脇役・初めて観た映画・人は、一度会えたら永遠

脚本を書く時に、主人公の右腕とかもしくは敵とかとにかく2番手の奴、脇役を作り込みすぎるのはいけないらしい。主人公は生い立ちとかどんな人生で、どんな性格なのか、愛する人は誰なのか等、球体になるようにあらゆる設定をつくりこむが脇役はその半分くらいでいい。主人公と一緒にいる時だけイキイキとしていれば十分だから。脇役の設定まで作り込みすぎると、誰が主役なのかがぼやけてしまうのだ。

はじめて観た映画はなんだっただろう。たぶん小3か小4で観たゴーストが、はじめて最後まで観た記憶のある映画である気がする。BS3の21時からの枠でやっていた。21時の時点では家族全員が揃っていたのに、終わる頃には母と妹はいなくなっていて父と2人だけになっていたことを妙に覚えている。小さい頃から物語は好きだった。ラブストーリーも好きだった。グリム童話とかギリシャ神話は児童書にもあるがラブストーリーが多いのである。でも神話や童話に出てくるラブストーリーはつくりもの感が否めない。黄泉の国まで奥さんを追って行くなんて普通はないから。ゴーストもそりゃあつくりもののラブストーリーなんだけど、なんだかそれまでに知っていたラブストーリーとは全く違っていて、温度があって確かに2人の間にあったのだなという実感。そんな熱を感じで驚いたのである。

もう冬がきたというのに、あるひとりの人間の不在は今日も新鮮に私を傷つける。面倒だ。
喪失感という感情の、こうベタベタしたところが嫌いだ。ずっと前に捨てたはずのガムがコートのポケットから出てきて汚れた人差し指と親指を水で洗っているような気分。
人は、一度会えたら永遠だと思う。誰かとの関係性をはかるのは、会った時間や交わした言葉の数、だけじゃない。たったひとことでも、その人の言葉が私の中にずっと残っていたり、その人の中に残っている私の言葉もあるかもしれないし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?