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2.24-30 「常に研究は実践のため、実践は研究のため」

おはようございます!水澤敦史です!
さて昨日は数学について書きました。
例によってFacebookに共有する際、大学の先生の話を書いたところnote1本かけるくらいにはいい骨子ができたので、膨らませます。

皆さんは何のために勉強しますか?学びますか?

「もう学校卒業して以来、勉強なんてしてない」と言い張る人がもし仮にでもいたら、お帰りください(笑)自分を振り返ってみればすべて勉強であるはずです。

「意中のあの人に告白したい!」
「一人暮らしし始めて料理について興味を持った!」
「このコーヒー美味いなぁ、どこの豆でどう作られているんだろう?」

勉強にはいわゆる「座学」のイメージがあるため、毛嫌いされがちですがすごく身近に勉強は存在するのです。「ググる」も、ある意味勉強ですね。

■日常すべて、勉強です。

僕は大学で都市・コミュニティデザインについて学んでいました。
その恩師であるU先生に、「勉強」の大切さを学んだことは今でも大きいです。その教えとは、

■常に研究は実践のため、実践は研究のためにある

という言葉です。
「とにかく現場に行け」という考えが根本にあり、現場に行ったから学ぶことがはっきりすると言っておりました。

ふと研究室にお邪魔した時、「研究は常に実践のため、実践は常に研究のためにあるべきだよ。」という言葉をいただいたのです。

■思い返せば、育った環境は実践しかなかった。(きつかった)

僕は基本的に勉強が好きです。小中高も勉強が好きでした。
なぜ好きなのか考えてみると、とにかく疑問を抱く機会が多くて、そのためにいろいろ勉強する必要があったからだと感じます。

僕は自営業・看板屋の4人姉兄末っ子に生まれました。
決して豊かとはいえず、ご飯はふりかけ、家はボロ家兼仕事場、服なんて基本おさがりですね。

そんな環境がきつかったかというと、たまに劣等感を感じながらも「実践訓練場」であったことがすごく有難かったです。「実生活」がハードだから、何とかして勉強して知識経験を豊かにしていかなくてはいけません。

看板屋だったこともあり、結構勉強が生きてました。
人とのコミュニケーションは国語が基本。
現場に多く連れてってもらったので社会は好きでした。
採寸や立て付けのために数学や物理は体得してましたし、
技術でのこぎり使うときとかは学校1でしたね(笑)
もちろん看板はデザインだから、美術は必修。
体力も必要なので体育は常々。
家に帰れば基本は自分で物事こなす必要があるから家庭科なんて最高に好きでした。

しいて言えば英語と音楽だけはうちで使うことがなかったので嫌いでしたね。笑
英語はちょっと勉強したら看板に印字されてる英文がちょっとだけ読めるようになって楽しかった記憶があります。

音楽はからっきしダメでした。
小学校の音楽祭は大太鼓職人でしたからね(笑)
でも中学の時にどこか必要性を感じてなぜか合唱委員になり、合唱コンクールで指揮者を務め、指揮者賞をいただいたりもしました。

長々書きましたが、伝えたいことはただ一つ。
意識的に勉強をし始めたのではなく、勉強が活きる場所があったから勉強した、もしくは勉強しなきゃいけなかっただけです。

■実践できる環境に身を置くことで勉強する。

学校に行って勉強しない人はいないし、仕事していて勉強をしない人はいないです。自分が学びたいことがあるなら、まずは必要がある環境に身を置いてみてください。

■おわりに

恩師たる先生はもう一つ大切なこととして「笑って戦え」ともおっしゃってくれました。
つらく苦しいことも、笑って乗り越える大切さとその実践と研究の精神は間違いなく自分の価値観、生き方を作る土台です。そして当時実践の場を提供してくれた西伊豆の松崎町の皆さんには本当に感謝しかないですね。あのとき温かく僕らを迎え入れてくれたからこそ今の自分があります。

一つ夢が増えました。僕は将来必ず成果を出すので、28歳の時に、

「情熱大陸とプロフェッショナルとアナザースカイで松崎町を訪れます」

お世話になった人も最近年食って(年食ってるけどFB見る限りめちゃ元気)きてるので、早く恩返しできるように、今日もひたむきに戦います。

今日も一日、最高にしましょう!
ありがとうございます!!

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