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父の記憶とメルカリ

実家の片隅に古いがよく手入れされたフィットネスバイクが鎮座している。母はダイエットのために、祖母は数年前に手術した膝のリハビリのために時折漕いでいるらしい。
このフィットネスバイクには今はもう亡き父の命で私がメルカリで購入し、父が出品者のもとに受け取りに行ったという逸話が隠されている。
思えばあれが最初で最後の父との連携プレーであった。

長く続いた反抗期もついに終わりを告げ、そろそろ親孝行でもするかと思った矢先、父はあっけなく亡くなってしまった。その少し前に、祖母が膝を悪くしてしまい、リハビリが必要だったが田舎の舗装されていない道を歩くのも危ないのでフィットネスバイクでも買おうかということになったらしい。
覚えたてのLINEで父がそのことを伝えてきた。
父はとにかくメルカリで300円のフィットネスバイクが売っているのだと言い張っていた。
URLをコピペして送るといった高度な小技など知らぬ父。断片的な手がかりをもとにメルカリの大海原の中で父のスマホに映し出されているフィットネスバイクを探す私。

ついに幻のフィットネスバイクを見つけ出した。
それは確かに私の実家の近所、おそらく車で1時間弱くらいのエリアの出品者のページだった。
さっそく私がフィットネスバイクを購入し、出品者と引渡しの打ち合わせを行う。
私が父と出品者のメッセンジャーとなって打ち合わせはとんとん拍子で進んで行った。暇だった父は翌日軽トラでフィットネスバイクを取りに行き、無事それはわがやにやってきた。

いつも無口でぶっきらぼうな父にも祖母のリハビリのために往復2時間をかけてフィットネスバイクを取りに行くという優しい気持ちがあったんだなと、父の知らない一面を見たような気がした。そして私もメルカリという最新テクノロジーを使って間接的に父や祖母の役に立てたのが嬉しかった。

亡くなってしまった人の記憶や気配は時間が経つにつれてどんどん薄れていく。
私が課外授業で遅くなった時、父が軽トラで学校まで迎えに来てくれていたけど、その時にした会話のひとつひとつやどんな景色を見ていたかはもう忘れてしまった。
昔BSでやっていた映画「ゴースト」に夢中になって気づいたら父と私のふたりになっていた夜があった。その時なにかを父と話して、なんだか父は嬉しそうだったような記憶があるけどなんで嬉しそうだったのかは忘れてしまった。
でも、今でも実家に帰ってフィットネスバイクを見ると、父が優しかったことを思い出す。

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