リッチ

自分の人生をどこか貧乏くさいと思う。
髪を切った後表参道を歩いていたとき、自分以外の全員がリッチに見えた。ここでいうリッチとは単にお金があるというだけでなくて、(お金がなくとも)自信があるとか、自分の人生に引け目を感じていないとか、そういうことだ。

あの辺りを歩くときはいつも息が詰まる。悔しくて、羨ましくて、妬ましい。
歩いてる人たちの実情がどうであれ私は彼・彼女ら、もっと言えばあそこを散歩する犬にさえ劣っていると感じる。何が楽しくて生きてるんだっけ、なんて自分の環境のありがたさを易々と棚に上げて卑屈になってしまう。
自分でも愚かだと思う。それがまた悔しい。

私は着たい服(着ていることが自信につながる服)を妥協せずに着たい。住みたい環境に投資して、家に帰るのが楽しみになる生活がしたい。
高級ホテルのキラキラディナーとか、ハイブランドのカバンをたくさんとか、ウォークインクローゼットにびっしりの服とか、大理石の床とか、そういうのを求めている訳ではない。
別に煌びやかに生きたいわけではなくて、ただ自分の納得のいく小洒落て落ち着いた余裕ある人生を送りたいだけなのだ。高望みだけど。

自分が合格ハンコを押す対象がその総合的な「生活」に対してだから余計に難しい。ひょっとしたら高価なものを集めたキラキラニャンニャン人生を送りたいって思っている方が楽かもしれない。

野望だ野望だ、

そして、今の私の周りにはその野望を叶えるチャンスがゴロゴロ転がっている。若くてよかった。
やりたい仕事に就いて、お給料をもらうことで、自分の人生に「リッチ」を感じられるようになるかもしれない。
今、私の野望は努力次第で簡単に手に入れられるものばかりだ。でも、今怠けたらこいつらはどんどん絵に描いた餅になっていってしまう。
こんな大チャンスを逃すわけにはいかないと、ようやく気がついた。

私は貧乏くささを感じ続ける劣等感まみれの卑屈な人生から、這い上がるべきだ。努力の貯金をして、リッチな人間になるべきだ。
そうしたら今よりもっと小さいことで悩む必要も、ストレスを感じる関係性を解消することもできるかもしれない。

やるしかない。
走るスピードは遅いかもしれないけど、スタートの合図に気づくスピードだったら自信がある。うさぎとかめのかめよりも先に数歩前に出て、そのまま一番を獲れる気がする。

だから残りの数ヶ月、私は私に鞭打って生きる。
そして、ゴールテープを切った自分に向こう数十年分の満たされた生活と優越感をたっぷり用意して待っていてあげることにする。

よーいどん!

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