故人との関係性・自由と逃亡

異人たち。タワーマンションで孤独な生活を送っている脚本家のアダム。家族の物語を書いている。アダムが12歳の時に両親は亡くなったので家族の記憶は遠く薄れていた。ある日、思い立って自分が生まれ育った郊外の家に行ってみると死んだはずの両親が生活していた。アダムと両親は久しぶりの家族の時間を楽しむ。
アダムの性自認はゲイであり、同じマンションに住むハリーと恋人のような関係になる。両親との関係、ハリーとの関係がどう変わっていくのか。

みんながやっているようにあらすじを書いてみたが、意外に難しい。どこを広い、どこを端折るのか、その選択が肝心である。
時々、家族が夢に出てくる。必ず亡くなったはずの父もそこにいて、一緒に何かをしている。父は言ってほしかった事を言ってくれることもあるし、反対に言いたかったことを言うこともある。
あのアダムと両親の邂逅は、全部アダムの夢だったんじゃないかと思う。
アダムはずっと父に謝ってほしかった。母に大丈夫だと言ってほしかった。
人間と人間の関係はどちらか一方が死んでしまったとしても終わらないのだと思う。たとえ死んでしまっても、記憶の中にいるその人と会話することができる。その人がいつか言っていたことや、言おうとしていたことが理解できる日がくるかもしれない。許せなかったことが許せるようになるかもしれない。あの両親との最後の食事。ファミリーセットを頼むシーン、何度思い出しても泣いてしまう。
家族は美しくない。気まずいし、うるさいし、イライラする。そんなものもすべて描かれていて、よかった。

テルマ&ルイーズ。彼女たちは私が過去遭った最悪な男たちにも拳銃を突きつけてくれて最高だった。特にあの、ダンプカーを爆破するシーンは最近の嫌なことが全部吹き飛ぶくらい爽快だった。
嫌だったことは忘れなくていい。いや、忘れてもいいけど無理に忘れる必要はないと思う。ずっと怒りをグツグツと煮えたぎらせて機が熟したら一気に晴らすのもいいと思う。あのダンプカー男みたいに、相手が100%悪い場合に限るけど。
ラストはハッピーエンドととらえていいのかバッドエンドととらえていいのかわからない。あの飛翔は自由そのものだった。そしてはそれは逃亡でもあった。あそこまでしなくては女は自由になれないのか。逃亡しなくても、女が自由に生きていける世の中を望む。



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