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過去の性行動でハラハラしている方へ

ここ数年、俳優やタレント、芸人の方々の、現在及び過去のセクシュアル・ハラスメントや性暴力が、遅れてやってきた#MeTooのように、告発され、問題になるケースが増えていますよね。
そして、最近は芸能人のような私たちからはちょっと遠い距離のある人だけではなく、地域で講師や公職をしている方々の性暴力も明るみになることがあって、私の周りでも「まさか、あの人が…」という話題が現実になっています。

それらの報道やSNSでの拡散の状況をみて、「自分もやばいかも」「自分も同じようなことをしていたかも」とハラハラしている人がきっと少なくないのではないか、と思います。
そんな方々に今お伝えできることは何だろうか、と考えてみました。

※ちなみに、今回書いている「不適切な対応」というのは、法的という意味にとどまらず社会的にという意味を含んでいます。例えば、公職や講師などを辞めなければならないような状況になりうる、というニュアンスで読んでいただければと思います。

①今、できること

まずは「学ぶ」ということ、一択だと思います。
性暴力を告発された時の対応の失敗の一番の要因は、社会の変化を知らないが故に、誤った否定の仕方をしてしまう、ということだと感じています。
だから、まずは学んで、今何がアウトになっているのかを知る、ということがまず一番大切なことでしょう。

最近、話題になったH&Mの広告。

こちらがなぜ謝罪するという結果になったか、おそらく私たち日本の文化で育った人間にとっては理解が難しいでしょう。時には、「こんな世の中がおかしい」「なんでも人権侵害と言い過ぎだ」と、しぶとく納得ができない態度の方も多いようです。が、残念ながら、社会はもう変わってしまっているんです。
そういう意味では、この広告はとてもいい教材ですよね。これについて、周りの人と議論をすること、特に自分とは違う意見の人の話を聞いて、理解できなくてもそれを受け止める、ということが大切でしょう。
私の立場としては、この広告が直ちにアウトとは思えません。ただ大切なことは、日本の「JK」やその制服の描かれ方などにどっぷり慣れてしまっている私には相当に偏りがあることを知っているので、「直ちにアウトとは思えない」自分に対して疑いを持っている、ということです。「こんなになんでも批判されるなんておかしい」と怒れる方々はなぜそんなに自分の感覚に自信があるのだろう、と不思議に思います。

そして学び方として大切なのは、面倒くさいかもしれませんが、その歴史や経緯から学ぶということだと思います。
システマティックに「ここまではOK」「アウトな表現リストを作ろう」みたいにしても、なかなか私たちの感覚はアップデートされないと思います。
色々な本や記事を通してでもいいですし、先ほどもお伝えしたように自分と異なる意見の他者と話をしてみる、というプロセスが重要だと感じています。

②告発された時に、できること・すべきこと

お笑い芸人の例ではありませんが、間違えても「事実無根だ」とか「相手も同意していた」とは言うべきではありません。
昔は、被害者が「同意していなかった」ことを証明することが求められ、泣き寝入りしたり被害が認められない、と言うことが残念ながら度々ありました。
しかし、今の傾向は、加害者側が「相手はきちんとNOを言える環境や関係性があった上で、相手が同意した」と証明しなければならない、と言う流れになっています。
なので、これまでの感覚で、
「嫌だったらもっと抵抗するはずだ」
「酔っ払って意識をなくすそっちが悪いよね」
「そんな気がないのに、ホテルについてくる方が悪い」
とは決して言うべきではありません。
相手が告発してきた、と言うことは、相手にとってハッピーな出来事ではなかったと言うことは明らかなので、「嫌な思いをさせていたことがわからず、すみません」とまず謝るべきでしょう。その上で、納得のいかないこと、事実と違うことがあれば、丁寧に説明していくことが必要です。しかし、①でお伝えした通り、あなたはこの問題について学んでいない場合、あなたの「納得のいかないこと」「事実と違うこと」と言うのは、あなたの方の間違いの場合が多いでしょう。なので、専門家に相談をしたり、自分自身への疑いや謙虚さを持って振り替えなければ、問題が深刻化するでしょう。

③すべての人がしなければならないこと

最後に、自分も含めて、社会の中で多かれ少なかれ責任を持って生活や仕事をしている全ての人に今求められていること、これが一番大切なことだと思いますので、お伝えしたいと思います。

ここまで書いてきたことって、別に若い時にヤンチャをしてきた人とか、特にハラスメントとかいわゆる不倫とか、後ろめたいことがある人に限っての話ではないんですよね。
社会で責任がある人全てが、今アカウンタビリティが求められている、と言うことなんだと思います。
「コレクティブ・インパクト」で有名なジョン・カニア/マーク・クラマーの論文にとても腑に落ちる記述があったので共有します。

 影響力のある立場にいる人たち(多くの白人リーダー)に対して、個人的、そして組織におけるエクイティへの取り組みの進展についてアカウンタビリティを課すことを意味する。
 それは人種差別やその他の抑圧が、社会構造、組織構造、そして対人関係にいかに深く組み込まれているかを再認識するだけでなく、個人的に深く内省し、この現状に対する自分自身の責任と向き合うことだ。
 個人のオーナーシップとアカウンタビリティはさまざまなかたちをとる。例えば、白人のリーダーにとってはリスクをとってでも人種差別を公のばで批判することかもしれない。また、自分あるいは組織の過去における人種差別的な言動を公にし、認めることも含まれる。そして、他のリーダーたちに、人種差別をなくすために行動する責任を負わせることでもある。

「コレクティブ・インパクトの北極星はエクイティの実現である」(スタンダード・ソーシャルイノベーション・レビュー日本版vol.4より引用)

SDGsとかDE&Iとか言っているのリーダーであればもちろんエクイティについて自分の個人としての、そして組織としてのスタンスというのを説明できるようにし、さらに上記のように差別などの構造を知り、自分自身と向き合う、そしてこれからの行動指針を決める、という行動をとらならなければなりません。
そうでないリーダーも自分や組織のスタンスをどう位置づけるのか説明できる準備をする必要がある、ということです。

大変な時代になってしまった?面倒な社会だ??
そう思えるということは、これまでとても幸せに生きてこられたということだと思います。本当に良かったですね!
しかし上記のことをすることで、これまで私たちの社会ではなかなか幸せに生きられなかった人たちも安心して生きていくことができます。
私たちが行動を変えることで社会がより良くなる、と信じて。
私も自分を内省し、行動を変えていきたいと思います。

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