見出し画像

保護者面談で感じた「さん付け」の違和感の正体と、呉服店員がお互いを「さん付け」する理由

こないだ子どもたち(小一の男の子)の保護者面談があったんですね。

双子なので15分ずつで面談時間を続けてもらったんですが、最初は次男の面談でして、色々と気になることを聞いたり、最近の教育について教えてもらったんですね。

ふむふむ勉強になったと、次は隣のクラスに行き長男の保護者面談が始まったんですが、始まってすぐにある違和感に気がつきました。

担任の先生が長男を「さん付け」するんですよ。

次男の先生は普通に「くん付け」だったんですが、長男の先生はなぜか「さん付け」なんです。

1学期に長男が軽いいじめにあっていたことがあり、それを先生に直接相談したことがあったので、それに配慮して「さん付け」しているのかな?なんて思っていたんですが、どうもそうじゃないんですよね。いつもそうしているように「さん付け」しているんですよ。

小学生用の小さな椅子に座った先生が、神妙な面持ちで「◯◯さんは算数が得意でして〜」などと話しているのを聞いていると、ものすごい違和感だったんですよね。

あの(ぼくにとっては)小さな長男が「さん付け」されていることがおかしくて、マスクの裏でついほくそ笑んでしまったんですが、ネットで検索してみると、最近はそういう学校が多いようですね。

いじめ対策とかジェンダー教育なのか、教師から子どもへの呼び名も、子ども同士での呼び名も「さん付け」することが増えているみたいですね。

面談中はそんなことに気がつかなくて、最初は(先生が保護者に気を使いすぎているのかな?逆に気持ち悪いな)と思っていたり

ぼくにとってはまだまだ小さな子どもの長男が「さん付け」されることがおかしくて、つい笑ってしまっていたんですが、妻に話を聞くと、今そんな学校が増えてるそうです。

意地悪なあだなをつけられて苦しんでいる子どももいるので、それもあって「あだな禁止」と「さん付け」が広まりつつあるみたいですね。

確かに、ぼくも小学校のときに、ものすごく下品で嫌な思いのするあだなをつけられて、しかもそのあだなをテーマにした歌まで作られたというものすごく屈辱的な思い出があります。

「あだな禁止」や「さん付け」によって、そんな嫌な思いをする子どもが減るならいいのですが、保護者としてはちょっとまだ慣れないですね。

でも、もしかしたら、小学生の「さん付け」が今後あたりまえのように定着して、40年後とかに「え?おじいちゃんの子どもの頃って、さん付けしてなかったの?」みたいなことを言われるのかもしれないですね。

だとしたら、「さん付け」に違和感を感じるのは、ぼくが「自分の価値観」に縛られすぎているのかもしれないなって、ちょっと思ったんです。

自分の価値観というか、ぼくが育ってきた環境の価値観ですね。

ぼくが小学一年生だったのは1989年ですから、今から32年も昔なんですよね。そりゃ価値観も変わっているはずです。

ぼくは、この記事の冒頭でこんなことを書いていました。

次男の先生は普通に「くん付け」だったんですが、長男の先生はなぜか「さん付け」なんです。

32年前に小学一年生だったぼくとしては、男の子は「くん付け」されるのがあたりまえだという価値観で生きているわけです。

次男の先生の「くん付け」にはぼくはなんの違和感も感じませんでしたが、長男の先生の「さん付け」には違和感を感じた。

これって、ぼくが32年前の価値観で生きているからだと思うんです。だからこそ、ぼくは先生の「さん付け」に違和感を感じたんです。

時代がちょっとづつ変わっているなら、その変化がどういう意味を持つのか、自分に植え付けられた古い価値観ではなく、もっとフラットな目で考えたいなって、今回ちょっと思ったんです。

ちなみに、ぼくが呉服屋で働いていたとき、上司も部下も同僚もみんなお互いに「さん付け」で呼んでいたんです。

その理由は「いつ自分の部下が上司になるかわからない」という非情なほどの下克上システムの会社だったからなんですが、これのおかげで上限関係の息苦しさってほとんどなかったんです。

ぼくの周りの話にはなりますが、「さん付け」をすると上司も部下に対して「下の人間」という意識を持ちにくいのか、なんというか「1人の人間として尊重されている」という実感を働いている時に感じていたんです。

大切に扱われているというか、一人前として見てくれるというか、そんな感覚をよく感じていました。

当時のその会社は日本一のブラック企業なんて言われていましたが、驚くほど上下関係は緩く、人間関係によるストレスは(ぼくにとっては)まったくなかったんですよね。

それが「さん付け」によるものだけではないと思いますが、少なくとも「さん付け」によってぼくは、「個人として尊重されている」という感覚を感じることができたし、後輩に対しても「個人としての尊重」を「さん付け」するたびにかすかに感じていました。

「さん付け」するだけで、簡単に学校のいじめはなくならないだろうけど、だけど少なくとも、それによって「個人としての尊重」はかつてよりはされるようになるんじゃないのかなって、保護者面談の帰り道、2人の小さくて温かな手を両手で握り、秋の少し冷たい風が吹く校庭を歩きながら、そんなことをふと考えたのでした。

◇◇◇

夫婦関係に悩む男性向けに、オンラインでアドバイスを行なっています。

妻との関係改善を本気で取り組みたいという方はご連絡ください。ぼくが一緒に伴走します。

実際に妻との関係を改善できた方のインタビュー記事はこちらです。読んでいただくとイメージが掴めるかと思います。

Podcastでも、夫婦関係について発信をしています。こちらも合わせてどうぞ。

Spotifyはこちら

Apple Podcastはこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?