森祇晶(その2)

 

 森祇晶が西武監督を務めた9年間、唯一優勝を逃した89年。
 
 前年、西武と近鉄のマッチレースで最終試合までもつれたものの、近鉄がロッテとのダブルヘッダー第2試合、延長時間切れ引き分けに終わったため、薄氷の思いでパ・リーグ4連覇。そして中日との日本シリーズを4勝1敗の結果で日本シリーズも3連覇した。
 さらなる「西武黄金期」を作り上げていこうとシーズンに向かったが…。

 89年は激動のパ・リーグとなった。
 前年、球団身売りが2チームあり、南海がダイエーに球団経営譲渡した。
 本拠地も大阪球場から平和台球場に移転。西鉄ライオンズが所沢に移転して西武ライオンズとなったて以来、10年ぶりに福岡の球団が誕生した。 
 また阪急もオリックス(当時・オリエント・リース)に経営譲渡され、オリックス・ブレーブスに名称変更。しかし本拠地は西宮球場のままであった。

 新球団として精力的に戦力を補強したのは、オリックスだった。
 前年まで南海に在籍し、40歳になって本塁打・打点の二冠王に輝き、史上最年長でパ・リーグ最優秀選手に輝いた門田博光をトレードで獲得。
 松永浩美、ブーマー、石嶺和彦、藤井康雄らと共に「ブルーサンダー打線」を形成。打撃陣が投手陣を引っ張り、前半戦の立役者となった。

 前年悔し涙を流した近鉄も黙ってはいない。
 阿波野秀幸、小野和義、山崎慎太郎の先発、そして抑えの吉井理人の投手陣。ブライアント、リベラ、鈴木貴久、村上隆行、金村義明の「いてまえ打線」で監督・仰木彬を何とか胴上げしたいとオリックスに食らいつく。

 そんな中西武は誤算のシーズン開幕となった。
 開幕投手を務めた工藤公康がピリッとせず、打線も前年主砲として活躍したバークレオが不振。4月には最下位を経験。
 でもここから舵を切り直す。
 6月に不振のバークレオに変わりデストラーデを加入し先発させるとホームランを連発。投手陣もルーキー・渡辺智男をローテーションに据えると一気にオリックスと近鉄の後に付き、いつしか「3強」による優勝争いになった。

 10月までは3チームとも一進一退が続いたが、事実上の結着をつけたのは10月12日、西武対近鉄ダブルヘッダーだった。

 第1試合は西武・郭泰源、近鉄・高柳出己の先発。序盤までに5対1と西武リードで迎えた6回、先発・郭が乱れたところを近鉄がついてきた。
 そしてノーアウト満塁の場面で前打席ホームランのブライアント。郭の不用意な初球を捉えライトスタンドへ。
 たちまち同点となり、狂喜乱舞の近鉄ナイン。

 そして8回表のブライアントの打席、ここでミラクルが起こった。
 マウンドにはブライアントに対し、15打席8三振の絶対的自信のあるエース・渡辺久信をベンチは送り込む。
 1ボール2ストライクと打者を追い込み、勝負の一球に高めのストレートを選択した。いつもなら空振り三振の結果に終わると思われたのが、この日のブライアントは”神がかっていた”。

 高めのストレートをフルスイングした球は、西武ファンで埋め尽くされているライトスタンド最上段に一直線。今年ブライアントに初めて打たれた安打が、値千金の逆転ホームラン、しかも3打席連続のおまけつき。

 8回表終了後、森は渡辺にこう叱責した。

ナベ! 何でフォークを投げないんだ!!」。

 この経験があったのか、2008年自身が西武の監督に就任した際、決めたことがあった。

自分が監督になってからは、結果だけで選手を責めることはしないようになったんだ。そこに至るまでのプロセスがあるわけだから。さらに、選手を「怒らない」ことを心がけた。感情の起伏が激しかった現役時代を知る人には、意外と思われるかもしれないけど。今の選手は、僕たちの時代と比べ、怒られることが圧倒的に少なくなっている。怒ることで萎縮してしまい、実力を発揮できないと思うからね」。

 この年、西武は4年ぶりの日本一を獲得した。

 森から学ぶべきものが、こういうものもあったとは。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?