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甘いパンとしょっぱいパン

私がFacebookなどのSNSでお友達になっている方々のなかには、ジェンダーの問題にすごく詳しい方もいれば、これから勉強したいという方もいれば、ジェンダーにはまったく関心がなく別の点で私とつながったという方など、いろんな方々がいらっしゃいます。

なので、私の投稿へのコメントを見て、ざわざわ感じたり、不安になったり、怒りがこみあげてくる人もいます。

特に、ジェンダーのことを学ばれている方、マイノリティ性をもって活動している方などにとっては、ジェンダーについてこれまで気にしたことのないような方ののんきなコメント、無頓着なコメントを見ると、腹立たしかったり、イラついたり、冷笑したり…と、複雑な想いで見ているようです。

直接私に、「あのコメント、やばいですね」とか「わざわざ無知を露呈させるコメントをなぜ書くんでしょうか」と言ってくださる方もいます。

あまりにも誰かを攻撃したり傷つけたりするコメントに対しては、私も黙っているわけにはいかないと、反論しているところをきちんと示そうとしたことも、1回だけあります(それだけひどいコメントだったので)。

でも、基本的には、みんなが見ていて、本名で行っているコメント欄で、「それは差別のように聞こえます」「その態度には〇〇という名前がすでについています」ということは書かないようにしています。
なぜなら、ジェンダーのことに発言してくださることがそれだけで私は嬉しいので。
甘過ぎますよねー。

私は一発勝負したくないと思っています。自分自身もそうですが、変わるって時間がかかるので。
相手に理解させる一撃をくらわす…のではなく、ちょっと気になったり、ふと思い出したりするような言葉をかけて、関係性を継続していきたいんです。
甘過ぎますよねー。
まあ、一撃をくらわせるほどの打撃力が自分にはまだないからの仕方ない戦略かもしれませんが。

でも、それ以上に、自分自身の無知への後ろめたさがあるのだとも思います。
ジェンダーを学ぶことには、時間やお金を費やしてきたかもしれませんが、たとえば環境問題や子育て、教育問題、…さまざまな社会課題に対して、私は時間とお金を費やして勉強してきたとは言えません。
無知で知らないことが多く、意見を求められた時には、恥ずかしい発言をしているかもしれません。
でも、「知らないから口を挟まない」とか「自分には関係の薄い分野だから関わらない」というのも違うと思います。限られた時間や資源の中で、自分の無知には意識的でありながらも、自分の経験や立場から感じたことをきちんと言っていきたいという気持ちはあります。

ジェンダーの問題も同じかもしれません。
私が20代の時に、年上の女性たちがいつも温かくヒントを出してくださいました。
20代の時に参加したとある勉強会で、男女の経済的格差のこと、非正規に女性が多いことなどを学んだ時に、私がふと「でも私の周りの非正規の女性たちも、そこに疑問を持たずに、自分で選んでいるんですよね」という言葉が口から出てきました。
その時に、年上の女性がにこっと笑いながら「そうなんですね。自分で選んでる、うーん、選ばされているという構造的な問題もあるかもしれないですね」と言ってくださって、ハッとして恥ずかしい気持ちになりました。
他にも参加者がいる中で、厳しい言葉ではなく、でも私に気づかせるような言葉を選んでかけてくれたんだな、と今はよく理解できます。
今でも同じです。ジェンダーの分野の中でも、情報や知識が足りない分野はたくさんあります。学ばなきゃいけないし、時には無知を露呈して、恥ずかしい気持ちになることもあります。

私のこのような甘い(?)寛容(?)な態度を、どうぞ評価しないでほしいと思います。
特に、差別的な発言や不勉強な言動に対して厳しく対応している人のことを批判して、私の甘い態度を誉める、ということは決してしないでほしいです。
私は、女性というマイノリティ当事者ではありますが、給料をもらって男女共同参画をやっている立場だからできること、付き合い続けていくことができるという部分もあります。

友人がパン屋さんにいくと、エンドレスだ、と言っていました。
甘いパンを買うとしょっぱいパンを買いたくなる。そうするともう1つ甘いパンを買いたくなって、またしょっぱいパンもカゴに入れてしまう…と。
私もそれを繰り返していくのだと思います。
甘い態度を取っては、しょっぱい態度をとり、また甘い態度を取っては、しょっぱい態度を取っていく。
でもきっとこの甘い/しょっぱいのバランスが変わっていくのだと思います。このペースでやってたら一生終わらないですから。


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