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自分の幸福追求ってそんな大事なの?
最近、いろんなことにおいて、「自身にとってメリットがあるか」という視点で語られるコンテンツが多いと感じている。
例えば、結婚、出産、転職、起業、地方移住、海外移住、などのトピックにおいてだ。
結婚したら幸せなのか?子供がいたら幸せなのか?
そんな切り口の動画や記事を皆さんも目にしているのではないかと思う。
でも、僕は問いたい。
個人の幸福追求ってそんな大事ですか?と。
僕自身の思考回路で言うと、何かを決断する時に、それが自分にとってメリットがあるか、とか、自分がそれをして幸せか、というのは正直考えていない。
だから、何かをするかしないか、というときに自分の幸福は基準にならない。
というか、何かをやる前に自分にとってメリットがあるか、なんてことは分かりっこないっと思っている。
それは、あとから振り返ったときに、自分は幸せだったなとか、自分は多くのものをもらったな、とか思えるものであって、事前に判定するというのは無理だろうと思う。
基本的に未来のことは不確定なので、それによって自分が何を得られるか、ということは分からない。
だから、個人の幸福について確証を得ようとすればするほど、何かをすることに二の足を踏むようになる。
何でも概念は対で現れるので、幸福を考えれば考えるほど、不幸も必ず現れる。
だから不幸を恐れて、結婚にせよ、出産にせよ、他のことにせよ、やめておいた方がいいという方向の思考になってしまう。
メリットを考えるから、デメリットが目についてしまう。
僕が思うことは、世の中で楽しく生きている人は、チャレンジし続けられる人だと思っている。
その人には、新しい経験、新しい知見が待っているからだ。
期待感をもって今日を生きることができるからだ。
そしてそういう人たちは、自分にとってのメリットという思考では生きていないと思う。
じゃないと、リスクを負って何かをやろうということや、今まで築いたものを捨てて新しいことをしよう、といった判断に行きつかないからだ。
だから、逆説的な結論になるが、自分の幸福や自分の得られるメリットといったことを考えないことが一番の幸福なのではないかと思う。
では、どういった基準でやるやらないの判断をしているの?という話になると、自分の場合は以下の観点だろうか。
・それをやりたいと思うかどうか
・その役割に対して自分が納得できるか
(=当事者意識、使命感を持てるか)
この2点は大事にしているかもしれない。
何をやるにしても自分にとって良いことしか起きないというのはありえないので、悪いことが起きたときにも自分が逃げずに対処できるかどうかというのは大事な観点かと思う。
そのときに踏ん張れるか踏ん張れないかということは、上の2点を抑えているかいないかにかかってくるのではと思っている。
後継ぎ、会社の代表、夫、父親、自分のそういった役割も、自分がそれを担うことに納得しているから遂行できている(つもり)である。
そして、自分にとっては、自分が納得した役割にコミットできていることが幸せだ。仮に自分にとって一時的に不利益なことが発生したとしてもね。
そもそも、中長期的に見たら、塞翁が馬なので、自分にとっての幸せやメリットなんてことは判断できない。
であれば、そこから目を離して別の基準で考えてみてはいかがだろうか。
僕が好きなアーティストのリリックに「俺のやるべきことをやるだけ」というものがある。
本当これに尽きるな、とことあるごとに思っている。
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