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華やかな孤独

従兄弟の結婚式に参列したあと、一人で大阪・梅田の夜に繰り出した。
お祝いのための礼服を脱ぎ、家から持ってきた私服に着替える。
この日のために熟考して選んだ一着だ。
一歩外に出ると馴染みのない景色が見えて足がすくんだ。
でも出かける嬉しさがこみ上げ、徐々に気分は高揚する。
そのような時に、路上ライブに出会った。

ステージに立つ歌手の堂々とした立ち姿は、華がある。

帰宅ラッシュの時間。人が街を行き交うなかギターを肩にかけて、ひとりで歌う。年齢はおそらく、自分と2つ、あっても3つの差だろう。
大きく年齢が変わらない人が歌う姿を、混沌とした思いに苛まれた自分と重ねると勇気をもらえる。

ライブが終わり、機材を撤収していた時。
同じ視点を見たくなって、ふと歌っていた場所に立ってみた。
経験してみなければ同じ気持ちはわからないと聞いたことがあったし、
聞いた時間や音楽を何もせず消費したくなくて
無意識に足が向いていた。

もしかしたら
実は空腹で歌ってたのかもしれないとか、
風邪気味だったのかもとか、
もしくは誰にも言えない悩みがあるとか、
あのとき実感できなかった視点が、感覚となって想像を働かせた。
同じ場所に立つと、つい数分前まで華やかに見えていたはずの場所が
押しつぶされるように孤独の温床に変わった。
そのとき、彼女らの感情が残したかけらに触れられた気がした。
でも、それらは僕ら聴衆の目には見えないし
決して演奏中の彼らは見せない。

僕がみた音楽をする姿は、多分演じられた姿だったのだろう。
自分を偽るわけではなく見せたい自分を選んで切り取って見せて、
それが人の印象に残り、思考を刺激していたのだと思う。

「目の前の人に伝えたくて、共有したくて、目標を達成するために。」



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