身体に悪いものはおいしい、そして人生観的ななにか(24/6/28)

なんと単純でわかりやすい言葉だろうか。僕の見解では、"ただし、"と枕詞を置いた上で、誤解を招きそうなこの表現についての大切なことは"それは毒ではない(考え方による)"ということ、そして、もっともっと大切なことは"毒は量(という考え方)"ということだ。要は、糖分は活動する上で必要だけど摂りすぎは身体に悪いよ、みたいなことで。身体に悪くなるラインを超えなきゃいいわけで、それが1kg食っても大丈夫なのか、1g食ったら死ぬのか、みたいな。故に毒は量であり、うっかり摂りすぎて死んじゃうようなものを総じて"毒"と呼んでいる気がする。ちょっと頭良さそうなこと言ってる。まあ多少は体調を崩すことがあっても、あれこれ食べておいしいおいしいという人生が楽しいことは想像に難くない。食べすぎた分は調整すればいい。
で、だ。
(先に言っておくが、ここからはかなり主観的な意見だ。故に、この先の言葉について僕は一切の責任を持てない。が、生き方という上ではすごく大切なことのように思っているそれをつらつらと語る。)
健康って何?という素朴な疑問。答えはこう。身体の健康と、心の健康だ。これは間違いない、はず。なんだけどね。どっちに重きを置くかと言われるとこれが難しい。人次第、もといその時の状況次第なのだから。なーんて当たり前っぽいことを言っておいて、何か言いたいことに予防線を張り張り。だってさぁ、

だって、死んだらおわりなんだから。

そう、おしまい。意味がないんだとは言えない、故人の評を下すことであろうと、それだけは言えない。でも、そうなんだ。
食べて動いて寝る。食べ物のどういう状態が安全で、どこからが毒なのか。どの程度動けば丁度よくて、どの程度寝れば活動できるのか。それらを調べて情報を精査して自分で試して、まあこれならいいかというラインを作る。めんどくさい。けど、身体の健康に悪いことは気持ちがいい(=心の健康にとてもよい)ので、バランスを取るのに必要なことだったりするわけで。
僕は身体の健康より心の健康を自然と大事にしたがるから、煙草はばかすか吸うし、ザルだからとアホみたいに酒を飲む日があるし、ウン百キロ離れた所まで思いつきでバイクを走らせるし、推し活のためならぶっ倒れるギリギリのラインまで身体を酷使できる。楽しいからね。でも、そんなたわけた生活やフットワークの軽さを続けるには日々の調整が必要なんだ。めんどくさいけど。

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