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自分のこと

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親子関係、適応障害・職場でのすれ違い、気付や学びなど、日々感じたことを綴っています。
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2021年6月の記事一覧

適応障害克服の道のりと夢への決意

私には夢がある。 それは、事業を起こすこと。 内容は、不登校の子と家族の居場所づくり、ひきこもりや精神疾患により社会から切り離されてしまった方への支援、この2つ。 理由は、自分の経験したことで同じような状況にいる方々のサポートをしたいと思ったから。 『サポートするには、事業を起こす』 と、常に頭の片隅にはあるのだが、何からどう始めればいいのかわからずに、ずっとその場で足踏み状態だった。 いろんな場所に赴いて話を聞いたり、イベントに参加して人脈を作ったり、こんな活動がした

他人に影響されがちの私が、自分の意志で決断していくということ

アラフォーの今になって、ようやく、自分の意志で決断することができるようになった。 今までの私は、他人軸で生きていた。しかも、無意識で。 そんな私が今は、自分の意志のもと、心の赴くままに決断し行動をできている。 今だから感じる、他人軸と自分軸で生ることの違い(私の体感)を書き留めておこうと思う。 そして、HSP気質について思うことも少しだけ。 他人軸で生きてきた自分1.自分に自信がない 2.他人に意見するのが怖い 3.他人の顔色が気になる 4.物事を荒立てないような

遺書を書いてみたら・・・みるみると自分が変化した話

自分を変えたいのに変えれない自分、頭の中がいつもモヤモヤしている自分。見えない不安に押しつぶされそうな自分。。。 変わりたい、もう悩みたくない、こんな自分からいつ抜け出せるの?? そんな時、ロンブーの田村淳さんが遺書を書くことを勧めていることを知る。書くとスッキリするらしい。 ・・・本当???? だって、今までも「バケットリスト」(←死ぬまでにやりたいことリスト)を書いたこともあるし、「後悔しない人生にしたい」と思って、できるだけ挑戦してきたし・・・。 でも、勢いがある

親の前では仮面をかぶる

今まで生きてきて、自分の身にあらゆる出来事が起こるたびに、自分と向き合ってきた。 今年になって適応障害と診断された後もそれは変わらない。 ただ、一つだけ変わったこと。それは… 生じた出来事について周りの人や環境のせいにするのをやめたこと 繰り返される転職私は転職を繰り返してきた。 理由は簡単。 自分のやりたいことを仕事にしていないから。 というか、親が決めたことに従順にしたがって仕事を決めた結果だからだ。 運良く国家資格を持っていいるので、はっきりいって職探しには困らない。

追い越していった車に、自分の今の現状を突き付けられた気がした話

39歳で適応障害と診断され、自分らしい働き方を模索するアラフォー女子? の思考を綴る 体調が回復し転職活動を始めたが、書類の段階で落ちる、面接にこぎついても落ちる…もう何社になるだろうだろう…。 年齢のせい?経験や技量が乏しいせい?それとも未経験の仕事に飛び込もうとしているせい?いやいや、住んでいる場所のせいかな?違った、自分に自信がないだ…。 悩みすぎて、とりあえずこの仕事なら働けるかも…と気づいたら自分の思い描く仕事とどんどんかけ離れていた。 気分転換にと、本当に久し