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読むだけで和食が上手くなるnote 「出汁」編

「出汁(だし)」は日本料理の命と言われます。

書店に行って、初級者向けの日本料理の本を読んでみれば、必ず最初の方で「出汁の取り方」が書かれていると思います。

我々のような日本料理人は当たり前のように毎日出汁を引きます。

では、その出汁とは何なのか、考えてみたことを書いていきたいと思います。

和食のクオリティを上げるには出汁から

出汁は様々な料理に使います。

「椀物」の吸い地を筆頭に、野菜の焚き合わせ、炊き込みご飯、出し巻き卵や茶碗蒸し、ほうれん草のお浸し、さらに土佐酢や割り醤油といった調味料にも出汁が使われてます。

出汁は単体で料理として成立させるというよりは、料理の土台として、様々な役割を果たしています。

日本料理を上手に作ろうと思えば、この出汁のクオリティを上げることが、まず近道になると思います。

単純で簡単であるが故に難しい「出汁」

日本料理の出汁を引く為に必要な材料は、とてもシンプルです。

水と昆布と鰹節。最低限これだけあれば大丈夫です。

他に鮪(まぐろ)節や鯖(さば)節といったカツオ以外の魚を使ったり、煮干しや乾燥椎茸などを使う場合もありますが、今回は基本である水と昆布と鰹節の出汁に絞って話を進めていきたいと思います。

和食の出汁は世界一シンプルと言われます。

フォン・ド・ヴォーやコンソメ、豚骨スープや鶏ガラスープなど、世界の料理の中で「出汁」に相当するものと比較しても、和食の出汁を引くことは圧倒的に単純かつ簡単です。

しかし、シンプルであるが故に、その道を極めようと思えば大変な道です。

スポーツに例えてみれば、「100メートル走」と「野球」の違いを考えてみてください。

スポーツのルールとしては100メートル走の方が圧倒的に単純です。

単純ですが、そこで頂点を目指すプレイヤーは、装備する靴やユニホームにもメーカーと協力して最新の科学的な見地を研究しながら、「走る」ことに対して「0.01秒」でも成績を伸ばせるように取り組む、という世界が繰り広げられています。

一方、野球でも「走る」ことは重要な要素の一つですが、メジャーリーグのトッププレイヤーと言えども、陸上選手のトッププレイヤーと同じレベルで「0.01秒でも」という意識で競技に取り組む人は、一部の代走の専門家を除けば殆どいないでしょう。

当然ですが、「100メートル走 」と「野球」、和食の「出汁」とそれ以外のスープの優劣を論じているわけではありません。

ただ、我々は「100メートル走」のような世界にいるのだということ。

トップレベルを目指そうとすれば「0.01秒」の差を競う世界なのだという意識を持って欲しいと思います。

ただ単に100メートルを走るだけなら、殆どの人が出来ると思います。

一方で、全員が未経験者で野球の試合をしようと思えば、試合そのものが成立するかもわかりません。

簡単に出来ることは、トップレベルに近づけば近づくほど、ほんの少しの差が大きく問われてくるようになる。

単純かつ簡単であるが故に難しいとは、そういう意味です。

「一番出汁」と「二番出汁」

日本料理で使う出汁には大きく分けて二種類あります。

いわゆる「一番出汁」と「二番出汁」です。

一番出汁は主に「椀物」の吸い地(吸い物の出汁)に使います。

「二番出汁」は主に色々なものを焚くときや、茶碗蒸しのような料理に使います。

ここで気をつけて頂きたいのが、「一番」、「二番」という呼び方です。

一番出汁のほうが上位で、二番出汁は下というイメージを持ちがちですが、それは違います。

大は小を兼ねる的な感覚で、一番出汁は二番出汁の上位互換みたいに捉えている人がプロの中にもいますが、それは違うように思います。

日本料理における一番出汁と二番出汁は、全く別の役割を担っています。

私のイメージでは、一番出汁に重要な要素になるのは"香り"です。

そして、二番出汁に重要な要素になるのは"旨味"です。

一番出汁

一番出汁は「椀物」の吸い地に使うと説明しました。これは出汁の味そのものを味わう料理と言ってもいいでしょう。

厳密に言えばストレートの出汁では無く、塩や淡口醤油といった調味料を加えるのですが、本当に微量で、醤油1滴、塩ひとつまみで大きく味が変化してしまいます。

しかも、ある程度の量を飲みます。

日本料理の献立の中で、「食べる」よりも「飲む」という動詞が合うのは、この吸い地ぐらいでは無いでしょうか。もちろん例外はありますが。

一番出汁は旨味よりも香り

美味しい一番出汁を取ると言っても、あまりにも旨味の強い一番出汁だと、重たくなりすぎてしまいます。

椀物はまだ献立の序盤です。

その段階で旨味の強過ぎるものは、必要以上の満腹感を与えてしまったり、後の料理の印象を薄くしてしまいかねません。

また、一口目が美味し過ぎると、一皿を最後まで食べる終わる頃には飽きてしまいます。

お椀の蓋を開ければ香りで楽しめ、一口飲めばふわっと美味しいと感じ、お椀一杯飲み干しても重たくならない、これが理想の一番出汁のように考えています。

二番出汁

一番出汁はそれ自体がメインとなるものでしたが、二番出汁は料理をバックアップする存在です。

それ自体が前面に出るというわけではなく、料理の土台としての機能を担っています。

二番出汁をストレートで使うことは、あまりありません。

何か調味料を加えたり、出汁巻き卵や茶碗蒸しの場合は卵と混ぜたりして使います。

スキッとしたシャープな切れ味よりも、土台としての安定感のある旨味が求められます。

僕は日本料理の世界で仕事を始めて、丸2年ぐらい経ったときに二番出汁を引くポジションを貰えました。

毎日、二番出汁を引いていたのですが、ある日、煮方で炊き合わせを仕込んでいる先輩にこんな事を言われたことがありました。

「今日の二番出汁は美味しいから、調味料ほとんど入れんでええわ。」

その先輩は僕のことを褒めていただいていたわけなのですが、嬉しい気持ちよりも、疑問のほうが強くて、「は、はぁ。」と間抜けな返事をした事を覚えています。

出汁が美味しいと「調味料をほとんど入れんでええ」とはどういうことだろう?

だいたいの料理のレシピの本やサイトには、出汁も含めた調味料の割合が書かれています。

「だし200cc、醤油50cc、みりん50cc これを合わせて、鍋に入れ、さっと一煮立ち」といった具合です。

出汁の味が良いと調味料の量も変わるということが、よく理解出来なかったのです。

何年かした後に、実際に自分が煮炊き物をするようになって、少し理解出来ました。

僕の持ってるイメージは「出汁は掛け算。調味料は足し算。」です。

ちょっと感覚的な話になって分かりづらいですが、

出汁の味×調味料(砂糖+塩+醤油+味醂+etc…)=料理の味

といった具合です。

目指すべき味のゴールが100点です。

このとき出汁の味が10点だとします。すると、調味料の部分で10の味付けが必要になります。

出汁の味が15点だと、調味料は約6.7。出汁の味が20だと、味付けに必要な調味料は5で済みます。

しかし、ここで問題があります。調味料は入れ過ぎると味が濃くなってしまいます。

各々の料理に適切な上限値を超えて調味料を足すことは出来ないのです。

目指すべき料理の味は100点ですが、調味料を加えられる上限値は10であるという状況を仮定しましょう。

ここで9点とか8点の出汁しか取れないと、どれだけ後の調理を完璧に頑張っても90点とか80点の料理しか出来なくなってしまいます。

普通のお店では、昨日まで10点だった出汁がいきなり20点になったり5点になったりすることは、まずありませんが、微妙な味の変化は毎日しています。

昨日と同じ料理であっても、出汁の味によって必要な調味料の量は微妙に変化する。

それを教えて貰えた体験でした。

同じ出汁は二度と引けない

出汁について、先ほど少し触れましたが、一つとても重要なポイントは同じ味の出汁は二度と引けないということです。

不思議なもので、全く同じ量の水と昆布と鰹節の量で出汁を引いたとしても、毎日微妙に味が変わります。

昨日と今日で違う味になってしまうのです。

僕は温度の問題かと思って、出汁を引くとき、鍋に水と氷を入れて、温度を一定に調節して出汁を取ったことがあるのですが、残念ながら結果はあまり変わりませんでした。

同じ1本の昆布でも根元の部分と先端の部分では出汁の出方も違います。

鰹節も1本1本性質が変わります。

また、皮の部分、血合の部分、身の部分でも違います。

鰹節は乾燥させて製造しますので、同じメーカーの同じ値段の鰹節でも、夏場の湿度の高いときと、冬場の乾燥してるときとで味が変わります。

昆布だけでも厄介なのに、さらに鰹節まで加わり、バランスのいいようにしようと思ったら、もう本当に大変になってきます。

さらに、出汁を取るときの鍋の大きさ、沸騰した鍋の中の水の対流など、様々な要素が出汁の味の変化要因になります。

毎日、全く同じ味の出汁を引くことは理想ですが、ほとんど不可能に近いぐらい難しいことなのです。

しかし、全く同じものが作れないということは、自分の与えられた範囲の中で色々なことが試せるということです。

昆布を煮出すときに、水から煮出したり、ある程度水温が上がってきてから昆布を入れるのか、あるいは沸騰してから入れるのか。

鰹節も血合いや、粉々になった部分をどの程度いれるのか、鰹節は削りたてなのか、削って3日経ってるのか。

自分の工夫次第で他にも色々なことが試せると思います。

新しい仕事を覚える喜びというのも当然ながらあります。

しかし、毎日同じことをする中での喜びも同時にあるのではないかとも思うのです。

これから出汁を取る人は、自分が引いた出汁の、調味料の入っていないストレートの味を毎日見て欲しいと思います。

それも完成形の味だけでなく、むしろ途中の味です。

昆布が沸騰した直後の味、鰹節を入れた瞬間、鰹節の投入から10分経ったとき、15分経ったとき。

また、朝に引き立ての二番出汁と夜に片付けるときの二番出汁、次の日の朝の二番出汁、それらは同一のものなのか、時間の経過で味がどのように変化するのか、そういうデータを自分の中で蓄積させていくことが大事です。

そういうトレーニングをしておくことで、もしも環境が変化したときでも、何回かで慣れて対応出来るようになると思います。

自分で考える理想の出汁はどういうものなのかイメージを掴むことも出来るようになると思います。

それが"料理が上手くなる"ということだと僕は思います。

毎日、同じ事を繰り返すと飽きてくると思います。

しかし、同じことをしているようで、実は少しずつ変化している。

少しの変化を自分次第で楽しもう。

出汁の話に限らず人生全般に言えますね。そういう話でした。

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