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玉子サンドと女と僕と

「好きな食べ物は?」と聞かれたら少し返事に困る。

食べることは何より好きだし、仕事柄、人よりもほんの少しだけ美味しいものを食べてきた自負もある。
僕にとって食べ物とは、あるときは仕事の成果物であり、あるときは教科書であり、あるときは研究対象であり、またあるときは未踏の新大陸のようなものである。

今の僕にとって、それは「好きか嫌いか」という主観を出来るだけ排除して、美味しいか美味しくないかを冷静に判断すべきものだ。
それと対峙するときは、何を、誰に対して、どのように、自分なら、あともう少し、という言葉が頭の片隅にいつもある。

一方で、「思い出に残る食べ物は?」という質問には、すぐに答えが思い浮かぶ。
玉子サンドだ。

京都の西木屋町四条にコロナという店があった。
玉子サンドが有名で、テレビや雑誌によく出ていた。
大正時代か昭和の初期のような雰囲気の店内で、高齢のマスターが一人でカウンターキッチンに立ち、調理する様はとても格好よかった。
一人前に推定5個分の鶏卵の入ったサンドイッチは圧巻であった。
僕が初めて訪れたときは、既にマスターのことを「生きる伝説」と形容する人が大勢いた。

それから数年後、この店に女を連れて行ったことがある。
店の前まで辿り着き、貼り紙の「閉店」の文字を見て呆然とした。
数秒の後に正気を取り戻した僕は心の中で、散々マスターの悪態をついた。
「なんで勝手に閉店してんねん!!」「って言うか、この雰囲気どうすんの…。」

次の季節に変わる頃には、女は僕の前からいなくなっていた。
後になって、マスターが既に90歳を超えていたことを知った。
90歳を超えて、なお調理場に立ち続けたマスターは立派であった。
何一つ非はなかった。
僕は自分の未熟さを転嫁しているだけの愚か者だった。

コロナの玉子サンドの奥義が京都の他の喫茶店に継承されていたことを知った。

押小路西洞院、喫茶マドラグ。
初めて訪れた店で邂逅した味は、とても懐かしく、切なく、そして美味しかった。
この世の無常と普遍を同時に教えてもらったような気がした。

若いマスターの作る玉子サンドを本物であると認めると、急に不思議な気持ちになってきた。
僕は思わず、ポケットから携帯電話を取り出して、何年も連絡を取ってなかった女の番号をダイヤルした。
女が現在、どの街に住んでいるのかも知らなかった。
もしかしたら、既に何処かの誰かと新しい暮らしをしているかもしれない。
ほんの一瞬、頭の中にそんな考えがよぎったが、そんな事はどうでもよかった。
一緒に玉子サンドを食べたい、ただそれだけを伝えたかった。
他の事はどうでもよかった。
こんな気持ちになるのは生まれて初めてだった。
「あっ、もしもし?」
間髪入れずに違う女の声がした。

「この電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめになって、もう一度お掛け直しください。この電話番号は…。」

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