2024年5月に考えていたこと

映画館で映画を観ることの体験性について
体験生という言葉が存在するのかわからない。映画館で映画を観るときの手順としては映画に行こうと決める、チケットを買う、電車とかに乗って行く、暗い部屋に入る、知らない人たちと一緒に真っ黒なスクリーンを眺める、大きな音と鮮明な色、そして帰る。家で観るよりも、その映画と関わっている時間が長い。そしてそれは身体的である。映像や音が良いというのはあるけれど、身体的というのがいちばん大きい気がする。そして、映画館はそれがどんな駄作であったとしても大事に大事にパッケージに包んで、まるでクローシュの下にある鶏の丸焼きみたいに、お膳立てして観客に差し出す。

構造化
私やっぱり思い出すことが苦手だ。人と何かを喋っている時、その会話に合う例えとか関連する話とか思った事をぱっと取り出せたらいいのにと思う。
あとあと思い出したりするんだよな。もっと構造的に自分の頭の中に収納していたらぱっと取り出せるんだろうか。そう思って1ヶ月ごとに考えたことや知ったことについてまとめるというのをやってみようかと思った。

企画の作り方
映画を作っている人と話して、その人は社会情勢とかニュースを見て感じたことをもとに作品を作っていると言っていた。
私は完全に自分の個人的な体験から物語を作っていてそのやり方にも少し飽きてきつつあるので、自分の外部の出来事によってえぐられた自分の一部をもとになにかを作るというのをやってみたい。この外部の出来事というのが自分に関係ない出来事である、というのが大事。

友達が欲しいっておかしくない?
友達とか恋人とか「関係性」がほしいっておかしくないか?とまえまえから思っている。だってある人間とたまたま出会って、時間を過ごして好意をもつ。その人との関係性がいかように変容するかは決められないわけじゃん。
一緒にいたい人とはその人とベストな種類の関係性を築いてできるだけ長く一緒に居たいなと思う。

ギリシャ神話
なんか最近ギリシャ神話にすごく縁がある。古本屋でギリシャ神話の上下巻の短編集を買ったり、たまたま買ったラカンの本にもエディプスコンプレックスについて書かれていた。確か小学生のときに夢中になって読んでいた記憶がある。改めて読み返してみると恋愛の話ばっかりであの頃の自分がなんでこれが面白いと思っていたのかわからない。というか早熟すぎない?
泥沼不倫とかヤバいストーカーの話とか、そんなのばっかよ。

楽しい記憶
5月はけっこういろんな人に会ったし楽しい時間を過ごした。
楽しい記憶。でも一方で楽しい記憶がなんだっていうんだ。楽しい記憶は生活を救ってはくれない。誰かと楽しく過ごした記憶。でもあれが一回きりだったらどうだろう。次があるから楽しいと思える?次会って、あのとき楽しかったよね、と言うための布石でしかない?持続性のない楽しさや快楽に意味はあるのか?

宿命
シナリオセンターの課題で「宿命」というテーマがあって宿命について考えていた。宿命とは前世から決まっていて変えられないこと、という意味らしい。そんなものなくない?と思った。いや、18まではあるかもしれない。
住む場所とか自分の容姿とか、自分で変えられないし。
でも18超えたら、もちろん人にはよるけど大抵のことは自分で変えられるし、変えられないことも意味付けとか向き合い方、捉え方を変えることはできるんじゃ?と思って全然課題が進まなかった。

恋愛的な意味での好き
私はほんとうは誰のことが好きなんだろうとか思う。
誰かを好きだという気持ちは一方通行ではいかなくて、じゃあ例えば佐藤健と彼氏がいたとして、条件は絶対に佐藤健のほうがいいとしても、一方的な公式LINEしかよこさない佐藤健よりもインタラクティブな反応をもらえる彼氏の方が好きというのはある。
好きの条件に、自分からのアクションに対してリアクションがあるというのは含まれている。

デカいバッグ

この記事を見てバッグを買ってしまった。いま使ってるやつ、もう3年使っててぼろぼろだし、ずっとPCと弁当が入るサイズのやつが欲しかったし、とか色々言い訳して買った。たくさん荷物が入る鞄というのは精神にいいものだ。街でなにか魅力的なものを見つけたときのための収納場所や読まないかも知れない本、TSUTAYAに返すDVD、お腹が空いたときのための非常食とか、そういう精神の安定につながる物をたくさん入れて外に出ることができる。明日届く。楽しみだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?