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ワシの変遷①

幼稚園

1.とにかく男の子とサッカー、戦いごっこ、園庭で自転車を乗り回す日々。サッカーに関してはクラブチーム?みたいなやつに行ってた

2.生まれたばかりの弟の体調が悪いこともあってちょっとどこか寂しい思いしてた。ばーちゃんがその分優しくしてくれた

3.お弁当食べるのクラスで2番目に早かった。毎日アンパンマンポテト入れてもらってた

4.しょっちゅう怪我してた。わんぱくなクソガキだった

5.誕生日も生まれた病院も同じのソウルメイトと出会う。一緒に隣で寝てた写真あり。親も仲良し。というか、幼稚園の頃の友達は親同士も未だに仲良い。大人になってから気づいたけど、結構こういうのってレアだよな、ありがたや。今も東京でちょこちょこ集まったり、地元で飲んだり。ネジぶっ飛んだ友達だけどサイコーにオモロい。

6.家の前が小さな八百屋さんだった。そこのおばさんがマジでおもろくて豪快で口が達者だった。母親からも「あなたのその達者な口は多分あの人のおかげ」と、言われている。

総括
わんぱくなクソガキを代表する幼児。親も手を焼いたことだろう。

小学校

1.2年生の時の担任の先生がめちゃくちゃ厳しかったけど、めちゃくちゃ可愛がってくれた。「仏の顔も3度まで」という諺を用いて怒られたことを謎によく覚えている。のちに属する金管バンドの顧問でもあった。そのでも超可愛がってもらた

2.3〜4年生の時マジでしょっちゅう喧嘩する大問題児だった。揚げパンで男子の頭を殴って泣かせたことが、中学校まで語り継がれた。この頃からほんとに自分の想いが強くて、頑固。がんこちゃんってあだ名ついてた。ウケる。

3.5〜6年生はひたすら波乱だった。いじめの濡れ衣を被せられ、親も学校に呼び出され一家大騒動。マジでやってない容疑で2ヶ月ぐらい揉めてた。そのおかげで、所属してた金管バンドのドラムポジション奪われてガチ絶望してた。ほんとにいじめてたならまだしも、濡れ衣だったもん!マジつらかった。

4.その濡れ衣騒動は尾を引き、校内随一の問題児認定受けてた。担任の先生にも、親に向かって「貧乏人根性で、頑張ってくださいね‼️」と発言されるなどというトンデモ失礼を喰らわされるなど、(時効だよね)常人で信じられないような経験を積む。親にも失礼なのはもちろんだが、「いじめをした子」とレッテルを貼って人を判断する先生という生き物が大嫌いだった。(好きな先生もいたよ)大人が大嫌いだった。

5.そのおかげで大反抗期到来。更衣室で算数の授業サボったり、それが見つかったら「ゴキブリに失神してました!」などとトンデモ言い訳をしたりやりたい放題だった。授業中も友達にもらった白紙シールにハンバーガーの絵を描いて、ハンバーガーのシール量産してた。ガチ人生で一番勉強してなかった。学校の帰り道にお菓子食べるとかしてた。

6.その割には中学受験とかしてた。学校では1ミリも勉強しないくせに塾ではめちゃくちゃ勉強頑張ってた。しっかり落ちた。今考えればいい挫折経験。めちゃくちゃ慕ってた塾の先生がめっちゃお菓子くれてたし、一生懸命頑張ったら超褒めてくれるから、その先生が担当の社会めっちゃ頑張ってた。暗記の勉強はここで基礎を身につけたなぁ。あとあと考えて見たら、その教材、高校受験用の教材だった。あの頃から中学受験は落ちるって多分どこか見透かされてたんだろう。中学校の勉強の準備をしてくれてた。おかげで小学校のバカ加減が嘘のように中学校からは結構勉強できた。自分のことバカにしてた人たちが、びっくりした顔を見てスゲェ気味がよかった。(性格悪すぎ)というか小学生なのに塾なんか行かせてくれて親にマジ感謝。ありがとう。

7.阿波踊り連の連長とかやってた。目立ちたがりだった。問題児だったものの、ユーモア溢れる性格のおかげ(?)で学年投票堂々の一位という成績をおさめ(今考えたらえぐい決め方やな)無事就任。相変わらず出る杭は打たれるもので、そのことでめっちゃ悪口言われた記憶ある。

8.パワハラまがいの英語塾通ってた。クソスパルタすぎて親も流石に心配してた。どんなに怒られても凹まないへこたれない打たれに強い圧倒的鋼メンタルはここで醸成された。宿題やらなさすぎてクソ嘘つきまくってた割にはよくできてた。親も超怒られてたし、「なんでできないの?ふざけてんなら帰って!」と怒られてた。けど、割とできる方だったみたいで、つまづいたところは根気強く教えてくれたし、一年先に始めてた子達のクラスに入るために無料で補習とかしてくれてた。しかし、このおかげでのちに経験する塾講師で「先生の英語の授業マジで怖いんだけど…」と言われる羽目に。中学忙しすぎて辞めてしまったけど、高校受験の合格報告とかしたら「あぁ!あづは落ちると思ってないですよ!でも高校英語は難しいから、普段から真面目にコツコツやるようにだけは伝えてください」と案外信頼関係はあった…?この先生のおかげで高校に入っても英語は得意科目だった。マジアザス。勉強の仕方、のキホンはこの人が教えてくれた。

9.硬筆とか一応習ってた。しかし、習い事の中で「あれはあんまり効果感じてない」と、親認定を受ける程度に字は残念ながら汚い。親にも、「あんたの字は綺麗ではないな。残念ながら弟の方が綺麗」ガサツですみません。硬筆の先生がめっちゃ好きでおうちの墨の匂いが好きだった。集中力、はこの時鍛えた気がする。

10.そして何より金管バンドなしで私の小学校時代は語れない。めちゃくちゃ好きな活動だった。先輩が特に仲良くしてくれて、超可愛がってもらった。中学生になっても同じように可愛がってくれた。先輩大好き属性はこの頃から健在。楽器は好きだった。ドラムとか叩いて結構チヤホヤされてた。てへ^_^

総括
波瀾万丈すぎる人生は全てここから始まってた。親にも「あんたの人生エッセイになる」と言われている所以は完全にここから始まっている。

中学生

1.なんかわからんけど小学生に比べて急に成績が上がる。私はやっぱり、中学受験の塾で諦められて、中学の内容を勉強させれてた気がする。その1回目のマグレの成績を落としたくなくて、ストイックに勉強し出した。マジで更生したように思えた。

2.金管バンドの影響もあり吹奏楽部に入った。2.3年生しか出ないコンクールも1人だけ出させてもらったり、学校の中ではまあそれなりに上手かった。練習にはクソ真面目に取り組んでて、担任が学級生活とのギャップに困惑するくらいストイックだった。先輩には少々同級生から顰蹙を買うレベルで超可愛がってもらったが、残念ながら後輩には超絶パワハラ体質だった。可愛がられてだけど、一部の先輩からはやはり顰蹙を買っており、女子便所に呼び出されたり、正座で怒られたりもしてた^_^人間的に欠如があるのに気づいたのも、人と違う部分があることに気づき始めたのもこのころ。

3.相変わらず学校では授業中しっかり遊んで、塾でしっかり勉強してた。この塾は、中学校ではまあまあ有名な塾でクソほど汚いしクソほど怖い先生だけどクソほど成績が上がる不思議な塾だった。チェックテストカンニングとかして超怒られてたけど、この塾のおかげで中学上位キープできた。塾長まじいい人。教えるんもわかりやすい。大学受験までこの塾に。ちょっと勉強できなかったときがあったんだけど、「でも先生!私頑張った!」って言ったら、「くめちゃん‼️オリンピック見た?あんなに騒がれてた内村航平、メダル取れなかったら全然取り上げられないよね?全然知らなかった金メダルとった選手、テレビ出まくりだよね?結果が全てです❗️」と至極中学生には厳しすぎる説教を受けた。もちろん、この後頑張った。宿題アホみたいに多かったけど、この世の中で大切なのはは要領や質のいい上澄み液を吸うことではなく、パワープレイで押して押して押しまくって、脳筋プレイで物事を解決する気概が必要だってこと。その気概こそあれば上澄み液を自分で作れる。

4.勉強、部活共に頑張り文武両道優等生ガールになったかと思いきや残念ながら情緒不安定が行き過ぎで相変わらず問題児。気に入らないことがあれば教室の扉を蹴って出て行くし、通信簿に納得がいかなければ窓から投げ捨ててた。給食マヨネーズ腐敗実験とかしてたし、ネジの飛び様も奇人だった。滑りどめの高校を受験するかしないかで死ぬほど担任と喧嘩した。

5.学校という学校で1番おもろかったのはダントツ中学校なのだ。なぜかというと、友達がおもろすぎた。中学生ということを差し引いても、頭のおかしな(?)友達が多かったことは最近になってしみている。給食室裏の、民家の渋柿をいたずらで取って先生に怒られ、民家の家に謝りに行ったところ、「あれ、渋かったでしょう。今度からは先生にバレないようにやりなね?」と叱責を受ける友達。さらには、給食後に給食室裏で食後の一服を吸ってくるマイルドヤンキー、先生のスカートをめくってガチで怒られてても爆笑してる友達などなど、バリエーション豊かな友人たちも集まってクソくだらんことで笑う毎日が楽しくて仕方なかった。ヤンキーはいい奴が多かった。どんな人も話しかけてみれば案外仲良くなれるみたいなお花畑主義もここで生まれたはず。

6.サードプレイス「保健室」が私に取っては欠かせなかった。保健室つながりで仲良くなった人もいた。保健室で授業をサボったり、悩みを話したり、誰かと仲良くなったり、先生だけじゃなく友達からも説教されたり。部活でもない、教室でもない、家でもない場所があると知っているだけで心が救われたんだと思う。部活の自分でもない、教室の自分でもない、ただのイチ人間としての自分。何か悩みをそれぞれが抱えながらも、肩書きを少し薄めた生の状態で集まるあの場所は、私を救ってくれたことは間違いない。中学の保健室の先生は仲が良かった。保健教員界の中でも偉い人だったらしい。それいじってた。歯に衣を着せぬ言い方が安心できた。私たちにはずいぶん手を焼いていたはずだが、大学に上がる前に先生に会いに行った時、「保健室って普通は体調の悪い子しかこんのやなぁ。あんたらのおかげで基本的なこと忘れ取ったわ。」と懐かしそうに笑っていた。毎日窓が割れたり、誰かすぐいなくなったりとサイアクな治安だったが、どんよりと暗い雰囲気で荒れていたのではなく、どこかコミカルな荒れ具合だった。

長すぎるので、前編はこの辺に。
後半へと続く。

コジキなので恵んでください。