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まってろ、将来の俺、今から答えを教えに行く。

今、かつて決断した場所に
また来て、それでいいんだよね?って自問自答してしまっている。ここに車に走らせる間、それで合っているのか考えてしまう。

たぶん、自分は昔から答えを早く探す性がある。例えば何かできないことがあったとき、Googleで探して、答えを見つけようとする。

しかし、Googleの中はたくさんの違う答えだらけだ。誰もがインターネットで発信できる時代だ。色々な立場や国の人が発信する時代。答えはかなりあり過ぎる。

Googleだけじゃない。誰かの話を見たり聞いたりしたりした情報は、自分の頭の中をぐるぐる回る。そこから、答えを掴んだとして、ふと手にした答えが自分の答えかと胸に手を当てて聞くと違う感触がする。

だから答えを探したところでそれが自分にとっての答えかは分からない。

じゃあどうすればいいのだろう。

結局は、自分が歩いた道のりが答えなのかもしれない。となると、何を持ってその一歩を踏み出せばいいのか。

うん、自分を信じることか。

まぁな、これから道を歩いてもレールから落ちてもレール外側の砂利道を歩くことはできる。鬱になっても復帰はできる。そうだ、自分は、落ちるとこまで落ちて、また歩けたのだ。あの時の一歩が今の答え。ならば今までの問いは今が答えになっている。

今の自分の問はこれからの自分の答えだ。そうか、自分で、歩かなければ答えに成らないのか。

将来の自分に答えを示せるように歩くしかないのか。そう思えばきっと勇気が出る。

まってろ、将来の俺、今から答えを教えに行く。

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