外せなくなった。体調も悪くなり、体重が減少している。そのうちに香水などの香りがすると同様の症状がおきるようになった。
 これは化学物質過敏症が発症し、徐々に悪化している状況であり、深刻な事態である。」(甲2号証)

 診断書の記述というよりも、むしろ聞き書きの文体である。が、このレベルの診断書が控訴人らの提訴と主張の根拠になっているのである。


第4、控訴人らの訴訟を前提とした診断書作成


 ここでは控訴人らの診断書作成の目的を、司法制度の悪用という観点から記述しておく。原審が提示した争点は、「②原告は化学物質過敏症に罹患しているか。」である。結論を先にいえば、診断書そのものが信用できないわけだから、控訴人らが本当に化学物質過敏症に罹患しているかどうかは、判断できない。

 控訴人ら3人が、作田医師を受診する前に診察を受け、診断書の交付を受けた倉田文秋医師は、積極的に訴訟を推奨する態度を見せている。意見書の中で、「経過では訴訟にまで進まないと問題解決ができない可能性が推測され、『診断書が必要な段階になれば作成します』と(注:控訴人らに)説明をしております」(甲50号証の1、4ページ)と述べているのだ。
この時の様子について、控訴人・千葉明は次のように日記帳にメモしている。

「家族3人で鶴見のくらた内科クリニックへ受動喫煙症の診断書をとの思いで行く。しかし、診断書を書いても、これだけこじれていたら意味がないとの事。警察に提出しても、本人にコピーを警察官立会でも無視。あとは訴訟しかないとの事。」(甲69号証、平成28年10月31日のメモ)

 こうした倉田医師の意見や控訴人らの動きを受け、作田学医師は控訴人らが訴訟を提起する前の段階で、診断書とセットで作成されるプログレスノートなどの資料をメールで山田弁護士に直接送付した。(千葉恵司代の本人調書、14ページ、16行目~)。これは作田医師自身が本件裁判に積極的に関与していることを示しており、医学的見地に基づいた客観的な診断書を作成するための条件を欠いていることを物語っている。
 患者の申告をそのまま病状として記録する日本禁煙学会の診断基準は信用に値しない。従ってそれによって作成される診断書の病状は、客観的なものではない。もちろん本件裁判で提出された診断書により、控訴人らが化学物質過敏症に罹患しているか否かを判断することもできない。
医学には問診だけでは、判定できない領域がある。それゆえに診断にはなによりも検査が重視される傾向が年々高まっているのだ。


このような冤罪は誰に身にも起こります。信頼すべき医師が診断書を悪用し捏造を生み出し、弁護士が提訴する。今後この様な事の起こさぬよう私達は闘います。本人訴訟ではなく弁護士と共に闘っていくため、カンパをお願いします(note経由で専用口座に振込み)。ご理解の程よろしくお願い致します。