【46日目】教育機関のせいか、自分のせいか。

今日から1週間ニュースの時事ネタについて僕の見解を述べていこうと思う。

今日取り上げた記事はこちら。

世界で最も語学学習に時間をかけているのは「日本」だそうだ。これは、世界で5億人のユーザーを抱えている、英語語学アプリの「デュオリンゴ」の実態調査によるものだ。

ちなみに僕は、デュオリンゴが日本発のアプリだと思っていたため、この調査結果に不信感を抱いていた。しかし実際はアメリカ発祥のアプリケーションらしいので、調査結果の信ぴょう性は高いはずだ。

この記事を読んで考えた事は一つ。「なぜ日本人は熱心に英語を勉強をするのに、話せない人が多いのか」ということ。

これは僕自身にも当てはまる。1年ちょっと前に、ハロートークというアプリ内で、外国人と英語でコミュニケーションを取っていた時期があった。僕は英語には自信があった。受験のためにそれなりに勉強してきた。しかし、僕の自信は、単なる勉強のための英語学習から来た儚い空想であったことを思い知らさせる。そう、まったく聞きとれないし、話せないのだ。

僕は、日本人に英語が話せない人が多いのは、以下の理由があるからだと思う。

それは、「教育機関に問題がある。(建前だけど)」ということだ。

例えば、中学生や高校生。彼らは、日常的に英語を勉強している。彼らが英語を勉強する目的は大半が、「受験に合格するため」である。受験は筆記試験がメインだ。ひたすら、読解をやらされるし、リスニングなんかほんのちょっとかじる程度。

「海外の友達と話せるようになりたいから」という目的で勉強をしていては、試験に合格するというゴールがあるならば、とても効率が悪いし痛い目に遭う可能性が高い。

思い返せば、中学高校での英語学習は本当にひどいものだった。黙々と英語を書き続ける。一生懸命ノートを取る。あんなにひどい授業を受けていては、喋れるようになるわけがない。僕は当時、「授業を受ける」という受け身の姿勢だったので、主体的に「話せるようになるため」の勉強をしていたらどうなっていただろうと少し後悔している。もちろん、少しは考えた。「こんな勉強を続けていて、将来のどんな役に立つだろうか。」と。しかし、奇抜なチャレンジができなかった。受験に失敗するのが怖かったからだ。

ここで、僕の彼女と彼女の妹の語学習得のエピソードを挟みたい。

僕の彼女は、中国語を話すことができる。高校時代に中国語の科目があり、授業内容は、教師との中国語でのコミュニケーションばかりだったという。彼女の妹は、韓国語を話すことができる。妹の方は、完全に独学であるとのこと。韓国ドラマや韓国の映画を見て話せるようになったらしい。

心の底からすごいと思う。そして2人の共通しているのは、「楽しんで語学勉強をしている」ということ。

彼女らは、語学学習をしている時、一切進学のことについては心配していないはずだ。思い切り楽しんでいたはずだ。何を習得するにしてもそう。筋トレだって楽しくないと、続いていないはず。トレーニングが受験のテストにあるなんてことを考えたら、頭が爆発しそうだ。身体なんて変わるはずもない。

結局は、自分次第なのかなとすら思う。

僕は先ほど、教育機関に問題があると発言したが、これはあくまで日本を全体的に俯瞰したときの問題点である。いわゆる政治家になった気分で考えていることだ。



しかしだ。個人レベルで僕が考えていることは違う。

僕の本音は、「日本人がこれからもっとたくさん英語を話せるようになってほしい」なんて思わない。むしろこのままの教育であってほしいと思う。なぜなら、工夫して努力して英語を話せるようになった人は希少的で輝けるからだ。

学生時代の僕は、教育機関を批判していた。だから、「普通」に埋もれていた。だが、一味違う努力をしていたらどうだ。希少性の高い生徒になれただろう。市場価値もぐんと上がっていたはずだ。

資本主義とは、こういうことだ。


これ、高校生のうちに気づけていたらな~。

ただ、この大学4年間で思考が変わったなって実感する。
これからは、より希少価値の高い人になろう。



時事ネタに対して自分の意見を述べるのって難しい。これ書いている途中でも何回も意見が変わってブレブレだった。まさにあれも書きたい、これも書きたい状態。意見なんてひとつに絞らなくていいのかな。ただそれだと、ヒカルの言う「あらかじめ答えを持っておく」とはかけ離れるもんな~。いやいや、このヒカルの言葉でさえ自分にとって間違っているかもしれない。おもろいな~。

とりあえず今後は、答えを持つ意識を持ったまま時事ネタ取り上げてみよう。