半分
小さいweb制作会社でぽちぽちと公式SNSの投稿文を作ったり、企画投稿の画像を作ったりしているだけだったんだけど、ある日slackで名前の漢字表記に間違いがないか確認してほしいとの旨の連絡が入った。
なんだ?とは思ったがとりあえず、「ここの字は難しくない方の漢字でお願いします」という訂正を入れた。
これもしかして、来ちゃったのかもしれない。
こういうときの私の直感はかなり正しい。
ついに、映画のエンドロールに自分の名前が流れることになった。
前にも書いたけど、父が映画の仕事をしていて、エンドロールに流れる父の名前を見つけたときは本当に誇らしかったし、いつのまにかそれに憧れていた。
人生の一つの(それもだいぶ漠然とした)目標として、「自分の名前がエンドロールに流れるような功績を残す」というのを掲げていたのだ。
まさか、齢二十で達成してしまった。
しかも全国公開のバカデカ規模。
普通に生きていたら、きっとエンドロールに名前は流れないだろうと思っていたからこそ掲げた目標だった。クソ普通に生きていたのに、流れてしまった。
嬉しさと動揺と虚無感が一気に襲ってきて、かなりおかしなことになった。
でも、目標を達成できるような人間ではないと思っていた自分が、あっさりとひとつチェックマークをつけられたことは本当に嬉しかった。これは確かだと思う。
その後、試写に行った。
映画が終わって、エンドロールが流れ始めた。いつ流れるいつ流れる、と本編以上の集中力でスクリーンを見つめる。
途中、エンドロールの端に作中のオフショット的なものが映った。ユーモアがあっておもしろい。
エンドロールが終わった。
あ
見逃した。
見逃した!!!!!!!
初めてエンドロールで流れる自分の名前を見て嬉しさのあまり涙が出るとか、にやけるとか、そういうのじゃなくて、見逃した。
オフショットに完全に気を取られていた。
これはさすがに人生すぎる。
よく考えてみれば、この人生の目標達成は流してもらう自分の名前の確認ではなく、実際に流れる自分の名前を見る瞬間によってなされるものではなかろうか。
完全にやらかした。
ということで私の人生の目標は、半分だけ叶ったことになる。いつか配信でもう一度確認して、その情けなさに涙を流すことになるだろう。
あーあ綺麗事では成立しない、情けなくておもしろい人生でよかった。