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2023

なぜだろう。私の人生で一番、私が置いてけぼりだ。難題や気持ちを揺さぶる嵐ばかり襲いかかってきて。2023年は自分の気持ちや言葉をいつの間にか忘れていくような気がする一年だった。忘れていくような悲しさや焦燥感ですら、忙しさで紛らわせることすらできる、そんな一年だった。

上期


会社員生活にも少し慣れつつ、社会の波にも呑まれつつ。会社の人と写真を撮りに行って、「写真が好きでよかった!」と心から感動できる日もあれば、「あれ、写真が好きってこれでいいんだっけ?」なんて迷い迷いの日もあったり。仕事がちょっと嫌になってしまった時期。でも、異動のきっかけになった研修が2週間あって、その研修でもう一度自分の目標を見つけることができて自分の心にもう一度火がついた。心が強く渇望するものに出会った瞬間、思考がいい意味で停止する。心が動く方向へ勝手に体は進んでいく。

写真部鎌倉着物編。めちゃくちゃ楽しかったし写真が好きになった。


研修中、上京して初めての雪。自分のいる場所がわからなくなった。
それでも撮るのをやめなかった。それは多分私の勝ち。

この時期、出会った人に「自炊はいい。料理のために無意識に考える段取りは自分の仕事の段取りとすごく似てくるんだよ」って言われて始めた自炊がなんとも楽しくなった。

作るのも撮るのも楽しくなった

上司から本を勧めてもらったこともあって、ここから味噌汁生活にどハマりしていく。「美味しい」の感覚が少しずつ変わっていった。ファーストフードとか外での贅沢な食事はやっぱり感覚を躍らせる存在ではあるけれど、心を満たしてくれる存在にはなり得なかった。身体が喜ぶ感覚がわかり始めた。自分で選んだ食材を自分の手によって形を変えていく。調理から食事が始まっていると考え出したのもこの頃から。

いろんな人との出会いによって、私の停滞していた人生が少しずつ動き出す。心地よかった高松にうしろ髪引かれながらも、出会っていく人たちみんなが私の人生を引っ張ってくれる。異動が言い渡されるのもちょうどこの頃。悩みまどいながらも少しずつ人生が進んでいった。いろんな人と話す中で、自分の悩みと向き合い、少しずつ前に進んでいった感覚。

高松の珈琲屋アスピ。会うたび高松に引き戻されてしまった。


高松の不思議なご縁で出会ったみやべさん(こーへーちゃんありがと)
「内面から美しい」ってまさにこの人だ、と思うなど。
福岡しゅっちょー。本音をぶちまけて恥ずかしかった。
でも、よかった。


あと、長野の乗鞍への旅行がめちゃくちゃによかった。自分の中の空気を入れ替えることの大切さ。

どんなに忙しくても、どんなに落ち込んでも、絶対撮ってた。
強いね。えらいね。

下期

「忙しい、とは心を亡くすと書く漢字」中三の時の担任に教えてもらったけどまさにその通り。夏を始める前に終わらせてしまったせいで私はどんどんワーカホリックへ。

心を亡くしていたことは、高松のなタ書の藤井さんには見破られていたなあ、と今では思う。いろんなことへの関心がどんどん薄くなっていた。ダメだと思う。バシッと叱ってもらえてよかったな、と思う。この高松の帰省は私は忘れないと思う。自分も変われば、生まれ育った土地も変わっていく。変わらないものなんて何もないことに気づき出した。それでもやっぱり高松が好きだった。

人生で、一番ひどく悲しく寂しい、惨めな気持ちになったのも実はこの2023夏。自分の気持ちを何かに傾ける恐ろしさにも気づく。心の穴を見当違いな何かで埋めようと毎日必死だった。ちっとも満たされなかったけど、埋めようとする日々は全く惨めじゃなかったよ。

高松の友達。一緒に変わっていく。だから、こいつとは
置いてけぼりにもならないし、置いてけぼりにもしない。
お互い違う道を歩んでいるから。
加速するワーカホリックの中でも
必ず誰かが優しかった。だから私はここにいられる。

胃薬の臭さにえずきながら働いた。齧り付いた。

それでも撮るのをやめなかった。やっぱり天才。

どんなに仕事が辛くても、生きていくことは私を裏切らなかった。走ること、泳ぐこと、ご飯を作ること。一つひとつ丁寧に積み重ねていくことが自分を支えてくれたし、強くさせた。

実家から送られたいもで作ったお芋ご飯。天才の味がした。
お弁当も作ったよ
会社の人とマラソン大会にも出たよ。走ってる時が生きてる感じがする。



毎年思う。「今年は激動だった」。きっと今年も思う。「激動だった」。激動の中で自分を知っていく。激しい波に揉まれながらああでもない、こうでもないって自分を見失ったり、見つけたり。

その繰り返しが、わたしが生きていくことだとも思うのだ。


コジキなので恵んでください。